妄想徒然ダイアリー

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ざらついたスクリーンに宿る80年代。【映画】『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』

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【史上最強ゴースト襲来!真夏の極寒対決!】映画『ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』手に汗握る最新予告解禁!<3月29日(金)全国の映画館にて公開>予告3 - YouTube

例えば80年代角川映画が持つ独特のルックは、ジャンルや出演者や監督の個性を超えた〝何か〟として存在感があったような気がしている。それをあの頃のパラダイムだとするのは言い過ぎだとは思うけれど、今観ても当時の匂いが沸き立つような感覚がある。

ゴーストバスターズ/フローズン・サマー』にも似たような印象がある。VFXよりもSFX、特殊効果と呼ぶのが相応しい画面作りには80年代アメリカ映画、ブロックバスター作品の肌触りを感じる。それを懐古と言ってしまえはそれまでだけど、気軽にポップコーン頬張りながら2時間楽しむというのも、なかなか体感出来なくなってきている。目を見張るようなCGも緻密なストーリー構成もあっと驚く展開や衝撃の結末はないけれど、「ああ、こうなるんだろうな。」という期待を裏切らない〝ソコソコ感〟もひとつの魅力ではある。NO GHOSTロゴ、プラトンパックを担いだツナギ姿、トラップやPKEメーター、ECTO-1などお馴染みの要素もしっかりあって、スライマーや図書館のゴースト、マシュマロマンの登場も旧作への目配せがあって楽しい。

成長したフィービーやトレヴァーの思春期あるあるを織り込んだサイドストーリーもシンプルで分かりやすい。前作(『アフターライフ』)ではキャリーとイゴン・スペングラー博士の親子関係における赦しと救済が描かれていたけれど、今作はフィービーを中心として親子関係や友情を巡る物語が展開される。ベタではあるけれど、ストレスなく観ていられるし、キチンと赦しと救済と再生のテーマに落とし込んでいくカタルシスもある。何だかんだでレイ・パーカーJrのテーマ曲が流れるとグッと来たりする。ドローンは出てくるものの現代的なツールはほとんど出現しない。( ゲイリーが皆んなで観ようとする映画はVHSだったりするし、スマホって出てきたっけ?)

80年代の作品だと言っても違和感がないのは、意図的にそうしてあるのだろうけれど、 2024の人間にとっては、それを懐かしく感じている我々はまさに過去のゴーストとして映っているのかもしれない、なんて。

(     )【映画】『オッペンハイマー』雑感。

【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー - YouTube

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わたしは広島で生まれた人間であるし、これまで映画の中で描かれた原爆や核の扱いに違和感を抱くことも少なくない。とはいえ、だからと言って核や原爆をタブーにする必要はないと思っているし、例えば『マリリンとアインシュタイン』のような素晴らしい作品にも出会ってきた。

日本公開はまだか、とジリジリしている中でのバーベンハイマーの騒動には呆れるしかなかったけれど、そういった能天気さもまたアメリカのリアルなのかもしれないとも感じる。そして、そういった複雑な思いとは別に、そもそもノーラン作品を見逃す理由はわたしにはない。

いつものケレン味は控えめなようにも感じる。しかし、観るべき作品であるのは間違いなかったし、 時制をパズルのように組み替える事で生まれるサスペンスはこれまで積み上げられたノーランのキャリアが更なる高みに達するような凄みがあった。

公開前には被害者の視点が欠けているという批判も目にしたが、わたしはそう感じなかった。むしろ、踏み込んでいるようにも見えた。冒頭のプロメテウスの一節にもそれは現れている。

〝あの日〟の描写についても正直思わず身構える瞬間があったし、感情が逆撫でされる部分(もちろん、それは意図されたものだ)もあるのだが、それ以上に大義の下で行われる、とてつもなく巨大な暴力の恐ろしさ・おぞましさが強調されていてそれは少し予想外でもあった。確かにスパイク・リーの提案

『オッペンハイマー』に「僕なら、原爆を日本に2発投下したことで何が起きてしまったかを見せる」とスパイク・リーが提言 | THE RIVER

も頷ける。そうするべきたったのかもしれないが、もちろん今作にそう言った視点が全くない訳ではない。原爆の実験のシーンや〝あの日〟を語る場面でのオッペンハイマーの心象風景は、わたしの心を大きく動かした。「そんな程度じゃ甘いんだよ」という意見もわかるけれど、映画にその全てを背負わせてしまうのも無理(例えば『エターナルズ』での原爆に関するシーンは、心動かされるものだったけれど、その部分を殊更強調し、過剰に評価するのも作品にとってはフェアではないのでは?とか)がある気もする。

音が印象的な作品でもあった。不穏に響いてくる重低音や爆発音はとても効果的で意味のあるものとして伝わってくる。スリリングな会話(それは、ある種の命のやり取りでもある)によってこの作品は、伝記モノのクリシェ(栄光と挫折或いは赦しと救済の物語)を超えたレベルに到達していると思うが、その背景に流れるサウンドは、時に大きく時にさりげなく配置されている。 そういう面では、IMAXで観る価値はやはりあったと思う。

オッペンハイマーの複雑に揺れ動く感情の機微をその瞳に宿らせたかのようなキリアン・マーフィー。ノーラン作品のランドマークとも言える彼の佇まいは素晴らしかった。得体の知れない妖しさのフローレンス・ピュー、野心と嫉妬と俗物さを纏ったロバート・ダウニー・Jr.も良かったけれど、久しぶりに目にしたデイン・デハーンも良かった。あの冷徹な眼差しはアメリカの歴史のダークサイドを体現しているかのようだった。

そして 「絶対にわたしの領域を汚す事は何人たりとも許さないのだ」というキティの意思を感じさせたエミリー・ブランドもまた素晴らしく、最後に振り返った時の彼女の相貌に一瞬ハッとさせられたのは意図的な演出だったのかわたしの勘違いだったのか。

と色々と言葉を尽くしてみるが、なかなかその本質を捉えて語る事は難しい。フトすれば聞き逃してしまうような、悲鳴や鳥のさえずりがわたしの耳にはまだ残っているけれど。

これ戦争なのよね。【映画】『DUNE砂の惑星PART2』雑感。

映画『デューン 砂の惑星PART2』予告 2024年3月15日公開 - YouTube
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「おい。パート2は、まだか?」というのが前回の感想で、今回もまた「続きはいつだ?」とエンドクレジットを眺めながら思っていた。見方によっては3時間の予告編ではあるけれど、その上映時間の長さはストレスにはならなかった。

巨大(で縦長)な飛行物体が空中に浮かんでいるというドゥニ・ヴィルヌーヴ作品の印も印象的でIMAXのスクリーンの大きさを堪能した。と、言いたいところだけれど寄りのショットも多くせっかくの画角が無駄遣いされている感は否めない。大人数の合戦や群衆のインパクトがないわけではないしデヴィッド・リンチへの目配せを感じるショット(ある場面での耳のアップ等)など好きな映像も沢山あったけれど、映像的なチャレンジングがあったかと言われれば少し物足りなさはあった。

そういった気になるところもありながら、戦国時代の大河ドラマを観ているような権謀術数など個人的には好きなポイントもあって続きが観たくなる、そんな作品だった。ポールがフレメンの中で立場を確立していく過程での様々な葛藤や信仰や崇拝のメカニズム及びそこから派生していくテロルといったテーマが響いてくる。こうやって群衆心理が形成されて、全体主義的な社会が成り立っつ様は生々しい。知らず知らずのうちに気がつけば世界が変容していく、その恐ろしさには同時代性がある。

主人公に降りかかる運命、その展開にはスター・ウォーズ』の元ネタと言われる所以も感じた。そういう意味では、クライマックスにヤヴィンの戦い的なカタルシスが欲しかった気もするけれど、そういうカタルシスが一歩手前で得られないのは、やがて訪れる悪夢が背景にあるともいえる。そういう哀しさや寄る辺なさは、わたしの心を突いてきた。そういうのグッと来てしまうんですよ。ティモシー・シャラメからはその繊細な立ち居振る舞いの芯にある強さが感じられたし、オースティン・バトラーも良いヴィランっぷりだったし、レベッカ・ファーガソンが放つ妖しさと怪しさや出番が少ないながらも印象を残すフローレンス・ピューなどキャスト陣のパフォーマンスも高い。ゼンデイヤの僅かな瞳の光の変化で感情の機微が表されているのも良かった。

という事で何だかんだど続きが観たくなっている訳ですが、ところでサンドワームってどうやって降りるんですかね?

only dog knows 【映画】『落下の解剖学』雑感。

疑念の中に落ちていく 映画『落下の解剖学』予告編 - YouTube

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タイトルとポスタービジュアルから洗練されたミステリーを想像していたら、少しだけ肩透かしを食らったというのが率直な気持ち。とても良い作品だったとは思うけれど、もう一つという感じ。とはいえラストに訪れる赦しと救済の徴には心のどこかを突くものもあった。

目撃者のいない転落死を巡る物語は、法廷での証言の積み重ねという形で進む。同じ事象が見る角度にわって変わっていく描写は巧みで、展開にもスリルがある。とはいえ、いわゆる法廷ドラマにあるような緻密な証拠を集めていくような描写はない。「運命の逆転」のような弁護チームの作戦会議と言った場面も(ない訳ではないけれど)インパクトはないし、「評決」のような真実を求める誠実な弁護士というのも登場しない。或いは「疑惑」のような疑わしい依頼人と弁護士との丁々発止のやりもりもない。

というのも、今作は、法廷ドラマの形を取りながら、謎解きの部分は重要な要素ではない。例えば、最も印象的と言ってもよいサンドラとサミュエルの会話の様子が暴かれるシーンは、従来の男女間の関係性がボヤけていくのを意識せざるを得ないものであったし、それを簡単にフェミニズムと呼ぶのが正しいのかどうかはわからないけれど、カップルの間でのパワーバランスを巡るものへの眼差しがあった。

検察側にせよ弁護側にせよ決定的なエビデンスがない中で罪を告発または無罪を主張しなければならないように、われわれもまた〝藪の中〟の出来事についての陪審員の立場におかれている。それはすなわち、そういった社会的イシューへのスタンスを問われているようでもあって、その辺りの心理も上手く使っていたのかな、と。検察官の詰め方や弁護士の主張によってサンドラへの印象が変わっていくあたりも巧みに操作されていたのかもしれない。

サンドラを演じたザンドラ・ヒュラーの演技は素晴らしかった。感情を読み取らせないところと、微かに表情を変化させて〝何か〟を感じ取らせるところのバランスが絶妙だった。そのパフォーマンスによって、わたしたち観客もまたサンドラの運命と生き様をどのように捉えていけばいいのかと考えさせられる。

そしてそんな彼女を超えてとてつもない演技をしていたのがワンちゃんだったのです。あの表情や動き、只者ではなかった。そして、あのワンちゃんが最後に寄り添う者がこの物語の中で赦しと救済を必要としているという事なのかもしれない。

THE ONEはやっぱり日本語に限る。『3/2(土)BABYMETAL WORLD TOUR 2023-2024 LEGEND-MM』雑感。

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今回は超シートで参戦だったので開場時間を目指してゆっくりと向かう。グッズは買わないつもりだったけど、超チケット優先列の恩恵を受けてサクサクと購入。入場待機も比較的スムーズでストレスなかったけれど、路上で酒盛りしてる集団がいて何とも言えない気持ちになる。盛り上がるのは構わないけれど、みっともなくないかい?いや、ファンの民度がどうとかいう話をしたい訳ではない。そんなものはファンタジーだと思っている。ただシンプルに苛立たせる行いだったな、と。

スタンドからの眺めは良かったけれど、やはり遠さも感じるし、ピットの様子を眺めるとあそこに行きたいなぁ…とも思う。何となく冒頭はスタンドの空気に戸惑って乗り切れなかったけれど、序盤からアガるセトリだったので気がつけばいつものようにLIVEを楽しむ事ができた。

何よりSU-METALもMOAMETALも、そしてMOMOMETALも、とても楽しそうだった。冒頭あの曲で始まる事は必然でもあり必須でもあった。そう。今夜のステージは見応えがあった。セトリとしてはここ最近のオーソドックスな流れと言える。定番曲と新しめの曲と懐かしの曲がバランスよく配置されているし、MOMOMETALの見せ場もしっかり用意されていてとでも良かったと思う。

会場全体も温かい空気に包まれていたような気がする。そういう点でも、つくづく『メタり』という曲が今のBABYMETALにとってエポックなものであることを感じる。MOMOMETALの紹介としても優れていて、彼女の明るく天真爛漫な部分とコミカルなキャラクターが発揮されている。〝are you ready?〟のデスヴォイスも良い。

そしてあの曲ですよ!まあ、やるとは思ってけどやはり盛り上がるし、一瞬モニターに映ったMOMOMETALの表情も素晴らしかった。そして、あの声ね!「ああ、そうだ。こういう歌声の人だった、そういえば」と思い出したりするけれど、あの時の会場のざわつきと盛り上がりがやはり今夜のハイライトでしょうか。愛されてるなぁ、と。

わたしはこの、新生BABYMETALをまるっと受け入れている。もちろん色んな感情を持っている人がいるし、この現状を受け入れられず去っていった人がいる事も理解している。しかし、わたしにとって、この3人をBABYMETALとして享受することに全く迷いはない。一切の余白なく、そう思っている。それは今日の紙芝居にも現れていた。〝西で生まれた光が東へ向かい、メシアとして生まれる。笑顔によって輝きを与える〟確かこんな内容だったと思うけれど、それが会場全体の空気とシンクロしていた、とわたしは勝手に思っている。それは神器が放つ光のように。

アイツら、いま何してる?【映画】『犯罪都市 NO WAY OUT』雑感。

マ・ドンソクの拳が炸裂!映画『犯罪都市 NO WAY OUT』本予告 - YouTube

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ポップコーンムービーとして充分楽しめるし、マブリーちゃんの腕っぷしだけで白飯5杯系イケるのは相変わらずではあるんだけど、少し物足りなさを感じたというのが正直なところ。

冒頭で非情なヴィランの登場→マブリー登場でいつもの腕っぷしを披露して小悪党を制圧する場面→上司や仲間とのやり取り→街で犯罪発生→裏社会に乗り込み捜査→ヴィランとの対決→皆んなで打ち上げ、という定番の流れは安定していて楽しめる。んだけど、何かが足りない。

それはやっぱり前2作の強力班の面々がいないことに尽きるのかな、と。マ•ソクトが広域班に異動(出世?)した事でメンツが変わっているのは仕方がないにしても、これまであったチーム感•バディ感要素がもう少し欲しかったなぁ、と。中間管理職的な事なかれ主義のように見えて刑事としての矜持を持っていた強力班の班長のような存在が必要だったと思う。今作の広域班のリーダーや後輩たちも悪くはなかったんだけど、どちらかというとソクトがひとり暴れている感じに見えてしまってその為最後の打ち上げも今ひとつ盛り上がりに欠ける。「ROUND UP」の打ち上げの時にあったアドリブ(っぽい)で思わず笑ってしまうような緩さは、チームワーク感があってこそ。これまでにあったコイツらにまた会いたい感がないんですよね。そこが残念だった。班長に会いたい。

裏社会のチンピラ達を利用して捜査をするのもこれまでのシリーズ通りではあるんだけど、イス組のようなどこか憎めない愛嬌が欲しい。通訳させられる女の子なんて、もっと出番あってもいいような勿体ないキャラクターだった。國村隼さんも青木崇高さんも楽しそうにやっている感じで良かったけれど、こちらも、もう少し見せ場があってもという感じがするし、チュ•ソンチョルもこれまでのヴィランと比べるとスケールが小さいというか、何をするかわからない狂気がもたらす恐ろしさに欠ける印象。頭もあんまり良くないように見えるし、もう少し悪役としての気品のようなものが欲しかった。ラスボスをようやく倒したというカタルシスに欠けるのも、そこにあるのだろう。

という訳で打ち上げシーンにもワクワク感は少なかったけれど、エンディングでは続編に期待させる仕掛けもあって、それを楽しみに待つことにする。ソクトとその仲間達にもっと化学反応が起きていいればいいな、と。

アリ•アスター盛り合わせ定食。【映画】『ボーはおそれている』雑感。

24/2/16公開『ボーはおそれている』予告編 - YouTube

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面白いじゃないか、バカヤロー。これは神話。

と、いう訳で。3時間という長尺と伝え聞く評判に二の足を踏んでいたが、冒頭から惹き込まれっぱなしで最後まで突っ走っていった。ハードルが下がっていたのかもしれないけれど、メチャメチャ面白かった。コメディでもあり、ロードムービーでもあり、そしてしっかりとアリ•アスター印のホラー。

冒頭の地獄のような街から始まる旅路は、出る人出る人怪しくて厭な人しかいない。最悪な方にしか事態が転がっていかないけれど、それぞれの出会いが生み出す物語の連なりには、『神曲』のような趣きがある。〝地獄篇〟と呼びたくなる導入部から「ははん、これは段々と天国へ向かっているのだね」と思っていたら、行きたく先はまた地獄だったという絶望が続くけれど、何故か思わず笑ってしまうところも多い。そこに潜む神話的な寓意については明確にわからないし、それを解いていくつもりもない。潰される顔や奪われた表情、因習的狂気、屋根裏や炎、怪しい食事、救ってくれない神といったイメージで心をざわつかせ、人間の厭な部分を突いてくる演出にアリ•アスター作品としてのカタルシスも感じたし、迷宮世界で終始困った顔をしているホアキンを眺めるだけで充分満足してしまうような、そんな3時間だった。

作家のインナースペースを覗くような作品は、共有化しにくい極めてパーソナルな表現になるもので、時には苦痛を伴うものだし、だからこそ人によってはこの3時間は苦行に近いのかもしれない。しかし、わたしにとっては積み重ねられていく物語を体験していく悦びのようなものがあった。不条理で悪魔のような世界が続くけれど、神秘的なものを観ているような感覚があったし、何なら爽快感すら抱いていた気もする。フェリーニ、スコセッシ、リンチとの類似性もわたしなとっては親和性の高いものだった。特に得体の知れない人物とのディスコミュニケーションが生み出すノイズのようなものが、わたしの波長と合っていたのかもしれない。いや、素晴らしい作品でした。

レイトショーからの帰り道、街には酔っ払いも多く駅のホームで下半身丸出しでうなだれている人も見かけたりしたけれど、ボーの住んでいた街に比べれば、平和でのどかな風景のようにも思えた。それはまた別の話。