妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

もう頬杖はつかない。【映画】『バンブルビー』雑感。

という事で観てきましたよ。

バンブルビー』(3D:IMAXレーザー)

f:id:mousoudance:20190323200131j:imageこれはカマロ版バンブルビー

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「バンブルビー」予告編 (2018年) - YouTube

いやあ、ナメてました。まあマイケル・ベイ印のバカ映画でも楽しんでくるかな、なんて気持ちで観に行ったらとんでもない!

TFシリーズでも屈指の出来じゃねーか!そして80年代テイスト溢れる最高の青春映画!ですよ、これ。

そういう意味でヘイリー・スタインフェルドちゃんをキャスティングした事は正しい。正し過ぎる。こじらせ系思春期女子を演らせたら今この人の右に出る人はいないんじゃないかな。家族や学校で馴染めない鬱々とした思春期を過ごしている主人公である事や今は亡き父親への想いとそれに付随する挫折といったキャラクターは確かに青春映画の典型ではある。しかしそれを彼女が演じることによってグッと説得力が増す。冒頭、スミスの〝ビッグマウス・ストライクス・アゲイン〟で目覚めるチャーリー(ヘイリー・スタインフェルド)の姿。この場面でこの映画の成功(わたしにとっての)は約束されたも同然でしたね。

バンブルビーとの出会いはチャーリーにとって成長していくための過程・通過儀礼のようでもあって、チャーリーの背中を押しチャーリーを全力で守る姿はもちろん父親の理想像でもあってつまりは父親との人生のやり直しが描かれてる。

と同時に記憶を失ったバンブルビーは子供そのものでもある。彼を修理しアップデートしていくチャーリーは母親の役割をも担う。暴れる彼を時にはなだめ時に鼓舞し、最終的に「戦うのよ!バンブルビー!」と兵士の記憶を呼び覚ますスイッチとなる。この物語はバンブルビーとチャーリーそれぞれの成長物語だ。ちょっとこの映画の事を思い出したりもした。

映画「スウィート17モンスター」日本版予告 - YouTube

もちろんトランスフォーマーシリーズとしてギミック感あふれるディセプティコンやフルコンタクトの格闘シーンは見る価値がある。ちょっとマイケル・ベイ印とは思えない絶妙なバランスで配置されている。このあたりは監督のトラヴィス・ナイトの功績だろう。

個人的なお気に入りはクライマックスでのバンブルビーディセプティコンの格闘を背景にしチャーリーが逃げるシーン。上手く言えないけど80年代的空気を感じる構図と画面のルックがとにかく美しい。CG技術の高度さ云々の問題ではなく、とにかくグッとくるシーンだった。

笑えるシーンも多く、ビーがチャーリーの渡したスミスの音楽テープ

ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム

ストレンジウェイズ、ヒア・ウイ・カム

 

をペッと吐き出す場面は思わず吹き出してしまったし(アレだな、ビーは「スミスはクイーン・イズ・デッドまで」派だな?という戯言はともかく、これが後々泣ける伏線になってるのもニクい)、カーチェイスの場面(「いや、マイアミ・バイス風に」)も楽しい。メモとの初々しい関係も実に青春映画チックで良いよね。

あとチャーリーの家族がみんなでアルフ観て笑ってるのもなんかツボだった。あそこ吹き替えだともちろん所ジョージ小松政夫なんだよね?

という事で平成の終わる今、昭和末期そしてバブル真っ只中の青春映画を味わうのもなかなかオツなものだと思います。いやマジおススメ!

Simple Minds - Don't you Forget About Me (The Breakfast Club) - YouTube

私の力、試してみる?【映画】『キャプテン・マーベル』(IMAXレーザー3D)雑感。

ほとんどの物語には恋愛の要素が大小様々な形で取り入れられている。それを否定する訳ではないが安易にそれを利用して誤魔化される事には抵抗したい。

という事で観てきましたよ。

キャプテン・マーベル

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映画『キャプテン・マーベル』本予告 - YouTube

まずですね。IMAXレーザー。いや綺麗でした!ちょっと席の位置が良くなかった(リアスピーカーに近すぎた)けど、画面はくっきりクリアで明るい。

あと冒頭のマーベルロゴのパラパラムービーのところ、泣けます。

さて。

そういう意味では本作は意図的にそうしているような気がして、あまりポリティカルな解釈をするのも好みではないし、話がややこしくなるので避けたいが、とにかく女性が闘う物語だった。

そしてまさかの猫!猫ちゃん映画ですよ!これ!

あと終盤の戦闘シーンの、まるでデス・スターでの闘いのようなスピード感。そこだけ切り取って観ればスターウォーズの新作だと言っても違和感ないくらいのカッコよさ。

予告の段階で「ブリー・ラーソンねぇ…。いい役者だとは思うけどMCUの世界とはそぐわないような気がするなぁ…」と思ってた自分を叱りつけてやりたい。ブリー・ラーソン、良かったですよ!

その点では「ワンダーウーマン」のガル・ガドットちゃんも素晴らしく強さと美しさを兼ね備えた最強のキャラクターであったが、彼女には恋の物語があった。今回のブリー・ラーソンにはそれがない。そんな暇はないとばかりに〝使命〟をやり遂げようとする。

記憶を失った彼女がキャプテン・マーベルとなる過程において過去の記憶がキーワードとなっており、アネット・ベニングが演じるキャラクターが重要となってくる訳だが、ネタバレしない程度に言うと〝虐げられた者たちの歴史〟とでもなるだろうか。だからこそ幼少期から次第に成長していく過程でそれぞれの〝屈辱の歴史〟をはねのけるように立ち上がっていく姿にわたしは涙した。

「お前には出来ない。引っ込んでいろ」と言われ続け思い込まされてきた過去を清算するかのようにパワーを覚醒させるキャプテン・マーベルにわたしは拍手を送りたい。これはフェミニズムミソジニーも関係ない。社会への矯正を強いられ屈辱を受けた者のリベンジの物語だ。その矯正から解放された時、彼女のパワーは無敵となる。その姿はかっこよく痛快。

もう一つ価値観をシフトさせる要素としては正義とは何か?ってところだろうか。結局、正しい世界・真なる世界などというものはなく、正義は相対的で立ち位置一つである大きく変わる。あるキャラクターが言うように「私の手だって血で汚れている」という話だ。 ではキャプテン・マーベルの正義はどこにあるのか。おそらくは「私をどう扱ってきたか」に対しての行動になるのかなぁ。

 

キャプテン・マーベルが過去と対峙するシーンの導入部で流れるのはこの曲だ。

Come As You Are

Come As You Are

そして彼女は覚醒する。

その男、無自覚につき。【映画】『運び屋』雑感。

何事も突き詰めていくとシンプルなところへ行き着くのかもしれない。と同時にそこへ至るまでの蓄積がどれだけ塗り重ねられているかどうかで、そのシンプルな見た目にどれだけ奥深さが与えられるのか左右されるのかな、なんて。

と言う事で観てきましたよ。

『運び屋』

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クリント・イーストウッド監督・主演『運び屋』特報 - YouTube

派手な構図や編集がある訳ではない。非常にシンプルで正攻法なスタイルでありながら画面から立ち上がる非凡さというか気品というようなものがあるのは流石イーストウッドという他ない。

ブラッドリー・クーパーマイケル・ペーニャローレンス・フィッシュバーンダイアン・ウィーストアンディ・ガルシアと言った〝有名どころ〟のキャストはもちろんの事、余り名前の知られていない役者や演技経験のない素人であっても彼の作品の中に存在する事でその佇まいに独特のものが産まれる。

通常エキストラ的な人が画面に現れるとどうしてもそのぎこちなさが違和感となってしまうものだが、イーストウッド作品にはそれがない。例えば序盤にアールが訪れる百合の品評会で彼を出迎える女性の振る舞いのなんと自然な事か。画面にそういう気品さを与える事が出来ているだけで素晴らしい。

「家庭を顧みず仕事に没入してきた男が、人生の終盤を迎えその過去を清算しようとする」というストーリーの骨格とイーストウッド自身を投影したかのようなアールのキャラクターを見れば、なるほど確かに懺悔の映画なのかもしれない。もちろんそれはその通りではあるが、この作品はそれだけではない。

ていうかブラックコメディロードムービーですよ!これは。

アール爺さんは何だかんだとノリノリで運び屋やっている。ガレージの若者達と段々と親しくなっていく様やフリオやサルがアールに振り回されながらも巻き込まれていく姿は微笑ましくもある。 

またアールの無自覚な差別意識もここまでくるともはやギャグで。事あるごとに人種差別・移民差別的ギャグを連発するアールだが、それに対して本気で怒る人間はこの作品には出てこない。ほとんどの人間はただただ呆れるだけだ。言葉通りの意味で確信犯だから何を言っても仕方がないというか。ハイウェイでパンクした家族を助けるところの酷さは笑うしかなくて。冷静に訂正されても全く悪びれず「ああ、そうなのか」くらいしか言わない。ある意味アールは差別してないとすら言える。いや言えないか。

繰り返されるハイウェイの移動。シンプルな移動の繰り返しは同時に観客がその道中に馴染みを感じる事に重なる。モーテルの駐車場やガレージのところは来た時の不思議な安心感。それだけに途中、ハゲ&髭の怖い兄ちゃんに森に連れてかれるところの不気味さが際立つ。上手いよねぇ。

バイク集団に会うところも好きなシーンのひとつ。道中で自分の知らない世界の人間と接触するのもロードムービーの要素のひとつ。あれがある事でアールがただ運び屋をしているだけでなく人生の旅をしているということが判る。

そう、アールは90歳にして新たな冒険に出ている。そしてあらゆる人の人生を変えていく。人生の清算や家族の再生はもちろん大事だ。だからこそのあの行動であり決断をした。でもまだ老いは受け入れてはいない。まだまだやる。

ほら。見てみろよ。まだデイリリー作れるんだよ!

という訳でイーストウッドが人生を懺悔し遺言のような作品を目指したのかと思ったら、まだまだ現役で行くぜ宣言でした。ありがとうござました。

聖なる酔っ払いの宴。わたしもあなたもチャンピオン。3/15(金)『毎日眉村ちあき〜クリトリック・リス編〜』@新宿レッドクロス 雑感。

大好きな映画『シド&ナンシー』にこんなシーンがある。ジドとナンシーが路地裏でキスしてるのだがその背景に壊れたテレビやガラクタ類が降り注いでくる。暗い路地裏でトラッシュだらけの画面だったけど何故だかとても美しい。

映画【シド・アンド・ナンシー 30周年デジタル・リマスター版】予告 - YouTube

という事で行ってきましたよ。

『毎日眉村ちあき最終日〜クリトリック・リス編』

f:id:mousoudance:20190315232855j:image看板撮るの忘れてた。

クリトリック・リス

スギムさんのステージはまるっきり初めてだったけどいや凄かった。

様々なトラックをバックに彼が紡ぎ出すのはマージナル(周辺)にいるような人々の姿だ。

ロシア人女性とたこ焼き屋を開こうとする男、売れないバンドマン、定食屋で焼きめしとライス大を頼んだサラリーマン…etc.といったメインストリームにいない人たち。世界の周辺/縁にいるような人間の哀しい生活を映し出す。それはわたし達の姿でもある。

自分の人生を投影したかと思われる曲もあり、コミカルと同時に非常に哀しくそして美しい。

ルー・リードがニューヨークを描くように東大阪を舞台に人間ドラマを我々にぶつける、といったら流石に褒めすぎだろうか。〝肉が食えない少年とおじい〟をテーマした曲は、猟奇的展開がニック・ケイヴのようでもあり。ってそれは明らかに言い過ぎ!

下品で卑近で生々しくスカムと言われる彼の表現には、しかしそこから立ち昇る文学的美しさがあって気がつけば聴いている者の心をグッと掴む。掴まれて良いのかは分からないけど。

時折フロアに降りてきたその姿は文字通り〝肉体がむき出し〟って感じでその異物感が妙な興奮を産む。

あと見よう見まねでやった「ライス&ライス」のコールの不思議なカタルシスは何なんですかね。

f:id:mousoudance:20190316005954j:imageボケた写真が益々異物感度を増幅させる。

最後は「それではちっちゃん(スギムさん〝ちちゃん〟じゃなくてこう呼んでるように聞こえるけどどう?)に繋ぎまーす!」と叫びながらのクラウドサーフ。

いやー良いものをみせて貰いました!

そして我らが大天使、眉村ちあきさんの登場。

「今日はスギムさんと前にツーマンした時の髪型にしてきたのー」との事。おさげツインという感じで、はい可愛い。

ちなみにスギムさんも後で「俺もあの時とおんなじ髪型にしてきたんやでー」と言っていましたな。

序盤早々に「スクワットブンブン」でフロアの温度を1℃上げる。その時はただだだ楽しいなぁーって思ってたけど後々考えてみるとこれは準備体操だったんだな、と。何しろデカイじじいばっかりですからね。「開国だ」は相変わらずカッコいい。

荻窪選手権」ではスギムさんがお月様に。

f:id:mousoudance:20190316065722j:imagef:id:mousoudance:20190316065730j:image

そして「インドのりんご屋さん」。サーフしながらのブンバボンボンはいつも通り楽しいんだけど、

f:id:mousoudance:20190316081224j:imageサーフ真っ只中に自分がいるのはしばらくぶりな気がします。

これが噂のちちゃんが立った!ですか!

f:id:mousoudance:20190316081307j:imageここはもちろん縦長構図で。

その興奮冷めやらぬままに突入した「書き下ろしの主題歌」

わたし自身この曲ライブで聴くの多分初めてのはずなのでよく判ってないのだが、所謂ベタなアイドル的空間になってた。それがパロディとしての振る舞いなのかよくわからなかったけど、まあ曲が最高だったので満足です。最後に皆がケチャでばばばーっと手を差し伸べて行くところは眉村さんも一瞬仰け反ってたな。

MCでも言ってる通り強靭な身体を持つ彼女も、流石にこの5日間はかなりの消耗をもたらしたようで。ってそりゃ当たり前だ。ただでさえ5日連続Liveが大変な上に海千山千、手練手管のツワモノ達を相手にしての対バン。喉も枯れるわ。

という事で途中で水を飲む眉村さんだったが、口に含んだ水をだらーっと出したかと思えば今度は噴き出す準備をする。「さあ、噴き出すのか?」と思えばゴックンと飲み干す。この辺りは何だかんだと品の良さが現れるね。 

「奇跡、神の子、天才犬」ではフロアに降り立ち踊りまくる。なんか写真か映像撮った気がするんだけどマトモなモノは残ってなかった。

f:id:mousoudance:20190316130223j:imageこれでフロアの雰囲気をお察し下さい。

わたしはと言えば、とにかく不恰好に痙攣したかのような踊りをしてだと思う。目の前の眉村さんにドギマギしたんだからしょうがない。

さて「ナックルセンス」です。

どうも昨日あたりからモッシュが起きるというじゃありませんか。まあそうは言っても軽い感じでしょ?と思ったら周りからの圧がそれなりに。「そうか。そういう事なら…」とf:id:mousoudance:20190316160107j:image精神で臨む。まさかこの現場で眼鏡落ちそうになるとは思いませんでした。前や後ろから来る人を背中押して送り出したりしたのも久しぶりな気がします。

嗚呼、脳汁出し過ぎて記憶がごちゃごちゃだけど泣きそうになりながら、というか泣きながら歌ったのは「なんだっけ」だったか「本気のラブソング」だったか。いずれにしても今日はいつにも増して会場のひとりひとりの目を見て歌っていたように思う。この5日間を惜しむように。

最後の「ピッコロ虫」、いつも通りの長い即興前振りからの導入が好き。即興は何言ってたんだったかな、音痴な人の話をしたのはこの時じゃなかったかな?そうそう、教習所全然行ってないって話あったな。いやそんな事はともかく。最近はまた〝小松菜奈になってますよに〟に戻ってきましたね。個人的に〝なってなくてもいい〟バージョン好きなのでまたやって欲しい。

そしてアンコール。

スギムさんも一緒になっての「We are the Champions」がこの夜は一層胸に響いて。声枯らしながらも5日間をやり遂げた眉村さんも、対バン相手の皆さんも、クリトリック・リスの世界で描かれる愛すべきクズたちも、そしてこのフロアにいる皆んな、眉村さんがMCで言うように「誰一人かけても今夜のこの時は成り立たない」そんな夜に参加できたわたし達。みーーーんなチャンピオンだ!

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そして最後はドンルクで大大大大大団円!

f:id:mousoudance:20190316154646j:imageまたこのツーマン観たい!そんな事脳汁出しまくってすっからかんになった頭で考えながら東新宿へ向かうのでした。

不器用な僕らの為にこんな夜はある。〜3/13 毎日眉村ちあき〜ひとりTOMOVSKY編〜@新宿レッドクロス 雑感。

という事で

「毎日眉村ちあき〜ひとりTOMOVSKY編」

行ってきました。

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まずはひとりTOMOVSKYから。

※曲名は不正確かもしれません。

年代的にはズッパマリなんだけど、何だかんだとLiveは初見。

松葉杖で登場し2分早く演奏を開始。

「まずは新曲から…」と「寄り添うふたり」(だったかな?)を。マツバ ツエさんという愛人を歌った曲。

病院でMRI撮ったというエピソードから作られたというMRIという新曲。これがまた良くて。インダストリアルかと思わせるビートと自然と口から出るコール&レスポンスが心地よい。

いや楽しいじゃないですか!

自分の実体験をもとに自然発生的に曲を産んでいく様は眉村さんのスタイルへ継承されているような気もしてくる。

コラボでは眉村さんが〝フリースタイル縦笛〟とスネアで参戦。いつもながらリズムを取る時の動きがカッコいい。

「元気だってことを証明してやる!」と宣言して始まった「フジミ」。客先にいるマユムラー氏の上にまたがりフロアに降りてくるトモフさん。もう写真撮る暇なくてただただ叫んでた。みんな笑顔。因みに株主総会で謀叛を起こした岡田取締役も満面の笑顔でその様子を見ていましたね。

〝向かない事はやめちゃえば良い。スキップボタン押せばいいよ〟と言って始まる「SKIP」や〝人間関係が苦手だろ?君たち〟と言いながらの「ひとりに戻るんだ」がとてもとても心に沁みてくる。

 

そして眉村ちあきさんの登場。

初日、2日目の様子は分からないけど今日は何というか対バン相手としのぎを削ってゴリゴリ化学反応を起こす、というよりはまさに親子のようにトモフさんに包まれながらのステージだった気がする。最初は眉村さんも客席の空気を手探りで掴もうとしている感もあったような気がしないでもないが、徐々にペースを掴んできた印象。

「Queeeeeeeeeen!」はやはり素晴らしいし、「トリプルキングミツバチ」が聴けたのも嬉しい!初「スクワットぶんぶん」も体験できた。腕グルグルしながらスクワットして歌う姿が…はい、かわええ

f:id:mousoudance:20190314002123j:imagef:id:mousoudance:20190314000253j:imageほとんど写真撮らなかった。

スケートで骨折したマユムラー?のお見舞いに行ったエピソードからの「面会」「ピュア」で響き渡る声には相変わらず圧倒される。

〝ウンコを漏らした〟エピソードからの「ピッコロ虫」のなんと崇高で最高な事か。楽屋口からトモフさんの松葉杖さんも参加してハッピーな空間だった。そういえば最近は〝小松菜奈にならなくても良い→小松菜奈になってますように〟に戻ってるけど何か心境の変化あったのかな。

本編ラストは「ビバ☆青春☆カメ☆トマト」で再びフロアに降りてきてのシングアロング。おそらく誰かが撮っているであろう画像や映像に無防備で満面笑みの自分の姿が映っていることだろう。オレオレオレオレ、オレダァァァーーーーー!

 

そしてアンコールでの親子共演。

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ふたりの即興的小芝居のシンクロ具合が奇跡的とすら感じるほどで。永遠に続くかと思ったくらい。あのライオンになるくだりに感じる不思議なカタルシスは何だろう。そこからの「ホメラレテル」(カタカナにしたい気分)でのフロアに溢れる多幸感。

最後に楽屋に引っ込む間際に「ばん!」と眉村さんを撃つトモフさんの唐突さも絶妙だった。トモフさんに撃たれた眉村さんにフロアの皆が撃たれてこの日のステージは幕を閉じた。

トモフさんは「お前ら人間関係苦手だろ?良いんだよ、独りでも。独りは楽しいぞ」と言い、眉村さんは「皆を歌で幸せにするのが私の使命。皆の事、肯定してあげるから」と言う。一見全く別なことを言っているようでいて、ふたりとも不器用な私たちに寄り添うようなスタンスでこちらへ語りかける。その優しさが身体の中へジンワリと沁みてくる。そんな夜だった。

 

f:id:mousoudance:20190314065149j:imageおまけ。チェキで「人間漏らしてナンボですよ!」と言ったら「漏らした数だけ強くなれる!」と力強い名言を頂きました。「ガブガブ!」と言われてかなりドキドキしてる図。

ドライビング・ミスター・バラロンガ。【映画】『グリーン ブック』雑感。

ドライビングMissデイジー』が作品賞を受賞した1989年度のオスカー受賞式でキム・ベイジンガーが「作品賞ノミネートにふさわしい作品が漏れている。それは『ドゥ・ザ・ライト・シング』よ!」と言って喝采を浴びたというエピソードは有名だ。

という事で観てきました。

『グリーン ブック』

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【公式】『グリーンブック』3.1(金)公開/本予告 - YouTube

予告編や様々な状況から『ドライビングMissデイジー』の設定を反転させただけの優等生的作品という印象を抱いていた。結果としてそれは半分正解で半分正解ではなかった。

この作品が不幸なのは政治的なトピックとして語られてしまう事だろう。その点から観ると根源的な部分で批判をする事は実は容易い。

試してみる。

 

ドン・シャーリーは成功者であり、カーネギーホールの上階に住んで象牙を飾るくらいに富も名声も得ている。不当に思える逮捕という状況にあっても電話一本で差別的な署長の態度を一変させるだけの立場にある。バーで殴られ屈辱的な扱いを受けても、腕っ節の強い白人が現れて助けてくれる。

この映画の中でドン・シャーリーに手を差し伸べ助けを出すのは皆、〝理解のある白人達〟だ。ドン・シャーリーが社会的に生きていく為には白人側に歩み寄るしかない。彼のパーティは開かれず、白人側のパーティへ手土産持って訪ねるしかない。そうしなければ一人寂しくカティサークを飲むことしか出来ない。

そもそもトニーはドン・シャーリーの演奏に感動し〝見直した〟だけであって、もしピアノの才能もなく畑で下働きをしているような者に対しても同じようなリスペクトをするのか?

最終的にドン・シャーリーは後部座席で寝っ転がるトニーを乗せて自ら運転して家に送り届ける。結局、それがアフロアメリカンの役割としてサブリミナル的に描かれている。

だからこれはホワイトスプレイニングだ、と。

 

やや誇張して揚げ足取り的に書いてみた部分はあるが、こういった批判は全く的外れという訳でもない。こういう感じ方をした人は少なくないはずだ。

しかし実はこの作品は、この作品への批判の要因ともなっている〝理解あるリベラル層〟への批判も内包しているように思える。

例えば作中、演奏会において彼の功績を称えスターとして扱いながらも室内のトイレは頑として貸さないとかレストランでの食事を許さないといった者たちの姿は皮肉な見方をすれば今回この作品にオスカーを与えた層への批判でもあって、賞賛の影でどう思っているかなんて知れたもんじゃない。そういう意味では前述の批判ポイントだけでこの作品を評価してしまうのも単純過ぎる気もしている。もし仮にそういう意図があったならオスカー受賞はかなりアイロニー的状況だ。

マハーシャラ・アリの気品あふれる佇まいはもちろん素晴らしくオスカーに相応しい。ちょっとした手の仕草や眼差しの表現力がやはり段違いだ。ヴィゴ・モーテンセンも愚直だが親しみ感のあるキャラクターを嫌味なく演じていた。演技陣達の仕事は一流と言っていい。

ただ最後にこの作品の瑕疵を挙げるとすれば、映画的刺激が足りないというところだろうか。やはり全体的にウェルメイドで優等生的な枠に収まっている印象が強い。あとはせっかくのロードムービーなのにそのダイナミズムが感じられない事だ。長い移動による変化が(トニーとドン・シャーリーの関係性の変化はあるにせよ)もう少しあっても良いような気がした、かな。

あ、ケンタッキーフライドチキンは思ったより食べたくはならなかった。

デスクトップは整理しましょう。【映画】『スパイダーマン:スパイダーバース』雑感。

エンドクレジットの後におまけ映像が付くパターンは今や珍しくもなくなった。本編自体のオチ的なモノや或いはMCUにおける次回作への布石など色んなケースがある。

という事で観てきました。

スパイダーマン:スパイダーバース』

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 「スパイダーマン:スパイダーバース」予告編 3 (2018年) - YouTube

しかし、たまに本編にもシリーズにも関係ない単なる別作品の予告編がくっついてる事もある。いきなりオマケ映像始まったと思ったらX-MENの特別映像で詐欺にあった気分になった事があるけど、この『スパイダーバース』の映像を始めて観たのも確か『ヴェノム』のオマケ映像だった。

正直その時は「ふーん。今度は子供がスパイダーマンなんだ…」くらいのテンションだったんですが…。

いや最高じゃねーか!!!!

サム・ライミ版からマーク・ウェッブ版、そしてMCU版と幾度となくリブートを繰り返されるピーター・パーカーの物語にやや食傷気味であった事実はあって、「スパイダーマンの世界は一体いくつあるのよ?本当のピーター・パーカーは誰?」という当然の疑問が生まれる。

そういった疑問やモヤモヤを一気にかっさらうかのような設定が痛快で、メタ的なアプローチも含めて素晴らしかった。

そういう意味でアニメーションによるアプローチは正しい。様々な次元のスパイダーマンがそれぞれの次元にそった〝絵柄〟として登場する事で多元的世界がシンプルに表現できる。

スパイダーマンノワールやスパイダー・ハムもさることながら、やはりペニー・パーカーの異化効果たるや!ちょっと流石にどうかと思うスレスレの絵柄が絶妙で、「ああ、この人は別次元から来たな」というのが一目瞭然だ。ちなみに声をあててる人は日系アメリカ人のキミコ・グレンさんですが、何というか日本のアニメっぽい声質を上手く表現されていたと思う。どことなく英語も日本語っぽいというか。

主人公がアフリ&ヒスパニック系アメリカ人である事や多元世界から集まるキャラクターはまさにダイバーシティの表れ(マイルスのルームメイトもアジア系?)であって、ともすればアメリカのエンタメ界の〝リベラルの主張〟が透けて見えそうになるけどそんな話はどうでも良くて。

ストーリーのひとつの軸であるマイルスの成長譚や親子関係も勿論わたしを熱くさせた要因のひとつだ。マイルスの思春期真っ只中のような逡巡やスパイダーマンとしての覚醒シーンには胸熱くなる。スーツを自分好みにアレンジしニューヨークの街をスウィングしながら最終決着の地に向かう姿には思わず身を乗り出しそうになった。

しかしやはりピーター・パーカー。彼の物語にグッと心掴まされてしまう。マイルスがいる世界のピーター・パーカーは完璧だ。若く才能があり美しい妻がいて颯爽と世界を救っている。

それに比べて別次元から現れたピーター・B・パーカーは典型的な中年だ。仕事に追われるうちに家庭を顧みず離婚、腹は出てくるし老いがひしひしと忍び寄ってくる。そんな彼がマイルスの世界でスパイダーマンとして何かを取り戻す姿にわたしは感情移入してしまう。登場直後に情けない姿で登場した彼が次第に頼もしく見えてくる点やキングピンの研究所に侵入した際の軽妙なやりとりや活躍振りもまた心地よい。

そして自己犠牲によって世界を救おうと決断する姿はまさしくスパイダーマン/ピーター・パーカーであり、その美しさに「あ。やっぱお前スパイダーマンじゃねーか!」と涙出そうになる。

世界を救う事は、すなわち元の世界で上手く行かなかった自分の人生の落とし前でもあるし、ピーター・パーカーが死んでしまったこの世界(とそこで生きているMJ)へ対しての責任の果たし方でもある。

この作品はマイルスの成長譚であると同時にピーター・パーカーがスパイダーマンを救い、そして赦しを求める物語だ。と、わたしには感じられた。そして、そこにわたしは熱くなる。ついでに言えばキングピンの行いも〝赦し〟と〝救済〟が動機なんだよね。

気がつけば無精髭で中年太りのピーター・パーカーがめちゃくちゃカッコよく見える。「ガキも悪くないね」

という事で作り手の心意気がガツンと伝わるし、泣いて笑って胸熱くなる最高の映画です!

 

あ。そうそう、劇場出た後に男性3人組がいて感想を言い合っているようで「どうよ!グウェン最高じゃね?」的な事言ってて心の中でサムズアップしておきました。