妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

「わたしの育てた部下達だ。奴らはミスしないぞ」【映画】『ハンターキラー 潜航せよ』雑感。

子供の頃は映画は二本立てが当たり前で。基本的にはお目当ての作品におまけ的にくっついてくる方は期待出来ない物が多かったんだけど、時折拾い物的にいい作品に出会える時がある。

ロッキー3』と一緒に観た『カリフォルニア・ドールズ』とかね。

という事で観てきました。

『ハンターキラー 潜航せよ』

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そういう意味でこの作品はそういう〝拾い物的な楽しさ〟を感じさせてくれる系と言える。あるいは銀座シネパトス感というか。ビデオスルーされたけどレンタルしてみたら面白かった的というか。ジェラルド・バトラーゲイリー・オールドマンが出ていながら画面から漂う(良い意味での)B級オーラがある種のスパイスにもなっている気がする。

確かにツッコミどころがないわけではない。ロシア人同士の場面での英語の台詞とか荒唐無稽な展開(米露それぞれ首脳のマヌケさ)とかゲイリー・オールドマンの無駄遣いぶりとか…。

しかしそういった部分はそれほど気にならなくて「細けぇこたぁ良いんだよ!」スピリットで乗り切る作品が時々ある。『バトルシップ』とかね。参考→いや、私らも仕事で来てますんで…。 『バトルシップ』 - 残像つれづれダイアリー

潜水艦物としてのスリルやサスペンスは良く出来ているし、キャラクターの描き方も丁度良いバランスでそういう所も好印象。

途中の機雷原を潜り抜けようとする場面は何となく宇宙戦艦ヤマトデスラー機雷を思い出したし、特殊潜航艇の活躍とある種の厄災っぷりには第三艦橋の悲哀を感じたりもしたが、それは余り関係ないですね。

フラグの回収の仕方もスマートかつカタルシスがあって良い。絶体絶命!どうなる??って場面での解決方法の気持ち良さ!ネイビーシールズ新入り君!ロシア原潜艦長!ロシア駆逐艦のアレ!ネイビーシールズ隊長!ロシア大統領SP!

あと余計なラブロマンスがない所や主人公のトラウマや過去を過剰に描いてない所もポイント高い。そういったデコレーションは極力削ぎ落として職務に忠実な者たちの矜持にポイントを絞っているのがわたし達の心を掴むのかもしれない。

ペンタゴンやロシアのクーデター側の描き方がやや間抜けに描かれているのに反して 潜水艦の乗組員や特殊部隊チーム、ロシア駆逐艦側や大統領のSP達などなど現場で動く人間達に焦点を当てている。

それぞれ自分の職務を全うしようとして行動していて、その結果として自己犠牲やヒロイックな働きが産まれてく。そこにアツクなれるかどうかがこの作品好きになれるかどうかの別れ道ですね、きっと。

どうやら北米市場では今ひとつ受けてないらしんだけど、まあそれも判る気がする。「USA!USA!」出来るかっていうと出来ないからね。まあ多分そういう事なんだろうな、と。

あとはどことなく90年代的なダサさがない事もなくて、いやそれが個人的にはクセになる味付けではあるんだけど、そうかそういう意味では平成の終わりに観ておくのも良いのではないでしょうか。オススメします!

いやしかしマジで何で出たんだろうね、ゲイリー・オールドマン

酔いどれ大天使の子守唄を聴け!【映画】『夢の音』雑感。

映画の見方は色々で「好きな役者が出ているから」でも「とにかく派手なアクションが観たい」でも各々が好きなスタンスで接すれば良い。とにかく楽しめればOKというのもそれはそれで正解だ。

という事で観てきました。

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『夢の音』

予告編→ https://youtu.be/HRlz6jdCjAM

言うまでもなく眉村ちあきという存在ありきでわたしはこの映画の存在を知った。彼女に出会っていなければこの作品も観ることもなかったと思う。それがわたしの鑑賞前のスタンスだ。

さて。

最初にですね、上映時間が99分なんですよ。真面目な話、これは重要なポイントです。映画は基本100分くらいに収まるのが正しくて、いや確かに2時間3時間で良い映画ってのは勿論ありますが、それはどちらかというとイレギュラーな話。だいたい良い映画ってのは100分くらいにまとまってます。それだけでポイントアップです。

プロの役者でない人が中心のキャスティングは確かに拙い印象を与える。或いは(正直それが意図的なのかどうか図りかねているのだが)録音もアマチュア感のある印象で、特に屋外ロケのシーンで街頭の雑音(風や電車の音)がそのまま取り込まれている事から考えるにおそらくそういった〝プロ的なテクニック〟を敢えて除外した形で撮影されている印象を受けた。

結果的にこれは成功していて、少なくともわたしは何度か鳥肌を立てる事になる。そういった画面の中で葵(眉村ちあき)が歌い始めると一気にその歌のパワーがこちらにインパクトを与える。

特にShowroom配信で葵が「お前らの為に捧げる子守唄だ」と覚醒したかのように歌い始める刹那は素晴らしい。その瞬間を捉えただけでこの映画は成功したと言える。実はエンドロールでこれが〝薫に捧げる子守唄〟だという事が判るのだが、このあと葵は2度子守唄を歌う。それぞれ捧げる相手は違う。友と姉にそれぞれ捧げられた子守唄の場面はいずれも感情を揺さぶられた。

そう彼/彼女達は葵の唄に赦され救われ癒されている。そしてそれはわたし達も同じだ。

正直に言うなら、気になる箇所がいくつかないわけではない。しかしそれはこの映画の瑕疵にはならない。そんな事が気にならないほど唄のシーンは素晴らしい。ある意味ベタな千夏(佐久間みなみ)や夢乃(小田夢乃)を巡る救いや赦しの場面も好印象を持ったくらいだ。

終盤ある場面で葵の唄を真正面から受け止めるしかない仕掛けがある。一瞬の戸惑いすらあたえ兼ねないこの数十秒の試みからも、眉村ちあきという存在、そのパワーを世間に知らしめようとする監督の意図や想いを感じた。

 

とかなんとか言ってますがわたしはほとんどの時間、ニヤニヤしてるただのオタクとなっていた。いやだってトイレでパン食う眉村さんとかギターをワザと下手に弾く眉村さんとかお姉ちゃんと喧嘩してんのに頭には可愛いウサギ乗っけてる眉村さんとか謝罪会見してる眉村さんとかが観られるんですよ!ニヤニヤしないでいられます?

吉祥寺ココマルシアターでの上映も終わるという事で最後にキャスト達の〝ありがとう動画〟が流れた。皆さんがそれぞれの思いを伝える中で我らが大天使ちちゃんの最高で最狂な動画で全てがぶっ飛んだ気がする。そしてそこでもしっかりエールを送るあたり、流石です。

あー眉村さんのLive早く行きてーな。そんな気持ちになったのでした。

貧乏ゆすりの数だけ爆弾は落ちる。【映画】『バイス』雑感。

時に映画は奇跡的な瞬間を捉えるもので。

という事で観てきました。

バイス

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予告編→ https://youtu.be/JWnR16WnmFk

いや、開始から締めくくりまで最高でしたね。予想以上にコメディ色も強く、最後の最後まで皮肉が効いている。

その一方で〝悪名高き人物〟としてチェイニーを声高に批判する事に終始する訳ではなく、コメディ的手法を巧みに使いながらも左右の思想のバランスを取っていたような印象だ。

確かに功罪で言えば〝罪〟の部分にフォーカスは当てられているかもしれない。しかし同時にチェイニーという人物の複雑さがこの物語を単なる政治的な批判に留まらずに、ある種の人間ドラマへと昇華させている。例えば次女メアリーのセクシャリティを巡る彼のスタンスとそれがもたらすドラマなどは一層そのキャラクターを複雑なものにしている。

実在する人物である事と実際に起きてしまった出来事を脇に置けば、チェイニーという人物の立身出世のカタルシスとある高みに到達した人間のみが見る景色には否定できない〝何か〟があるように感じられる。

コメディとしてはかなりブラックで、それがまた凄まじいスパイスになっている。かなり好みのスタンス。個人的なツボは〝第1部完〟のナレーション、ブッシュ・ジュニアとの会談シーンでの釣りのシーンとのカットバック、そしてラストのあの一言!この三箇所は肩が揺れるくらい笑ったなぁ。あとチェイニー、ブッシュ親子、コリン・パウエルの再現度も素晴らしかったけどライス国務長官の再現レベル!

クリスチャン・ベイルについてはその〝カメレオン〟振りばかりが強調されているが、瞳の輝きから変化させているようにすら感じる。立ち振る舞いから沸き立つオーラがやはり段違い。

思わず目を見張ったのは序盤の若い頃のチェイニーが妻であるリン(エイミー・アダムス)に責め立てられている場面で彼の顔にハエが止まったシーンだ。神妙にしている表情をテトテトとは歩くハエ。そのハエは切り返しのリンのカットにも映っていて彼女の袖に止まっていてやがて飛び立っていった。これが偶然に起こったことなのか意図的な演出なのかは分からないが、これが偶然であれば奇跡的な瞬間だし、意図的な演出だとすればそれはそれで細かいやり方でその時の状況を物語っている。いずれにしても思わず声を上げそうになる瞬間だった。

イラク空爆といったポリティカルなイシューについては基本、煽情的になり過ぎずスマートな語り口を心がけているようだ。それでも対イラク開戦を宣言するブッシュ大統領の貧乏ゆすりと空爆に怯えるイラク市民の震えの対比等、こちらの心にアタックする表現が随所にありインパクトを与える。この辺りは巧みだ。

戦死者数や市民の被害者数そしてテロ行為での死者数といった数字の羅列或いは一元的執政府論が今でも有効だという事実の提示は「これ、今も結構ヤバイのよ?」というシグナルではある。

ではあるが、一方で終盤のチェイニーの独白シーンを単なる開き直りの悪態という事には気が引けるし、そこに魂の叫びのようなものを感じてしまうのだ。

それがまた困るところで。

結局のところリベラルも保守もどっちもクソだし醜く争ってるだけなのか?じゃあどうすれば良いのか?

何も考えずにワイスピでも観てるしかないんだね。

愛と平成のベスト4を堪能する夜。 4/10(水) フィロソフィーのダンス Experimental Forbidden Night Vol.2@ 渋谷 O-nest雑感

ここに来てまさかの冬モードでコートを引っ張り出す寒さ。寒いのは良いんだけどスタンディングLiveの日は荷物の扱いに困りますな。

という事で行ってきました。

『Experimental Forbidden Night Vol.2』

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休養していたおとはすが復帰したLive。ただし今度はハルちゃんが体調不良との事。しかしLiveは4人で演るとのアナウンスがあり安心するやら心配するやらの心境でO-nestに到着。

前回同様パンパンの場内。しかし前回よりも密集度は高いように感じる。

冒頭から「ベスト4」「好感度あげたい!」への流れでもうブチ上がる。更に「コモンセンス・バスターズ」とか!!

最初のMCで今回の企画がパートシャッフルと説明がある。ほほう、そう来ましたか。結果としてあんぬちゃんとおとはすがフィーチャーされる事になる訳で。企画ものとしてはアリ。これは楽しそう。

あんぬちゃんからのヒューリスティック・シティ」でもうアレですよ、白飯5杯オカズなしでイケちゃうモードですよ。マリリちゃんのトロ味とはまた違う爽やかな感じで新鮮。ハルちゃんが「あんちゃんのヒューリスティック…聴きたかった」というのも頷ける。

おとはす始まりの「エポケー・チャンス」も可愛い感じでこれまた楽しい。復帰したおとはす、相変わらず可愛さとクールな格好良さが同居していて。いやドキドキしますな。

ハルちゃんは体調不良を感じさせないパフォーマンス+可能な限り負担をかけない配慮があったような気がする。

大好きな「ソバージュ・イマージュ」では4人ともジュリ扇持ってのバブルモード。いつもの蕎麦ダンス(と勝手に呼んでる)はないけど、何となく合ってる感じがするから不思議。良くは見えなかったけどハルちゃんはバブリーなスタイルで登場していた模様。こういうとこ、良いよね。

「パレーシア」はおとはす始まり。ふふ。可愛らしい色気とでも申しましょうか、それを堪能していた矢先に途中から肌を露わにしたボディコンマリリの登場。エチエチ砲が凄い。胸元結構開いてません?

その後のMCでおとはすが「私たち大人にやらされてる訳じゃないですからね。奥津マリリは自分から胸出してる」と。それに応えて「皆んなが喜ぶ事ならやるよー!」とマリリちゃん。

それにしてもこの夜はマリリちゃん(とハルちゃん)が隙あらばという感じでおとはすにチュッチュチュッチュしている。もちろん復帰してきた彼女に対する愛情の表れであるのだが、いずれにしても過剰なドラマ性を持ち込まないのが良いね。それは休養となった背景が深刻なものではない(と信じたい)事の証しでもあるし、そういうエピソードを無理に「感動のストーリー」に変える事をしないというスタンスには共感を抱く。

いやもちろんストーリーも大事だ。嫌いじゃない。2011年のももクロ女祭りのコノウタエピソードのようなものに心動かされるのも事実。

でも今の彼女達にそういう飾り付けはいらない気がするな。例えば今日のハルちゃんは万全ではなかったんだろう。でもそんな姿は少しも見せずに笑顔でパフォーマンスする彼女は素晴らしい。その素晴らしさに敬意を表して必要以上にストーリーを乗っける必要はないだろう。目を大きく見開いておとはすの真似をしているくらいが丁度いい。そういう軽やかなところが彼女達の魅力のひとつではある。と、わたしは思う。

アルゴリズムの海」「熱帯夜のように」も良かったですねぇ。途中から通常モードに戻るあたりもまた良い感じのカタルシスがあってよろしいですね。

本編ラストは「ライブ・ライフ」で締め。ここはいつも通りのパート割で。パートシャッフルも勿論楽しかったけど、通常モードはやっぱ、コレだよ感はあるよね。なんだかんだ言って。あんぬちゃんの兄貴感溢れる「はいっラストー!」は今日も健在。

アンコールの「パラドックスがたりない」で終了。全員写真は誰の発案だったか〝おとはすポーズ〟で。「なんか強調してるヤツ、特定して追っかけるからな!」とおとはす。罰だかご褒美だか分からん。

この日はテレビ取材(「フィロのス亭」の密着?)があるという事で特典会もタイトに進む。あんぬちゃんに今日の「ヒューリスティック・シティ」の良さを伝えようと思っていたのにいざ目の前にすると「平成も終わりますねぇ…」とか「vol.3(女性限定Live)も来ます!」という今夜の寒さに合わせたようなしょっぱいギャグしか言えない自分に心底呆れる。勿論、あんぬちゃんは天使の微笑みで見つめてくれている。

そして傘を会場に忘れたわたしは雨に濡れながら道玄坂を下っていくのでした。

しんみり…させねーーーよ!4/7(日)『全曲眉村ちあき 1部・2部』@マウントレーニアホール 雑感。

渋谷のプライム6階と言えば昔映画館だった訳で、渋谷シネセゾンとあと松竹系だったかな?の映画館があったんですよ。同じく渋谷にあって今はWWWになったシネセゾンと並んで、ちょっと気の利いた映画はここでやってた気がする。ブレードランナーのディレクターズカットをガラガラの状態で観た記憶あり。

という事で行ってきました。

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『全曲眉村ちあき

f:id:mousoudance:20190407171826j:imagef:id:mousoudance:20190407171831j:imageしかし今はお習字ブームなんですかね?

昼の部、夜の部の2部構成で全曲を演るというこの企画。全席指定という状態ながらも、そんな事で彼女の自由度は制限されないというか。サーフは言わずもがな、最近会得した客の上を歩く技も発揮。

2階席にも何度か行ったり会場内を駆け巡る姿は相変わらず。彼女の現場に豆粒という概念は存在しない。

ダブルアンコールを含めても「これでもオンタイムなんだよ!」という通り〝あたかもメジャー感〟な進行。更にMCが少なめでありながらもステージとわたし達の距離を感じないのはもちろん彼女が観客のひとりひとりの顔を見ながら(寝てたらバレちゃう!)Liveを行なってるからで、きっとさいたまスーパーアリーナでやっても同じように演るだろうね。

【昼の部】

昼の部の衣装は宇宙服にツイン団子という大好きなスタイル。だんだんと団子が少しずつ(しかも片っぽ)緩くなるのも好き。

f:id:mousoudance:20190408000819j:imageなんか火星に降り立ったクールな宇宙飛行士感あり。

f:id:mousoudance:20190408001543j:imageはい。かわいい。

f:id:mousoudance:20190408181408j:imageはい。カッコイイ。

f:id:mousoudance:20190408181948j:image「宇宙に行った副作用」のカンペ。

開演前にアナウンスされたセトリ予想はムズイので最初から諦めてたけどラストが〝ピッコロ虫〟というのだけは当たった。

昼の部での「おじさん」は今日も素晴らしく。いつも以上に感情をぶつけるような歌い方で、誤解を恐れず言えば音程やリズムが多少乱れても構わないくらいにエモエモのエモ。

「大阪」も久しぶりに聴いた気がします。途中で今度ビッグキャットで演るワンマンに触れ、〝昔はCD持っていっても門前払いだった〟と言いながら、それが恨み節にはならず〝私を育ててくれてありがとう大阪〟となるあたりが流石。

「面会」では途中から完全なアンプラグドになってギターのラインもオフ、声も生声に。多分これはやろうと思ってたんじゃなくて偶然だと思ってる。途中たまたまマイクから離れて声が生音になった時、会場の空気が「あ。生声いいね」という空気になったと思うんですよ。少なくともわたしはそう思ってて、そういう空気を眉村ちあきという人は一瞬で察するんですよね。で、マイクからもっと離れてオフで歌う。と同時にギターのラインもオフにして完全なアンプラグドにする。多分、これをコンマ数秒の間に判断してやってると思う。いやこれは染みた!

あと「代々木公園」ね。〝もっといたいけど、明日会うために今日は早く寝ようね〟って歌詞。いや泣くでしょ、こんなの。わたしは代々木公園で眉村さん達と遊んだ事はないけどそんなわたしでさえ包み込むような曲。こんなの泣くでしょ。眉村さんも途中涙ぐんでて終わり頃には万雷の拍手が起きるくらいのカタルシスがあった。んですけど!

ここで唐突に「顎削ってるかー!」と〝あごけずりゆうこ〟が始まるというね。いやー涙引っ込んで鼻汁出ましたよ。

昼の部ラストは「ピッコロ虫」これは予想当たった。てかまあ大半の人の予想通りだよね。この前のMCだったかな、「私の細胞ひとつひとつが眉村ちあきです」ってパワーワード頂きました。

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f:id:mousoudance:20190408182123j:image紅白を意識した?衣装。自慢げ。

えーと。ここまででまだ昼の部の話です。

【夜の部】

「1部で演る事やり切ったから2部中止ね」と言われておりましたが無事開催していただきました夜の部。

夜の部はなんとなくホールLiveを会得したかのような印象。何がどうという訳でもないけどパッケージとして成熟したというか。

f:id:mousoudance:20190408070617j:imagef:id:mousoudance:20190408070612j:image忘れられたホウキですらエンタメ化する人

f:id:mousoudance:20190408182849j:imagef:id:mousoudance:20190408073043j:image荻窪選手権のセクシーポーズからのキメ!

個人的ハイライトはいくつかあるけど、まずは「なんだっけ?」から「ちゃら(んぽらん)」の流れ。「なんだっけ?」の中では歌詞を変えて(細かいところ覚えてないんだけど)天才だの才能だのと言われることに対してドンと来いよ、と引き受ける意思のようなものを感じた。そこからの「ちゃら」がまた素晴らしくて…。多分ライブで観たの初めてな気がする。あの「だからー」って歌い始めるとこ漏らしそうになるね。どこかで小さく歓声上がってたけど、いやアレはそうしたくなる気持ちもわかる。

f:id:mousoudance:20190408071951j:imagef:id:mousoudance:20190408072031j:imageカッコいいお姿。

「開国だ」も凄かったですね。わたしがLiveで聴くのは2回目かな?最初に聴いた時もそのバラエティに富んだ曲調にのけぞったけれど、今日はそれにも増して圧倒的なパフォーマンス。赤い照明の中で両手を広げるところなんざぁ、鳥肌モンですぜ、旦那。

f:id:mousoudance:20190408001256j:imagef:id:mousoudance:20190408001252j:imagef:id:mousoudance:20190408182351j:imageしかしこれは画像では伝わらない。

f:id:mousoudance:20190408183422j:imagef:id:mousoudance:20190408183428j:imagef:id:mousoudance:20190408183432j:imagef:id:mousoudance:20190408183417j:imagef:id:mousoudance:20190408183437j:image自由に踊るお姿。

「インドのりんご屋さん」ではクリスマスの船上パーティー以来だろうか、ドラゴンボールが集められてました。

 

白眉だったのはアンコールの「オペラ(夜の女王のアリア)」ですよ!動画で見かけた事もあったけどLiveでは初体験!いやーびっくりしました。びっくりしたしか言えないけど、とにかく凄かったです。あのパフォーマンスはスタンディングオベーションに相応しい。

f:id:mousoudance:20190408062054j:imagef:id:mousoudance:20190408062556j:image凄い凄い!そしてこの落差!

夜の部の「ピッコロ虫」で。久々に〝小松菜奈にならなくても良い〟バージョンだったのでお得感あり。

f:id:mousoudance:20190408071133j:imagef:id:mousoudance:20190408071146j:image花吹雪が紅白の大トリ感。そして自作自演のジャンプ。かっこええ!

悔やまれるのは最後の「奇跡・神の子・天才犬」で眉村さんが「おい。道がないぞ!道が!」と言われてフロアを通過する為の〝道〟になるという千載一遇のチャンスを迎えたのにビビって出て行けなかった事だ。

f:id:mousoudance:20190408074421j:imagef:id:mousoudance:20190408074443j:image背中を踏んで進んで頂くという重責を担いたかった…。

そして大団円の「ウィー・アー・ザ・チャンピオン」!!

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いやはや楽しすぎました!

これは個人的な印象だけど昼の部は過去を慈しみつつ成長へのスタートを切る感じ、夜の部は成長し自信を持ってさらなる高みを目指すステージだったように思える。具体的な説明は出来ない。なんとなくそう感じました。

さて、次のLiveはいつかな。早くもワクワクとドキドキが止まりません。

グングン伸びる身長、成長痛のビートに酔いしれる。新しい学校のリーダーズ4/6(土)『2ndアルバム「若気ガイタル」レコ発! 無名ですけど東名阪ツアー〜有名になんかなりたくない、なりたいけど。〜其の二』@渋谷WWWX雑感。

身体はひとつしかない。だから行きたい現場が重なったなら、どちらかを選ぶしかないのです。

という事で行ってきました。

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2ndアルバム「若気ガイタル」レコ発! 無名ですけど東名阪ツアー〜有名になんかなりたくない、なりたいけど。〜其の二

 

去年の駒場祭がファーストコンタクト。その時に気になってアルバム購入。当然2ndもゲット。そして眉村さんとDOTAMAさんとの3マンを最前で目撃してから完全に虜に。

そして満を辞してのワンマン参戦です。

結論。

最高でした!

ロビーのあちこちに貼ってあった貼り紙は場内にも沢山飾られている。

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客入れのBGM…と言っていいのかどうか分からないが開演待ちの間にTVKの「関内デビル」のコーナー「1チェーン8万⁉︎むむむのむ!」やAC広告パロ風の「学校でのウンコ、悪くない運動」という映像、幸楽苑のキャンペーンCMなどが流れる。

そして卒業式の答辞風なMCで開幕。この時だったかな、踊ってる最中のとんでもない一瞬を捉えた写真(メンバーの顔がかなりヤバイ事になってるヤツ)が映る。こういうところが信用できるよね。

手作り感溢れる紅白の垂れ幕の向こうに現れるシルエット、それだけで場内が盛り上がる。垂れ幕が降りて「試験前夜」でスタート。はい、もうカッコいい。「最終人類」ではOTA氏がステージで踊り狂ってたりする。推せる!

彼女達のステージにはとにかく圧倒される。生バンドとの相性も良い。そしてやはり踊りだよね。彼女達の踊りはコンテンポラリーダンスでありヒップホップでありバレエでありジャスである。そしてそのどれでもない。ある種の演劇的なステージングでストーリー性を感じる部分もある。

ダンス。関節のひとつひとつを全て使うような動き。その関節には指一本一本の関節も含まれる。そして彼女達の踊りを他ならぬものにしているのはその表情の豊かさではないだろうか。関節どころか表情筋の一本一本まで使い切るような彼女達の表情。その素晴らしさは4人のダンスを見ているだけでもおかず無しで白飯5杯はイケる感じ、と言えば伝わるだろうか。

あれ、何の曲だったかな間奏のところでみんなが歯をくいしばるような笑顔見せるとかとか、「楽園にて、わたし地獄」の時のSUZUKA &RINコンビがバックで踊ってる時の首振りとか。いやーカッコいいなぁ。

嗚呼、もう最高過ぎてどの曲での出来事だったか記憶が混濁している。MIZYUが組体操見たいにすっくと立ち上がるのは「チラチラチラミー」だったかな?あとSUZUKAがKANONの腹をドンドンドンと殴り続ける振りがあるの何だっけ?あれ最後にKANONが1発殴り返すとこ、好き。(SNS上で「恋ゲバ」と教えて頂きました!)

途中のMCでは各自が自己紹介。それぞれSUZUKA →タラバガニ、RIN →ボブ・サップに殴られた剛力彩芽、MIZYU→幸楽苑キャンペーンガールKANON →エジプトに移住した菜々緒。各自半紙に書かれたお習字を持っていてそれを最前の人たちにあげていた。

バッキバキのパフォーマンスの一方でこういうユルイふざけた一面を見せる所…好き。タケモトピアノのパロとかね。

結局わたしが好きになるような人達は皆そういう面を持っている気がする。Perfume、ベビメタ、フィロのス、眉村ちあき…みんなそういうユーモアというか各自が独自の笑いのセンスがある。そしてそこに生まれるギャップでわたし達をクラクラとさせる。

 クライマックスはやはりH ZETT Mパイセンとのコラボ。ビートがズンズン来る「恋ゲバ」、MIZYUフィーチャリングの「雨夜の接吻」も素晴らしかったが、なんと言っても〝エンドレス青春〟からの「迷えば尊し」カタルシス!いやーもう最高以上の言葉があれば良いのに。最高としか言えません。

そして「ピロティ」で迎えるエンディングがまた良くて…。この曲は元々好きな曲だけど、Liveでこれほどエモーショナルな気分になるとは正直意外だった。手を振り共に歌い身体を揺らせて…終わりゆく文化祭を惜しむような物哀しさと達成感のような。いや良い締めくくりです。

アンコールではアッズーリユニで登場。「まさ毛カンナヴァーロのMVをバックにしてパフォーマンスをする4人。いやしかしあんなふざけた格好をしているのに何でこんなにカッコイイのでしょうか!そしてアッズーリユニをセクシーに脱ぎ、ラストは「学校行けやあ」(濁音がうまく表現できない)でオーラス。あー楽しかった!

終演後はあちこちの壁に貼ってある〝お習字〟をお持ち帰り。

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とのアナウンス通り皆殺伐とする事なく静かに思い思いに剥がして持って帰る。背が低くて届かない人の為に高い所にあるのを取ってあげる人もいたりして実に平和な光景だった。

わたしは紆余曲折ありこちらをゲット。

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どこかでSUZUKAが言っていたように「まだまだ身長が伸びて成長痛が聴こえている」状態を目撃できた幸せ。

彼女達がグングンと大きくなっていくのをこれから見られるのかと思うとワクワクとドキドキが止まりません!

その覆面の下にあるものは…。【映画】『ブラック・クランズマン』雑感。

スパイク・リーの初期作品『school daze』は〝wake up〟という叫びで締めくくられ、『do the right thing』は〝wake up〟という言葉が幕開けとなっている。

という事で観てきました。

『ブラック・クランズマン』

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ブラック・クランズマン - 映画予告編 スパイク・リー監督最新作 - YouTube

今作でも何度か〝wake up〟という台詞が出てくる。いずれも主人公であるロンに向けられているものだが同時にそれは観客へ向けられている。

この〝目覚めよ〟というメッセージには大きく2つの意味があるだろう。

ひとつは抑圧されている者たちへの「戦え!」というメッセージ。クワメ・トゥーレの集会のシーンがとても念入りに描かれている事からも分かる通りそのメッセージはストレートに叫ばれる。そのアジテーションは潜入捜査官であるはずのロンにも少なからず影響を与えている。

もうひとつは抑圧している者へ罪の自覚を促すようなメッセージだ。冒頭の白人至上主義者の主張やエンディングでのトランプ大統領の演説の生々しさを見せつける事でそれを強調しているかのように感じられた。

そうしたヒリヒリとしたメッセージに挟まれながら物語は潜入捜査モノとしてのエンターテイメント要素を織り込みながら進んでいく。

ロンは冒頭政治的主張については曖昧な立場を表明している。警察官登用に際した面接の中での彼の発言は言ってみれば当たり障りがない。もちろん面接の場において振る舞いとしてある程度の虚飾はあるにしても、ほぼそれがロンの立ち位置だろう。

これはロンの替わりにKKKへ潜入するフリップも同様でユダヤ人である彼も自らのアイデンティティについてはほぼ無自覚だ。むしろ一般白人のアメリカ人としてノンポリに生きてきている。

黒人が白人になりすまして差別主義者を演じ、ユダヤ人がWASPになりすまして差別主義者を演じて潜入捜査を行うという設定はなかなか巧みだ。単純に潜入がバレるかバレないかというサスペンスもあるし、差別主義者達を告発できるかどうか、というドラマ性もある。

ロンの立ち位置は非常に絶妙なバランスにあると思う。もちろん彼もアフロアメリカンとしての自覚はあってブラック・パワーの主張に感化されてはいる。その指導者的存在のクワメ・トゥーレの信奉者であるパトリスとロンはしばしば意見を交わす。パトリスは自身が受けた屈辱的経験から警官を蔑称で呼ぶがロンは「全ての警官が差別主義者な訳ではない」と主張する。しかしパトリスはそれを受け入れない。敵は敵だ、と。

パトリスはブラック・パワーの世界を唯一無二の〝真なる世界〟として捉えている。しかしその思想は余りにもラディカルであってスパイク・リーも確かにその思想に寄り添ってはいるし、作品内の主張と相似形ではあるだろう。しかし多少のバッファ部分があるはずだ。それがロンのキャラクターに現れている気がする。それは『do the right thing 』におけるムーキーの立ち位置に近いだろうか。

一方フリップもユダヤ人である事を隠しながら潜入捜査をしている。彼は二重の意味で身分を偽らなければならない。刑事である事とユダヤ人である事。彼は黒人への差別を口にするのと同様に自らのアイデンティティであるユダヤ人への差別を口にする必要がある。ユダヤ人への聞くに耐えない差別表現を聞き入れ、更にはその上を行く悪態をつく事を強いられる。ホロコーストが捏造だと言われた時にも巧みにすり抜けなければ生き延びる事が出来ない。まるで踏み絵のように。それにしてもあの切り抜け方は最高のブラックユーモアだった。様々なブラックユーモアが散りばめららている今作だが不思議なシーンがあった。フリップをロン(が電話で話すキャラクター)に同化させるという理由で、〝黒人らしい話し方〟をレクチャーするところだ。白人至上主義者になりきる為には本来必要ないはずだ。まあ単なる違和感ギャグなのかな。他に意味があるのかも。

もうひとつこの作品に仕掛けられた罠があるような気がする。罠というのはいささか言い過ぎかな。

作中で描かれる過激な差別主義者や革命運動家は勿論役者がキャラクターとして演じている。当然のことながら彼/彼女の思想とは関係ない。差別主義者が差別主義者を演じているわけではない。(むしろ逆だろう)

しかしそういった台詞を頻繁に口にするとき、思わずこう思ってはしまわないだろうか。

これは実は自分の内なる声ではないのか?

と。自分の中にある差別主義的思考や或いは過激な革命的思考が今呼び起こされているのではないか、と。そういう恐怖(とばかりも言えないのかもしれないが)を感じるように仕向けられているのではないか、と。自らの罪に気づけ!と。

ラストの集会シーン。白装束の中の顔は明かされない。しかし執拗に移される瞳のアップ。その正体が誰であるのかと考えていくと段々と背筋が凍るような恐ろしさを感じてしまう。

人種差別という課題は過去の話ではなく現代においてアクチュアルである事実を突きつけらてこの映画は終わる。そこに何を見出すか。