妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

特異点の向こう側。『11/7(木)Singularity7 Bentham/フィロソフィーのダンス』@下北沢Garden 雑感

わたしのハッピーが誰かのハッピーとは限らないし、とするならばより多くの人がハッピーになれる事が正しいあり方なのかと言えば、それもよくわかからない。

だからまあ自分のハッピーを求めるしかないのかしらね。

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という事で観てきました。

『Singularity 7』

下北沢Gardenは久しぶり。一年ほど前にハマり始めた頃、定期公演に何度か通った思い出深いと言えば思い出深いハコでもあり、こういう規模でフィロのスを観られる機会もこれからなかなかないだろうな、と思いつつ会場に向かう。

客入れ曲はプリンス祭り。いやー良いですね、当たり前だけど。LIVEバージョンのパープルレインも素晴らしいし、曲名知らないけどブルージーな曲もグッとくる。シーラEの事も思い出してみたり。

 

Bentham

相変わらずコンテンポラリーな音楽事情に疎くまるっきりの初見。ドラムの鈴木さんがフィロのス(とnuance)好きというだけで信用して良い気がするからこわい。

その鈴木さんが作ったという曲は最初「ブラーじゃねーか!!!」とか思ったりもしたが、それはともかく彼らの楽曲は全体的にバランスの取れた印象。そういうとこじんまりとまとまったようにも思えてしまうけど、例えばラストの〝do you wanna dance?〟(で良いのかな?)に見られるグルーヴ感はなかなかで、いや楽しめました。

 

フィロソフィーのダンス

何というのだろう。ノーナリーヴスとの対バン。あれがある意味シンギュラリティ=特異点であったかのように、この夜の(というか今の)フィロのスは安定感があって、盤石。

もうどの曲をどの順番でやろうが間違いない。積み重ねてきたものへの自信すら伺える堂々としたパッケージ。

いきなり〝すききらいアンチノミー〟〝コモンセンス・バスターズ〟を持ってくるのも良かったけど、やっぱり〝バイタル・テンプテーション〟〝ドグマティック・ドラマティック〟のシームレスな繋ぎ、ヤバかった!!!!痒いところに手が届くセトリ。

アルゴリズムの海〟の導入では僅かな時間だけど静寂の空間があり、4人がステージで動くときのステージが軋む音や腕を動かした時の空気を斬る音が聴こえたような気すら感じたのはGardenというハコが産み出すマジックだったのかもしれない。彼女達の息吹が伝わるようなそんな一瞬でした。

いつも観る度に新しい発見があるのだけれど、今日は〝ヒューリスティック・シティ〟のある一場面を。ハルちゃんとあんぬちゃんが歌うパートで、2人が互いの腕を掴んで踊るところがある。そこでクイっと相手を引き寄せる仕草があってそれがとでも印象的だった。確か前半と後半の計2回あったと思うけど、そのタイミング、身体の角度などなどがわたしの何かを掴んで離さなかった。いや、今度またじっくりみよう。

後半のアゲアゲセトリも隙がない。ハルちゃんや奥津さんが時折入れてくるフェイクも決して無理していたり取ってつけたような違和感がなく、LIVE特有のウネリのようなものを感じる。貫禄、その2文字。

この日はMCグダグダだと彼女達は言っていたけど、むしろその分LIVEに魂がこもっていたし、息を切らしながら話する4人はそれだけで輝いていて。そんな中でも彼女達らしい会話がありました。ベンサムさんの下ネタ話から展開した会話。

ハルちゃん「わたしが楽屋にいてお尻出すときはみんなが太鼓みたいに叩いてくる」おとはす「じゃあ今度フィロのス亭でやってよ、尻太鼓」ハルちゃん「えー!やだー!みんなに見られるの!マリリにやってもらう」奥津さん「(てっきりノってくると思ったら)ちょっと!簡単に差し出さないでよ!(わたしのお尻)」そしてそれを慈悲深い微笑みで眺めるあんぬちゃん。ふふふ。ベスト4ですね。

アンコールでの〝ダンス・ファウンダー〟はもちろん素晴らしいのだけど、個人的に目に焼き付けておきたいのはあんぬちゃんの締めの一瞬。最後のキメポーズをバシッと決めてそこにも兄貴感があったけどそのまま「おっしゃーーー!」的に軽くガッツポーズというか腕をスッと掲げたところ、マジカッコ良かったです!!

という事でツアーも始まりますが、成功間違いなしでわたしはファイナルで特異点の向こう側を目撃するのを楽しみにしています。

アナログな身体こそが最先端テクノロジー。『10/26(土)Reframe2019 @ LINE CUBE SHIBUYA』雑感。

Perfumeの印象として「最新鋭のテクノロジーを活かしたパフォーマンス」というキーワードを思い浮かべる人がほとんどだろうし、それに対してネガティブなスタンスを持つ人も一定数いるだろう。

例えばdocomoの5G技術をアピールする事を目的としたこれ。YouTube

東京、ロンドン、NYという3都市にバラバラに存在している3人が最新の通信技術を駆使してシンクロしたパフォーマンスを行う、というこの企画。もちろんとんでもなく離れた地点をタイムラグなく繋げてシンクロさせているのは最新鋭のデジタル技術だ。しかし、このパフォーマンスを成り立たせているのはPerfumeの3人、その生身の身体が作り出すアナログな動きに他ならない。

印象的な場面がある。一連のパフォーマンスを終え、3人が感想を言い合うMCの時間があった。そこでは5g技術を使わない通信システムだったのでそれぞれ数秒のタイムラグが生じている。そこでいつもの「かしゆかです、あ〜ちゃんです、のっちです」をやろうとしてもズレズレでグダグダになってしまう訳で、最初はそれにキャッキャッしていた3人が「じゃあ、そのタイムラグを計算に入れて合わせてみようよ」と即興でトライして見事に成功させていたのだ。「やっぱりdocomoさんの技術ないと大変じゃねぇ」というあ〜ちゃんだったが、奇しくも3人のアナログな身体が産み出すパフォーマンスの凄さを証明する形となったこの瞬間こそがPerfumePerfumeたらしめているもののような気がする。

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という事で全公演全席種応募して何とか1公演当選して参加する事が出来ました。

Reframe2019

渋谷公会堂がLINE CUBE SHIBUYAとしてリニューアルされたその柿落とし8公演、その7公演目に参戦。去年のReframeを観られてないので実に嬉しい。

席は3階席の真ん中あたり。ステージ全体が見渡せてなかなか良い席なのではないだろうか。

冒頭、過去の記憶がコラージュされた映像(あれ?いまBEE-HIVEとか言ってなかった?)が流れる。まさに3人の20年を総括し再構築/reframeする空間なんだな、ということが判る。

やがてステージに3人の姿が現れるがそれが映像なのかどうなのかが一種判断出来ない。ステージそのものも空間に浮かんでいるようにも見えて現実世界の境界線が歪んだような感覚に落ちる。

着席鑑賞というスタイルはLIVEというよりは観劇に近いかも知れない。最初の〝DISPLAY〟終わりに拍手をして良いものか躊躇する空気が客席中に広がり、結局拍手はしないという無言の共通認識がそこで生まれた。

軽く足先や指先でリズムをとる程度の動きはどうしても制御出来なかった(〝edge〟とか無理でしょ!!)が、基本は静かにその空間を体験する1時間だった。

〝FUSION 〟のカッコよさは本日も現在でスクリーンに映し出される3人のシルエットの動きがとにかく素晴らしい。FPツアーでも感じた一見シンプルなのに高いレベルの技術が駆使されているという印象は変わらない。むしろ強くなった。そしてさっきも言ったように、そのパフォーマンスは3人の生身の身体が産み出すグルーヴやバイブスがあってこそ成り立つもので、だからこそわたし達を感動させる。これは何度観ても飽きない。

シングル曲のジャケットポーズ?を取り続けるシークエンスも良かった。延々とタイトルを言いながらフォーメーションを見せる3人の姿がわたし達に与える不思議なエモーション。なんなんですかね、あの気持ち。

あとAポーズで仁王立ちしているのっちをかしゆかあ〜ちゃんが手持ちカメラで撮ってるのは何の時だったっけ?スキャンしてたんだっけな?ちょっと記憶が曖昧に…。

あ〜ちゃんが言うように「変わらないけど変わり続ける」Perfume、それがテーマのひとつだったのかもしれない。最先端のテクノロジーの裏にある地道で時には泥臭くもあった歴史、その積み重ねが今のPerfumeを産んでいる。というのはややセンチメンタル過ぎるかな?いや、でもホントそうだと思う。

終盤に向かって段々と演出がシンプルに研ぎ澄まされていったのも面白い。〝DreamLand〟の時のオーロラのようなカーテンは、それが布のカーテンなのか映像処理なのか判別できないほどだったが、いずれにせよシンプルな画とダンスと歌という演出になっている。ちょっと記憶が曖昧だけどヴォーカルも処理少なめだったような…。レベル3ドームツアーの神々しいラストを想い出したり。

あともうどの曲だったか記憶をなくしてしったけどミラーボールとレーザー光線も凄かったな。シンプルでありながらも濃密な光の交差する空間。

そしてラストの〝challenger〟の若々しさ。先祖返り的なこの曲。ゴリゴリのEDMではなく原点のテクノポップとでもいうようなこの曲をラストに持ってきた事にも意味があるように思えて仕方がない。まるでこれからデビューするアイドルグループのようなフレッシュさのあるこの曲をベストアルバムの冒頭にそして再構築と銘打った公演のラストに持ってくる事の意味。それはこれからのPerfumeが変わらない何かと変わっていく何かと共に進んでいく宣言とある種の覚悟の現れだと思う。

公演のラストに堰を切ったように巻き起こった万雷の拍手とそれを浴びる3人(特にあ〜ちゃんは手を広げてそれを味わっていた)はその表情こそはっきりとは見えなかったけど、頼もしさすら感じる凛とした立ち姿だった。

公演通りから渋谷の駅まではハロウィンでたくさんの人で溢れていた。その雑踏をそれほど苦に思わなかったのは、この公演を観て気持ちがデトックスされていたからだろうか。それとも、祝祭空間が渋谷の街まで拡張されたのかもしれない。なんて。

 

余談

公演のおまけとして行われたあるテレビ収録。内容については言えないけど、その時間は実にほっこりと微笑ましいもので、Perfumeの歴史があったからこそ生まれたモノ、大袈裟に言えば伝承の一端を垣間見たような気持ちもあった。

踊ってばかりもいられないけど、踊るしかない夜。『10/24(火)choir loft Vol.17 大阪★春夏秋冬/フィロソフィーのダンス/眉村ちあき』雑感。

例えば小学校時代からの友人との関係性と高校になってからの友人との関係性は微妙に違っていて、何となくだけど住み分けている自分もいたりして。その両方がエンカウントしたときの空気って、独特なものありますよね。

という事で観てきました。

『choir loft Vol.17 大阪★春夏秋冬/フィロソフィーのダンス/眉村ちあき

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約一年前、フィロのスちゃんの定期公演に眉村さんが出てきたのを見逃しているわたしにとっては念願の組み合わせ。そこにしゅかしゅんさんも加わってるとなれば参戦しないという選択肢はない。

しかし、ここで解決しなければいけない事がある。ライブハウスにおける「お目当ては?」問題だ。対バン形式の場合は入場時に「お目当ては?」という質問に答えなければならない。複数ある出演者のうち誰をお目当てにして来たのか答えよ!という訳だ。どの出演者が集客をしたか、という指標の為だろうという事はわかるし、ほとんどの場合は「◯◯!」と即答できる。ちなみに一度わたしはこの質問に対して「え?あんぬちゃんですけど?」といって下北ガーデンのお兄ちゃんに「は???」ってされた事あります。

しかし、今回は参りますね。結局なんて言ったかは…藪の中という事で…。

 

眉村ちあき

トップバッターは眉村さんから。

もう着ないと言っていたハズのつぶつぶセットアップで登場。いつもの如く脳汁垂れ流しで早くも記憶がなくなっている。フロアではマユムラーはどちらかというと少数派だったかもしれない。初見の人も多かったと思う。

しかし、気がつけば彼女のエンタメパワーにノックアウトされたであろう事は空気でわかる。眉村さんのステージを観ている途中から、「嗚呼、今日はやっぱりアツイ夜になるぞ」というのは想像出来た。

久しぶりに聴いた〝書き下ろしの主題歌〟は改めてとんでもない曲だね。こんなに前半エッジきいてたっけ?そして「顔色が悪いな。袖につかまりな」なところでグワっと感情を鷲掴みにされる。ええ曲やね。

フリースタイルラップで「切符もPASMOもなくす」とフロウしつつ、「あ。これ即興なので」というフォローを入れた後の〝DEKI★NAI〟はこの前のリキッド以来2度目だったけど、より一層ビートが身体に響いてきましたね。ええ、わたしも、もののけ姫観ておりません。ああ、カッケー。

この日のハイライトは〝奇跡・神の子・天才犬〟のサーフからしゅかしゅんのマイナさん?の誕生日を祝う即興曲、そして〝顔面ファーラウェイ〟の流れでしょう。バシッと決まりました。

サーフは一度ステージに戻ったかと思ったらおかわりサーフがはじまりまして、久しぶりに自分の近くに来たので支えようとしつつもちょっと離れていたりと結構慌てました。

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で名前を間違えながらもしゅかしゅんのマイナさんにハッピーバースデーを贈り、そっからの〝顔面ファーラウェイ〟はキましたね。この曲も聴くたびに印象がどんどん良くなるというか、どんどんと好きになってくる。

ハルちゃんがお気に入りだという〝本気のラブソング〟では「ひとりひとりの目を見ながら歌いたいと思います」の宣言通りにフロアに仁王立ちで歌う。

ラストの〝ナックルセンス〟も最高でしたね。確かこの時だったと思うけど、留めていた髪を振りほどいて踊る姿にはグッと来ました。

フィロソフィーのダンス

そんな眉村さんの〝ナックルセンス〟の余韻も冷めやらぬまま始まったフィロのスちゃんのステージは〝DTF!〟で幕開け。これはガチンコじゃないか!

続く〝ゾンビ〟と〝エポケー・チャンス〟でフロアをあっという間に制圧してしまう。

〝パレーシア〟は久しぶりに観た気がする。ていうか観た事あっただろうか。歌舞伎町で流れるこの曲はシチュエーションばっちりで続く〝ヒューリスティック・シティ〟と合わせてチルアウトさせる時間だった。と思わせながら静かにヒートアップさせるあたりがニクイところ。

この夜はメンバーみんなバッチリ仕上げて来てる様子だったけど、特にあんぬちゃんの気合いが入っているように思えた。可愛さの中に垣間見える体育会系キャプテン感がより一層強まっているというか。髪振り乱して踊る姿がすごく…カッコ良かったです…。

〝ライブ・ライフ〟のコール練習をさせるところはもう貫禄すらあって最後の〝ダンス・ファウンダー〟まで隙のないセトリだったのではないでしょうか。

そうそう。退場する背中、今日のあんぬちゃんはアニキ感ありました。

余談ながらやたらと「オーライ!」を連発するハルちゃん。スクービードゥーに影響されたんだ、と言っていたけどそれに対して「いや、わたし昨日ライブ観に行ってたけど、そんなオーライいってたかな?」と疑問を呈するあんぬちゃんもまた良き哉。

大阪★春夏秋冬

しゅかしゅんさん、初見。

ええ、正直ナーメテーターですよ。え?こんな感じの曲なんだ、と驚きがまずあって、その後自然とフロアの熱量をコントロールする姿に感心し、気がついたら手を掲げて踊ってました。

不勉強で曲名知らないのが申し訳ないけど、最初の曲から結構心掴まされて。ちょっと激しめのエレポップというか、デジロックというか。わたしの頭の中にはジーザス・ジョーンズの名前が浮かんできました。終盤の2曲も盛り上がって、ドリンク交換の為に後方待機していたのが悔やまれる。フロアのど真ん中にいたかった。

クラウドサーフあり、程よいアジテーションありの素晴らしいステージ。いや楽しかった。という事でどなたかセトリを教えて下さい。

 

最後は3組揃ってのご挨拶。眉村さんはいつも通りのノリだったけど少し抑え気味だったような気もして。「赤ちゃんの人ー?」「はーい」のやり取りを見たしゅかしゅんの方が「おっさんがやってる…」と軽くツッコミした時、眉村さんが一瞬悲しそうな顔をしたように見えたのは気のせいだろうか。気のせいだね。

あと他の2組がメンバーでわちゃわちゃしてる時も寂しそうに見えて、少しキュンときた事を告白しておく。そしたらチェキの時に「メンバーが欲しくなったー」と言っていて、その時「わたしたちがいるじゃないですか!」とはもちろん言えず、「あーそーですねー」としか言えなかったことはともかく。

「この3組で対バンしたという事、それを観ていたと後々自慢できるような、そんな伝説の夜にしたい」と言ったのは奥津さんだったっけ?しゅかしゅんのマイナさんだったっけ?でも、ホントそんな夜だった。

MCでハルちゃんが語ったように、この3組が互いに戦友だと感じながら、切磋琢磨していく姿を追っがけていきたいと思った夜でした。

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越えられない絶望 を切り裂く舌鋒。【映画】『ガリーボーイ』雑感。

制度としての階級差はもちろん必要のないものだし、出自によって人を判断するのは愚かな事だ。その一方で人間は自らを何かの枠や型に当てはめて社会の中で生きていくものでもある。その方が楽だから。

という事で観てきました。

ガリーボーイ』

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予告編→ YouTube

この映画の登場人物達も、皆自分を捕らえている枠組みから逃げ出そうとはしながらも、なかなかその一歩が踏み出せない。そこには8mileどころではない越えられない境界線があるからだ。

主人公ムラドの父親が強権を発動しながら夢見る息子の将来を嘆くのは、おそらくはそれが叶うわけのない無謀なチャレンジだと信じて疑わないからだ。大学へ行かせてもせいぜいなれるのは小さな会社の下働きで、それなら運転手として地道に働いていた方が楽だ。夢なんて見ない方が身のためだ、と経験上思っているのだろう。

夫の重婚をなし崩し的に受け入れざるを得ない母親も、家族の前でだけヒジャブを着けているサフィーナも、闇社会から抜け出せないモインも同じだ。更にいうなら上流階級のお嬢様も、だ。

皆、自分が囚われた存在である事を自覚し恨みながらも、その枠を突破する事は出来ない。飛び出してしまったら生きていけない、そう思っているからだ。ムラドとて例外ではない。犯罪に手を染めていくモインに説教しながらも、サバイヴする為に車泥棒をするしか選択肢のないそんな抜き差しならないハードな人生を生きている。

父親の替わりに上流階級の運転手をするムラドが、パーティ会場の照明で車体がきらびやかに輝いている高級車の中に一人でいるシーンはとても象徴的だ。まるでムラドのいる世界とは別のパラレルワールドのようにそこに存在しているリッチでゴージャスな世界。

こんなシーンもあった。同じ車内にいながら(悩みにおいては貧富の差も階級差もないかのように)後部座席で泣いているお嬢様を慰める言葉をかける事はムラドには出来ない。ましてやそっと肩を抱いてあげる事など許されるわけもない。

同じ世界にいるようでいて、ハッキリとそこにある絶望的な断絶。そういった断絶を飛び越える事は容易ではない。

ムラド(やシェール達)をその出自や稼ぎで判断しないのはアメリカ人や或いはそれに準ずるスカイのような存在で、それがどういう存在かといえば、インド社会の中ではエイリアンという枠組みにいる人達だ。そういった外部からの視点なしにはムラド達は解放されることはない、ということなのだろうか。

ムラドはラップでそれを打破しようとするが、これが一歩間違うと『ホテル・ムンバイ』の少年たちのようになるのかもしれない、と思うとなかなかにクルものがある。それほどギリギリで抜き差しならない世界にいるのがムラド達だ。

踊り、歌、恋愛、それらがMV映像を交えて展開される様を見れば実はインド映画の王道フォーマットを大きく外れていない事がわかる。その上映時間の長さがテンポの悪さやストーリーが散漫になっていく様を強調しているように感じるところがないといえば嘘になる。しかしそれは裏を返せば、単なるラッパーのサクセスストーリーを直線的に描いているわけではないことの証でもあって、もっと言うならばそれが人生ってもんだ、とも思える。

だからこそムラドが吐き出すライムの数々に胸打たれてしまうし、最後には頬を水滴が伝うほどにグッとくるのかもしれない。

あ、そうそう。ちょっと思ったのはムラドはその境遇をそのまま外にぶつけるように吐き出していて、そうでない者つまりはラップバトルの相手になっているようなファッションでヒップホップやっているような連中にパンチを喰らわす。無論それは痛快ではあるのだが、一方でそういった社会的抑圧のないところにいる者達にとってヒップホップとは、ラップとは何なんだろうか。ファッションだけで、カッコいいからという理由のみでヒップホップ(に限らず自己表現全般)に取り組む事は果たして罪悪なのか。なんて事をツラツラと考えてみたりもする。答えは見つかってないけど。

ムラドを演じるランヴィール・シンはナイーヴでありながら力強さも感じさせる魅力があって良かった。ちょっとエビ中の真山ちゃんぽいスカイ役のカルキ・ケルカンも印象的だったし、ヒロイン役のアーリアー・バットもとても可愛らしかった。

でもアレだよね。瓶で人殴っちゃダメだよ。

 

追記 いとうせいこうさんの監修による字幕も可能な限りライムを意識したものになっていて、こういうところに目配せがあるかどうかは結構大事な事だと思いました。

心の刺を抜く女。『10/21(月)眉村ちあきワンマンライブ 過剰なダブルピース@恵比寿LIQUIDROOM』雑感

ついこの前まで夏で暑い暑いと言っていたのに気がつけば街に漂う空気が変わっていて、夕暮れ時に歩いていると、秋どころか冬の気配すら感じるようになってきた。だからサンタの格好は正しい。

という事で観てきました。

眉村ちあきワンマンライブ 過剰なダブルピース』

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気がつけばナマステ・インディアのステージ以来の現場。約一か月ぶりのLiveとなってしまった。動画も余り観ないので眉村さんのスピードについて行けていないところもあって、界隈でキーワード的にやり取りされている単語や言い回し等最新トピックを知らない状態だったりする。

そんなわたしから観て、この夜のステージは明らかに進化しているように感じた。箱のキャパや新規の割合の問題ではない。いやそういったものも要因の一つではあるけれど、そうではなくて眉村さんのエンタメ能力が拡張しているように思えた。

ハイライトな場面ばかりだし、またいつものように脳汁垂れ流し状態なので記憶は曖昧だけど、思い出してみる。

セトリを覚えられない病いのわたしだがいくつか印象的な流れがあった。〝おじさん〟はいつものように魂プルプルだったけど、それに続く〝あたかもレディ・ガガ〟に度肝を抜かれた。まるで〝おじさん〟へのアンサーソングのようにも聴こえるそのストーリー性。「もう幸せ貰ってる。君じゃない人にね」ってなかなか言うじゃないの!いや良かったですね。カッコ良かった。

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これ以外にわたしが初見だったのは〝DEKI★NAI〟、この夜が初披露の〝壁を見てる〟そして〝顔面ファーラウェイ〟だった。〝DEKI★NAI〟と〝壁を見てる〟はとても眉村さんらしいバラエティに富んだ個性あふれる曲でバックに流れるリリックビデオとの相乗効果もあってとても良い。

一方、〝顔面ファーラウェイ〟は眉村さんが「600万回再生を目指す(曲中では1,000万回)」というように良質なポップソングの仕上がり。裏を返せば「らしくない」と感じる人たちも多そうだなあ、というリスクもあるようにも思える曲だ。しかし、そういう見かけに騙されてはいけない。どうにも一筋縄ではいかない曲だ、これは。どこか?と言われても説明はできません。確かにわたしも曲が始まってしばらくは「ふーむ…」というスタンスだった。でも聴いていくうちに不思議な感情が湧いてくる。どういう感情なのかな、多分、なんつーの…愛ですよ、愛!という強引なシメでご勘弁下さい。

〝ちゃら〟も聴いたのはいつ以来だろう。謎の言葉が連なるところから「だからー」と歌い始める瞬間。ふふふ。素晴らしいです。

忘れてならない。この日の白眉のひとつは機材トラブルからの一連の流れ。なかなか再開出来ない状態に「じゃ。歌うか」と即興曲をやり始める眉村さん。歌っていくうちにマイクから離れて生音をフロアに響かせたかと思えば、突然の〝音楽と結婚ちよ〟!ここはマジでヤバかった。全く予想つかないところでこういう事するから恐ろしいですね。

そして〝大丈夫〟がまた素晴らしく。この曲に対して彼女がどのような感情を、どんな葛藤や複雑な思いを抱いていたかどうかは推し量る事しか出来ない。それは彼女の中にある問題で外野からとやかく言える話でもないが、一時期は「もう飽きた。この曲やらない」的な発言もあったような記憶もある。

最近はそんな事を感じさせず、ああ吹っ切れたのかなと(「え?誰目線?」というツッコミを予期しつつ)ボンヤリと思っていたが、この夜の〝大丈夫〟はそこから更に進化したと言いたい。自分自身の中にある葛藤や引っ掛かりを昇華させると同時に、聴いているわたし達の心の刺をも抜き取る、そんなビゲストラブがそこにあったような気がする。大げさでなくこの日この曲を聴いたわたしのメンタルはかなり救われた。

そういうビゲストラブは彼女の目線にもあらわれていて、いつのライブでもそうなんだけど、この夜は特に観客ひとりひとりの目を見ていたと思う。最前も後方も上手も下手も関係なく、全ての観客とこの空間を共有させたいという意志をいつも以上に強く感じた。

これからは「1,000人規模のライブを軽々しくやる」と宣言したし、とんでもない告知もあった。

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それを糧にわたしは生きていく。

ダボ・アンコー?ダボ・アンコー!!

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小指を合わせて…ハ・ミ・ダ・セ!!!『10/19(土)令和元年度 第八回はみ出しフェスティボー ぼく脳/SAKANAMON/日食なつこ/新しい学校のリーダーズ@渋谷WWW』雑感。

この夏はやついフェス、TIF、そして鬱フェスに参戦したが、どのフェスにおいても新しい学校のリーダーズはその持ち時間の短かさを感じさせない、というよりその短かさをより効果的に利用したかのようだった。特にTIFは個人的ベストアクトと呼びたいくらいでしたよ。

という事で観てきました。

『第八回はみ出しフェスティボー』

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本日も壁中にはお習字が張り巡らされている。入場するとRINさんのウェルカムDJ。いや、ブギーバックはヤバいでしょ!

ぼく脳

ニコラス・ウィンディング・レフンの映画を観ているかのような不思議な感覚と言えば言い過ぎだろうか。言い過ぎだね。でも何というか知的なクールさとバカバカしさが同居しているかのようなバランスが心地よい。

 

SAKANAMON

スリーピースの良質なパワーポップバンドかと思わせながら、「鬼」のような曲を作るあたりは一筋縄ではいかない何かを感じる。「シークレット・ロックンローラー」を歌う彼らのマージナルな者たちへの視点は共感するところもあった。

 

日食なつこ

いや、良かったですねぇ。鍵盤とドラムという編成もソリッドに音が突き刺さるようで。彼女の紡ぎ出す言葉は時に鋭利な刃物のような危うさでこちらをスパってと斬りつけるようでもありながら、同時に全てを包み込むような優しさもあって。そのアンバランスさに惹きつけられるのだろうか。いや、拍手拍手。

 

新しい学校のリーダーズ

何度かライブを観てきたけど、観る度に新しい発見がある。

〝狼の詩〟で始まってからあっという間の…何分だった?1時間?…と言うくらい終わってしまうのが惜しいと感じる時間だった。

〝席替え〟の時のバンバン!や〝透明ボーイ〟のバイバイなどシンプルだけど一音一音、或いは歌詞の一語一句に合わせるかのような踊りに改めて魅せられる。

〝ZZZ〟は今まで観たことあったかな、もしかしたら初めてかも。RINちゃんがサックスを吹く仕草の踊りをしたのはこの曲だったかしら。あれ、可愛かったですね。楽器という事で言えばMIZYUちゃんがウッドベースやキーボードを弾いてるのもあった。〝恋の遮断機〟だったっけ?いつもながら記憶が飛んでいて情けない。

それにしても、この日の〝恋の遮断機〟や〝恋ゲバ〟はいつも以上に演劇味が増しているようにも思えて。ピンスポを浴びるSUZUKAさん、ちょっとまた背伸びてません?気のせいかしら。

KANONちゃんが時折見せる大人の表情もまた美しく、クールな無表情で踊っていたかと思えば破顔させて満面の笑顔をみせる。メンバー全員に言える事だけど、この人達のこういうギャップが素晴らしいですよね。

今宵が初披露だった新曲〝オトナブルー〟は西城秀樹プラス和田アキ子とでもいうような昭和歌謡的な泥臭さと垢抜けたビートが不思議な感覚を生む。MCで「大人の女らしくなりたいのッ!」と言っていたSUZUKAちゃんでしたが、曲に入るとむしろ性別を超えたような、力強い生命力を持つ何か、とでもいうべき存在になるあたりも面白い。

この日のハイライトはやはり本編ラストを飾った〝迷えば尊し〟でしょうか。SUZUKAちゃんの熱いアジテーション、RINちゃんのリズムボックスが奏でるビート、そしてバシッとイントロドーーーーン!!!と行きたいところだがなかなか合わない。RINちゃんが「打ち合わせとタイミングが違う」と言うとMIZYU & KANON チームがすかさず「合ってる。合ってるよ。落ち着こう、誰も悪くない」とその空気を修正する。「小指合わせよう!小指」わたしは初めて見たけど彼女達の気合い入れの儀式なのだろうか。4人が小指を合わせて集中し、「ハ・ミ・ダ・セ!」と叫ぶ。(この時の動きがまたカッコいいんですよ!)そしてタイミングバッチリでスタートした〝迷えば尊し〟に震えない魂などない。控えめに言って最高でした。

アンコールで登場した4人は今回発売されたロンTを着ていて、これがまたよく似合っていて可愛い。撮影OKだったんですけど結局手振ったり身体揺らしていたりしてるのでまともな写真は撮れてません。

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渋谷ワンマンの時の本編締めくくりも確か〝ピロティ〟だったと思うけど、何というか暖かい感じの終わり方で良いですね。ここでも勿論当て振りをベースにした動きがキュート。個人的なツボは「姉はパーティ」の時のMIZYUちゃんのテールフリフリです。

はー楽しかった。おじさんも青春できた。

サイン会やはみ出しポーズの時にLiveの感動を伝えたかったけど結局は「このロンT、サイン書きやすーい!!」「ペンが良いのかな?」などと口々に言う4人をアルカイックスマイルで眺めながらウンウン頷くのみのわたし。そしてお習字はこの中から一枚をゲット出来ました。

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という事で次回のはみ出しフェスティボーもワンマンも告知され、またまた青春する楽しみが増えたのでした。

ワンス・アポン・ア・タイム・イン・リバプール【映画】『イエスタデイ』雑感。

現時点での記憶そのままに過去に行き、人生をやり直してみたいという欲望はおそらく誰しもが一度くらいは考えてみたことのある夢物語ではないだろうか。

その世界においては、過去の自分の失敗や後悔を修正しリセットする事が可能であり、また多くの点でアドバンテージを得ている訳で、その優位性を利用して万能の神として存在する事すら可能だ。

という事で観てきました。

『イエスタデイ』

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映画『イエスタデイ』予告 - YouTube

ワーキングタイトルの刻印だけで信用度が10%くらいはアップするし、リチャード・カーティス名前でさらにそれは30%加算される。ダニー・ボイルの程よいケレン味も悪くない、というか流石ではあるのだが、マイク・ニューウェルだと完璧だった気がするほどに、ロマンティック・コメディとしては申し分のない仕上がり。

ビートルズの存在しない世界、そんなものはあり得ない訳で、そもそも世の中が成り立つ訳がない。それはオアシスが誕生しないどころの話しではなくて、世界の色がなくなるほどの欠落となるはずだ。

仮に自分がそんな世界にいてもビートルズをこの世に再現させる事なんて出来ない。エリナー・リグビーの歌詞が出てこないなんてレベルではない。イエスタデイを弾き語る事すら出来ない。

主人公ジャックがそんな世界へ放り込まれたのは天啓であって彼が背負った十字架の大きさは計り知れない。彼はこの世界にビートルズを降臨させないといけないからだ。そりゃ助けてって、叫びたくもなる。(あの〝ルーフトップ・コンサート〟のヘルプ!、良かったねえ!)

所々に散りばめられているビートルズネタは全てを把握はしきれない。気がつかない細かい遊びが台詞にも隠されているのだろうとは思う。

その中でも終盤に出てくるあの人の登場はなかなかの演出であった。〝そうでなかった人生〟は〝そうであった人生〟より価値がないのか。そんな事は誰にもわからない。世界的ミュージシャンになっていなくても、寂れた漁村で友人の似顔絵描きながら静かに暮らす余生の方が遥かに幸せなのかもしれない。そういう点では少しだけ「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド」にあった救済を感じる場面でもあった。少しだけね。

リチャード・カーティスらしいラブの行ったり来たりは湿度低めでバランスもバッチリ。やや既視感のある部分も含めて安心して観ていられる。裏を返せば大きな驚きや衝撃がある訳でもないが、しかしそれはそれでノー・プロブレム。

ジャックを演じたヒメーシュ・パテルも魅力的だし、それを取り巻く家族や友人達の存在も実にそれらしい設定で楽しい。付き人のロッキーばかりでなくニックやキャロルの存在も程よくて良い。こういう友人枠の存在はメインストーリーに大きく関わる訳ではないけど間違いなく味付けとして必要であって、そういったサブキャラクターが上手く作用しているかどうかは映画の出来映えを大きく左右するものだと思っている。

そして何よりもリリー・ジェームズですよ!良かったねえ!『ベイビー・ドライバー』の時のキュートさとはまた違う魅力。その瞬間の全てが愛おしくなるような、表情や仕草の全てがとにかく可愛い。ややロマコメ仕様に過ぎるという気もしないでもないけど、そんな事が気にならないくらいに切なさとキラキラが同居していた。ちょっとジョン・ヒューズ製作の『恋しくて』を思い出してみたり。

なるほど。いってみれば十代のころに考えるちょっとバカバカしいファンタジーなのかもしれない。ありえない人生のやり直し、ドラえもんがいてくれたらなぁレベルの。しかし、それを嗤うことはわたしには出来ない。おそらく人生を折り返した今、それは必要なファンタジーなんだろうね。過去を精算する事やリセットする事は現実的には難しい。しかし、これからの人生を少しでも輝かしいものにする事は出来る。

という事を考えてみれば。最後の最後、エリーに捧ぐべきは本当はこの曲だったんじゃないかな。

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