妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

眉村ちあきnew album『劇団オギャリズム』は端っこを歩く者たちのサントラだ!

というのはもちろん口から出まかせで、そんな事言うまでもなくこのアルバムは素晴らしい。

社会のマージナル(端っこ)をヨタヨタと歩くわたし達に愛を届けるアルバム。

それで充分だ。

という事で

眉村ちあき『劇団オギャリズム』

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買ってください。

 

とは言いつつせっかくなので面倒くさいヲタクの御託を並べていきたい。

まず収録曲は以下の通り。

  1. DEKI☆NAI
  2. 壁みてる
  3. 夏のラーメンワルツ
  4. おばあちゃんがサイドスロー
  5. タイムスリッパー
  6. あたかもガガ
  7. 緑のハイヒール
  8. チャーリー
  9. スクワットブンブン
  10. 私についてこいよ
  11. スーパー・ドッグ・レオン
  12. 顔面ファラウェイ

以上13曲。※除くボーナストラック

全てのライブに行けてはいないし、全ての動画を押さえている訳ではないのだが、全く聴いたことのないのはタイムスリッパー、チャーリー、ぬ、の3曲。

発売前にこの並びを見た時、「〝緑のハイヒール〟までがA面だな」と感じた。もちろん単なる勝手な妄想だ。このアルバムはアナログを前提とした作品ではないし、そもそもそうやってアナログに置き換える事にどれだけの意味があるのかも疑問だ。

でも、何となくそういうイメージが浮かんでしまったのも事実だ。そんなイメージを残したままで、いざアルバムを通して聴いてみるとこのA面B面という区切り方も満更悪くないような気がしてきた。

繰り返しますが、これは単なる戯言、お遊びみたいなものです。「歌詞の解説は趣味じゃない」と眉村さん自身が言うようにあーでもないこーでもないとウダウダやらないでストレートに音楽を感じろ、というのがもっともな話ではある。ましてや、わたしのようなど素人がトンチンカンな事を言っているのも如何なものかとは思う。思うのですが、まあ鉄ヲタ撮り鉄乗り鉄とあるように、こんなヲタクがいても良いのかな、なんて。

さて。

〝DEKI☆NAI〟から〝緑のハイヒール〟までをA面、〝チャーリー〟から〝ぬ〟までをB面とするとA面は色んな葛藤や社会の中で生き辛さを感じている「私」のストーリーが描かれ、B面はそんな「私」が内面に抱えるモヤッとしたものを消化/昇華そして浄化して周囲に愛を振り撒いていく展開、とそんな風にわたしには感じられた。

鍵をなくしたり、電車を乗り間違えたり、LIVEがない日は部屋に引きこもったりという眉村さん自身が投影されたかのような冒頭の二曲から〝あたかもガガ〟〝緑のハイヒール〟に至るまでに歌われている「私」は大人の階段を昇っているようだ。〝おじさん〟のアンサーソングのように思える〝あたかもガガ〟ではかなり成長をしていて自分なりの幸せを見つけているし、〝緑のハイヒール〟になると周囲との溝や自分が抱える闇を踏まえつつ、そこから飛び立つような意思が見て取れる。実は個人的に感じている「緑のハイヒールを履いているのは誰だ問題」というのがあって、解釈のしようによってはなかなか面白い説になりそうだが、それはまた別の話。

このように自分を嵌め込んでいく何かから解放された「私」は〝チャーリー〟から愛を振りまく大天使となる。〝チャーリー〟を最初聴いた時に感じた開放感は上手く説明出来ないけど、色々と立ち行かない人生にエールを貰ったような気分になった事だけはハッキリしている。

〝スクワットブンブン〟での内面を見つめつつも、「そんなことよりも傘がない」的に唐突に現れる「健康にいてね」というメッセージ、続く〝私についてこいよ〟の強い意志と頼り甲斐のある背中、〝スーパードッグ・レオン〟の永遠の愛、そして〝顔面ファラウェイ〟と大いなる愛を感じる曲が続く。

〝顔面ファラウェイ〟については1/8(水)に新宿タワレコで行われたリリイベで印象的なシーンがあった。この曲の時にはコールをする者、口上を打つもの、ただ身体を揺らす者、じっとして一音一音を逃さず聴こうとする者…と色んなスタイルで眉村さんに対峙している人がいた。

そんな中で眉村さんがある場面で行なった顔芸が、まさに大いなる愛の為せる技にしか思えず、わたしはその場で笑いながら心の中で泣きそうになっていた。眉村さんのあの顔芸はこの曲に対する様々な思惑をもつ人達全てを肯定する奇跡的な瞬間だった。

コールやMIXをする者を肯定も否定しない、そのどちらも強制もしない、もちろん黙って聴いてもいい、みんな好きにしていいけど、ただ笑顔にはさせる。そんな矜持を感じた。おそらく彼女にそんな意図はなく突発的に取った行動かと思われるが、それが出来てしまうのがこの人の恐ろしさです。

ともかく。老若男女、様々なバックグラウンドを持ちそれぞれのワイルドサイドを歩いているわたし達を赦し、その魂を救済するような愛を届けるのが、このアルバムだと思っている。

生き辛さや周りとの壁、そこから生まれる孤独。それらを否定する事なく個性として受け入れ、さらにはそんな人々に寄り添うような慈愛。そんなものを感じるのです。

え?最後の〝ぬ〟?これは…解りません!眉村ちあきそのもの、というしかない曲です。これは。

 

CD盤にはボーナストラックが2曲ついている。

・アハハハハ

・チャーリー(レコーディング前日までこれになる予定だったver.)

という2曲のうち〝アハハハハ〟はまさにボーナストラック、デザートのような感覚で楽しめる。問題は〝チャーリー〟のバージョン違いだ。最初これを聴いた時は文字通り耳を疑った。通常ボーナストラックになるバージョン違いといえば、アレンジが違うとかそんなものだ。アコースティックバージョンとかデモテープとか。しかし、この〝チャーリー〟は違う。全く別な曲だ。

何がどう違うかは是非聴いてみてほしい。間違いなくひっくり返る。そしてアルバムバージョンをすぐ聴き直すだろう。そしてまたそのアルバムバージョンの歌声に震えることになる。

なのでオススメの試聴方法は、13曲まで聴いたらボーナストラックは飛ばして最初からリピートをする。何度かリピートしたのち、ひと息入れる。そして余韻を楽しみながら、おもむろにボーナストラックを再生する。そうすれば100倍幸せになれると思います。

扉は閉ざされたまま…か?【映画】『マリッジ・ストーリー』雑感。

地方都市の高校生だった頃には、もちろんシネコンなんてものもなくて、いわゆる大作系以外の良作を観るには小さなミニシアターだけが頼りだった。

しかし今我々にはNetflixがある。なんていうとCMみたいだけど、いやでもそれは本当で、ほぼリアルタイムでアメリカ産の映画が全世界で観る事が出来る。

『ローマ』の例を上げるまでもなくNetflixオリジナル作品のパワーは間違いなく映画界のメインストリートのひとつになっている。マイケル・ベイ印のド真ん中のエンタメもあれば、こういった人間の機微を丁寧に描いた作品まである幅広さ。

という事で観ました。

『マリッジ・ストーリー』

予告編https://youtu.be/hstm3h9bqPU:ニコール版

予告編https://youtu.be/qX231AKYj0Y:チャーリー版

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離婚を描いたドラマは多い。中でも最初に頭に思い浮かぶのは『クレイマー、クレイマー』だ。夫婦の離婚問題を子供の養育権に絡めて描く構造は確かに似ていて、そのアップデート版のようでもある。しかし、『クレイマー…』が結局のところ夫の方にシンパシーの重点を置いている点においてはバランスを欠いていると言えるのに比べると、今作ではニコール(スカーレット・ヨハンソン)にもチャーリー(アダム・ドライバー)にも均一な距離感を維持して描いているという印象を持った。

例えばそれは、息子のヘンリーの両親への距離の取り方に現れている。彼は自分の意思を最も大事にしていて、その意味においては両親ともに同じ距離をキープしているように見える。パパと過ごす番であろうが、行きたくなければママのとこが良いというし、いくらママが楽しそうにハロウィンの準備をしていても疲れていれば行きたくはないと態度で表明する。『クレイマー…』において息子が父親とバディ的な関係を強化するような事は起きない。

結局のところ、夫婦間のズレ(とそれがもたらす子供との関わり方)という本来個々の内面の問題であって第三者が介入しえないはずのトピックが、調停や訴訟、裁判という制度的なプロセスでしか解決出来ないという虚しさがある。

代理人同士の法的戦略を駆使した泥仕合によって2人の関係はどんどんズレていき、では直接顔を合わせて話し会おうとしても会話は成立せず、やがて感情のぶつかり合いにしかならない。

そういったある種の抜き差しならない状況における赦しと救済とは何か、というのが最後に提示された時、わたしは少し爽やかな気分にすらなっていた。チャーリーがニコールの成功に対して投げかけた言葉とそれに対するニコールの返事。小さな断絶がそこにはあるのだが、そういう断絶を超えた繋がりもまた同時に存在する。裁判の結果として生まれた制度的解決とは別の次元で新たな関係性を作り上げることが出来る。静かだが実に良いエンディングだった。

演者達は皆良かった。スカーレット・ヨハンソンはもちろん、脇を固めるローラ・ダーンレイ・リオッタなどベテラン陣の活躍も素晴らしい。老弁護士のアラン・アルダの気品溢れる演技も良かったけど、やはりアダム・ドライバーが最高でした。決してパーフェクトではない欠陥のある人物像を時にユーモラスに時に叙情的に演じた彼の芝居には、確かにオスカー上げたいですね。

監督のノア・バームバックは『イカとクジラ』でも両親の離婚を子供の視点から描いていた記憶があってまた観直さなければならないし、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』もベン・スティラー好きを表明しながら見逃している始末。今作を観るとやはり現代アメリカ映画の中では、そしてニューヨークを舞台にする作家という事ではウディ・アレンの後継者という位置付けなのかな。

撮影も良かった。背景を無機的に切り取るというか、特にLAパートでは全体的に白い色合いになっていて、それが終盤になるとLAもNYにも暖かみが出てくるというか画面が段々と色づいているようにも思えて。あと扉や門などが2人を遮るカットとかも、良い。撮影監督は『女王陛下のお気に入り』の人なんですね。うん、良いルックでした。

という事でNetflixAmazonプライムを検索してノア・バームバックの過去作を観ていこうと思います。

こんな時でも蝉は鳴く。【映画】『この世界のさらにいくつもの片隅に』雑感。

という事で今年の映画初めはこの作品を観てきました。

『この世界のさらにいくつもの片隅に』

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予告編→YouTube

いまさらオリジナルの素晴らしさを問う必要もないくらいで、ただ単純に「もう一度すずさん達に会いたい」という気持ちで劇場に向かった。そして前回同様にボロボロと泣いて劇場を出たのです。冒頭のコトリンゴさんの歌声だけで泣けてくる。

今回、リンさんとのエピソードが加えられた事で作品内の人間関係は大きく変わっている。それはすずさんと周作の2人だけでなく、例えばすずさんと水原哲が過ごしたあの一夜についてもその意味合いが大きく変わってくるかのようだった。呑気でほんわかしたすずさんだけではない、様々な心の動きが見えてくる。単なる嫉妬や孤独感という言葉では表現しきれないモヤモヤとした何かを抱えているすずさんの姿が立ち上がってくる。

そしてタイトルに込められた「さらにいくつもの」という言葉通りに、リンさんはもちろんテルさんや知多さん、小林夫妻、あるいは猫に至るまでそれぞれの人たちにそれぞれの人生、それぞれの世界の片隅があるという、そんな眼差しを感じる。

個人的には〝鬼イチャン〟のサイドストーリーが大好きで、それはオリジナル版でも今作でも特に大きくフィーチャーされている訳ではないけれど、それでも何故か今回は消えてしまった兄がすずさんによって再生されたように感じられた。石ころになった兄を再生させる事は、もしかしたら妹すみの心身を救い出そうとする意図があったのかもしれない、そんな風にすら考えてみたり。おそらくは救うことのできないすみちゃんの病状。南方で戦死したとされている兄を想像の中で蘇らせる事で、すみちゃんの魂を救済しようしたのではないか、と。

音の迫力という漫画でも劇場で観るべき作品のひとつだと思っている。前半で描かれた戦時中の日常を切り裂くように鳴り響く砲弾や爆撃の音。ズシリと身体に響いてくるこの音は劇場でこそ体感したいものだ。Blu-rayも持ってるけど自宅の貧弱なAV環境ではあの迫力はなかなか、再現出来ない。防空壕で晴美さんを守るようにして抱え込みながら激しい振動を耐えている、その時のすずさんの表情!あの、ちょっと上目使いのあの表情は、彼女がまだハタチそこそこの少女であると同時に幼子を守る責任も同時にあってとても印象的なシーンだ。

この作品ですずさんに同化したかのような〝のん〟の声は、画面から流れてくるだけでスッとその世界へ入り込めるような力を持っていて本当に素晴らしい。彼女の声が聴こえてくるだけですずさんのいる世界が目の前に広がる。「片隅に見つけてくれて」という言葉はまるで彼女自身の気持ちのようにも思えてくる。

大正14年という昭和との狭間に産まれたすずさんはもしかしたら令和の時代まで生き続けているかもしれない。そんな風に思うと何か生きることに少しだけ力が湧いてくる気がする。

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2019鑑賞映画マイベスト10的な何か。

週に1回劇場に行くか行かないかという程度で年何百本も観ている訳ではないが、個人的なメモとして。

まず前提としてアイリッシュ・マン』と『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』は未見です。

という事でとりあえず10本を。

順位はなくて鑑賞順に並べました。

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クリード2

◯ミスター・ガラス

◯ギルティ

スパイダーマン :スパイダーバース

バイス

◯ハンターキラー潜航せよ

アメリカン・アニマルズ

◯スノー・ロワイヤル

◯ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド

◯ジョーカー

 

わー。『ブラック・クランズマン』とか『エンド・ゲーム』が漏れてしまった。そんで日本映画が入ってませんね。というかそもそも今年は邦画ほとんど観なかったなぁ。良さそうなの沢山あったんですけどね。

さて毎年ながら傾向はあるでしょうか。全体的には社会のマージナル(周辺)にいて生きにくさを感じている者達の物語が多い気がします。そこに自分を寄り添わせてるつもりもないし、普通の社会生活を送っているが、時折そういう寄る辺ない感情に心が絡め取られそうになる。

そういう意味で『ジョーカー』のアーサー・フレックはかなりの危険な劇薬だったかもしれない。リストにはないが『ホテル・ムンバイ』における剥き出しの暴力も心をザワザワさせる恐ろしさがあった。或いはアメリカン・アニマルズ』のように「これは俺たちの物語だ」と思わずピカレスクに惹かれてしまったり…。

あとはいつも通りワンスアゲイン、赦しと救済の物語に涙する一年でもありまして。『ワンス・アポン…』タランティーノがもたらしたマジックはとにかく素晴らしかったし、クリード2』ではドラゴ親子の姿に落涙していた。

ドウェイン・ジョンソンの映画もいくつか観た一年でした。ワイルド・スピード/スーパーコンボ』、『ファイティング・ファミリー』、『ジュマンジ/ネクスト・レベル』の3本。特に『ファイティング・ファミリー』ドウェイン・ジョンソン自体の出演は少なかったけど、こちらもワンスアゲインのストーリーが大好物の作品でしたね。ダラダラに泣きました。それにワイルド・スピード…』バイスのとびきりのラストにも繋がるという意味でも貴重な映画体感と言えるかも知れない。

シャマラン好きとしては『スプリット』から『ミスター・ガラス』への流れはたまらない。アンブレイカブルの前フリがここへきて効いてくるというシャマランによる揺さぶりに気持ちが傾いてしまった。もちろん2019年は『エンドゲーム』という大きな時代の終わりを目撃した大事な年ではあったけれどテレビシリーズ『ボーイズ』のようにヒーローを解体する動きも見られてなかなか面白い1年だったかも知れない。

今年改めて気になった人たちを。

ジャック・ロウデンイングランド・イズ…マイン』でのモリッリー役と『ファイティング・ファミリー』プロレスラー役という振り幅のある役柄を。

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こちらも『ファイティング・ファミリー』フローレンス・ピュー。今度、ブラック・ウィドーの相手役やるらしいじゃないですか。期待したい。

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ゾンビランド:ダブルタップ』でのゾーイ・ドゥイッチも気になりましたね。リー・トンプソンの娘って事でコメディセンスを感じる人でした。

あと改めてヘイリー・スタインフェルドちゃんの才能を感じたりして。彼女の出演作にハズレなし。バンブルビーでの彼女は青春映画として間違いない佇まいがあってとても良かったなぁ…。

という事でリストの10本以外にも楽しくて心動かされる作品が沢山あった。どれひとつとして観なきゃよかったという物はなかった。

また来年、良い作品に出会っていきたいものですな。

パーティー行かなアカンねん。『12/29(日)株式会社会社じゃないもん創立2周年記念豪華船上パーティー』

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という事で行ってきましたよ!

前回は社長のドレスコードで来たらいいよ!」というお達しもあり、一応スーツ姿でお邪魔したのですが今回は事前の案内メールに「各自のご判断に任せます」という大人のメッセージ、いわゆるひとつの「平服でお越し下さい」的な感じだったので、はてさてどうしようかなと思いつつやはりここは船上パーティーですので無難にジャケットスタイルで。休日のおじさんコスプレ。

昨年に引き続きの船上パーティーでしたが、明らかにお船のグレードがアップしている。前回はひとつの場所に集められてましたが、今回は飲食スペースも二ヶ所?三ヶ所?くらい別れており、またライブスペースはまた別にあるという感じ。もちろん食べ放題、飲み放題で楽しみました。

感動(感謝?)でいっぱい、略してカンパイ、という社長の御発声でパーティースタート。事前にSNSで緩く募集されていた眉村三大ニュースは眉村さんと谷さんが船内放送で発表。メジャーデビューと免許の話とあと何だったっけ?石掘り?とかなんとかだったと思いますが既に酔っ払っていたわたしは余り覚えてません。

やがて眉村さんの巡回が始まる。この日の眉村さんはアラジンのジャスミンみたいな色味のドレスで登場。当たり前にかわええ。

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一応明るめのレンズを持ってきたけれど縦横無尽に動き回るお姿はなかなか捉えることが出来ない。

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f:id:mousoudance:20191230053037p:image揺れるポニーテールの美しさ。

f:id:mousoudance:20191230053408p:imageお子とお戯れになる社長。ウルトラマンの戦闘ポーズみたいになっておる。もちろんかわええ。
f:id:mousoudance:20191230053417p:imageドレスのファスナートラブル的な何か。とある女性の方がすかさずヘルプなさってました。このちょっと困ったような気まずいような表情。もちろんかわええ。

f:id:mousoudance:20191230053800p:imageおそらく子どもを眺めていると思われる笑顔。ありがたや。

後半は地下のスペースを使ってのLIVE。

f:id:mousoudance:20191230054040j:imageみんなが集まっているかどうか確認する社長。このあとヲタクを召喚するべく〝スクワットブンブン〟を披露。

あとは酔っ払っていたので記憶が曖昧ですが、たしか〝宇宙に行った副作用〟とか久しぶりにLIVEで観た気がします。

途中で〝おばあちゃんがサイドスロー〟のMVを公開。眉村さんのクールなトラックとキレのあるダンス。

YouTube

MVからのLIVEの流れもまた楽しい。

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f:id:mousoudance:20191230054731j:imageサイドスローポーズ、ビッシーと決まる。

そして今年もドラゴンボールが集められていたような気がしますし、途中椅子?をサブステ代わりにしてたりと当たり前ですが楽しい。撮られた写真を見てみるとどの写真にも皆さんの笑顔が写っている。おそらくわたしも誰かの写真に満面の笑顔で写ってる事だろう。

f:id:mousoudance:20191230055245j:imageこの手の角度だけで白飯5杯はイケますぜ。
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途中で一度、(株)会社じゃないもんからのご挨拶コーナー。中でも田中氏が感極まって泣いたのは印象的でしたが、それまで慈悲深い笑顔を見せていた社長が谷さんの挨拶の時に無表情になるのがたまりませんでした。流石、わかってらっしゃる。

f:id:mousoudance:20191230055943j:imageわぽさんの時。

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f:id:mousoudance:20191230060018j:image谷さんの時。この落差!

再びLIVEコーナーへ。下船時間ギリギリまで曲をやってくれて、最後はビバ亀でしたかね。自然と肩を組み身体を揺らすヲタク達の笑顔がこの夜のパーティーの楽しさを物語っているのかもしれません。

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f:id:mousoudance:20191230060430j:image笑顔の中でふと見せる憂いのある表情も好きです。

f:id:mousoudance:20191230060710j:imageあのですね、背中も良いんですよ。俺についてこい感。
f:id:mousoudance:20191230060706j:imageこのまま飛んでいってしまいそうな羽ばたき。

と、いう事で全ての現場へ行った訳ではないですがそれぞれの現場でそれぞれの思い出があり、とにかく楽しませて戴いた一年でした。眉村さんもスタッフの方々も、そして現場で共に同じ空間を共有した皆様方、ありがとうございました。また来年!!

魔法が解けても〜泣く資格なんてないけれど。『12/28(土)BILLIE IDLE ®︎ TOUR LAST ORGY 東京@マイナビBLITZ赤坂』雑感。

短いヲタクライフの中で、推していたグループが解散したという経験は今までにない。ただし、グループの有り様の大きな変化に自分の心がついていけなくなり、パタリと気持ちが途絶えてしまった事はある。

そういう「終わり方」に比べれば色んな状況、背景はあるにせよハッキリと解散という形の終わりと始まりを見せられる方がヲタクにとっては幸せなのかもしれない。

という事で行ってきましたよ。

BILLIE IDLE ®︎ TOUR LAST ORGY 東京

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とはいうものの。3ヶ月前に突然ハマったわたしと長年追い続けたひとたちとの間では、当然思い入れ度に違いはある。わたしにとってBILLIE IDLE ®︎は始まったばかりで「バカヤロー、まだ終わっちゃいねーよ!!!」という気分であり、初めて触れる音源や映像のひとつひとつが新鮮で楽しくて仕方がない。おそらく誰もが通る道だろう。対バンを2度ほどしか体験していないわたしにとっては、初のワンマンを楽しむ気持ちの方が強く、ここ赤坂に集まってきた多くのヲタク達とは違う意味で終わってしまう事を受け入れられない状態と言えるかもしれない。そして、目の前の光景をもれなく網膜に焼き付けるつもりで赤坂に向かったのです。赤坂BLITZってもしかしたらスーパーカーのLIVE観て以来かもしれない。20年ぶりか。はー。

普段のワンマンがどうなのかはわからないけど、客入れ曲は彼女たちのレパートリーが流れていてそれもまたグッと気持ちが盛り上がる。

〝LAST ORGY〟から始まるセトリは気負い過ぎないようなラインナップと言って良いのではないか。例えば〝エンドロール〟とか〝ラストソング〟とかズバリ終わりをイメージさせるような曲を入れず、普段通りのBILLIE IDLE の姿を観せてくれているようにわたしには思えた。

もちろん〝どうせ消えてしまう…〟が作り出すエモーショナルな風景とか〝エブリデイズ〟で感極まるウイカさんとか観ていれば涙腺は緩む。しかし全体的には湿っぽさを可能な限り感じさせないようにしているように思えた。特にハマったばかりのわたしにとっては、これからも彼女達のステージをもっともっともっともっと観たくなる気持ちの方が強くなった。

しかし、それがまた却って終わってしまう事実を強調しているようにも思えてくる。明日もまたLIVEがあるような気がして、次の現場はどこかしら、などと思っていたりする。でも目の前の光景は今宵限りの二度と観られない風景だという事実は変わらない。BILLIE IDLE ®︎は終わるのだ。

パンパンのBLITZは後方は身動き取れないほどだったけど、左右前後の皆様も丁度よい盛り上がり方で実に快適かつ盛り上がる空間だった。身体がぶつかる事もあったけど、不快感は全くない。〝MY WAY〟とかで起きる突進するケチャ?ですか、ヲタク達のアツイ思いに釣られるようにしてわたしも気がつけば前方に運ばれていた。それと、もうどの曲がどうだったかわからないけど、手を振り上げる振りを一緒にやっていると、もちろんわたしとステージには距離があるわけだけれども、一瞬その距離が縮まるような…ちょっと今からキモい事言いますよ手を繋いでいるような錯覚に落ちていた。

本編ラストは〝anarchy in the music scene 〟というのもサッパリ風味で良い。フロアも二階も右も左もしっかりと睨みをきかせてからの爆発するようなウイカさんの笑顔も観られて満足。この前の新宿LOFTで観たときは少し慈悲深い笑顔のように見えた(それはそれでこみ上げるものがあった)けど、この夜はいつものようにしっかり睨んでいた気がします。

アンコールは〝大きな玉ねぎの下で〟で、何とも複雑な気持ちになる。結局、彼女達は武道館に立てなかった。その目標がどれだけ彼女たちのモチベーションになっていたかはわたしには判らないが、その事実をまざまざと突きつけられたような気持ちにもなる。わたし達は「まだ出来る!これからじゃないか!」と思ってしまう。でも、あらゆる状況が彼女達の解散というゴールを生んでしまった。このアンコール一曲目は彼女達なりの解散への答えかもしれない。これが現実だという寂しさと同時に「まだ終わってねぇんだよ!武道館立ってねぇじゃねーか!」という宣言にも聞こえて。

ダブルアンコールは本編と合わせて2度目の〝MY WAY〟で、これが本当に最後の曲となった。フロア全体がこの曲が最後であることを意識するかのような盛り上がり方だった。ここは流石にエモーショナルがダダ漏れする時間だった。

嗚呼、終わってしまう。終わってしまうのか?本当に???

そしてBILLIE IDLE ®︎はエンディングを迎えた。力強い終わり方だったと思う。彼女達らしい、と断言できるほどの経験値はわたしにはない。でもとても良い幕引きではなかっただろうか。

ポケットに入っていた銀テープを改めて見てみる。金色のテープには「forever 」そして銀色のテープにはこう記してある。

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渡る銀河はシスばかり。【映画】『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』雑感。

そうは言ってもエピソード6だってイウォークの盆踊りで終わったわけで、当時劇場から出てきた時は友達と「ダース・ベイダー、中身おっさんでビックリした」とか「イウォーク…どうよ??」とか言いながら「ま。あれだよなそれはともかくスター・ウォーズだったよね?」と納得しながら帰っていった記憶がある。当時、匿名掲示板があったら「スターウォーズ大反省会」とかいうスレが立ってたかもしれない。そんなものだ。

という事で観てきましたよ。

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

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でわたしはと言えば皆んなが大嫌いなプリクエルも大好きでエピソード3なんかもう最高過ぎると思っているんだけどなかなか賛同を得られない、という話はともかく。

色んな事を言いたい気持ちもあるし、アレがどうだコレがどうだと粗をひとつひとつ上げていきたくなる気持ちも分かる。決して手放しで「傑作だよ!」と言えるわけではもちろんないが、わたしは何度か泣かされたし、最後のエンドクレジットが流れた後には満足した気持ちで劇場を出る事が出来た。

子供の頃に聞かされたシリーズ9作構想が現実化した事とそれに立ち会えた事に感謝するほかない。

(以下ネタバレあります)

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それをどう評価するかは分かれるところだとは思うけど、例えば宇宙船内での銃撃戦や何かを求めて銀河を旅していく流れなどはSWシリーズのエッセンスを感じさせてくれる。それを単なる焼き直しと言えばその通りだけど、SWってそんなものだろうという気持ちもある。荒唐無稽の宇宙冒険活劇として多少の粗はどうしたって出てくるものだ。

今作においてもファースト・オーダーもレジスタンスも結局大した戦略もなくワーワーやってるだけで、「多勢に無勢。もはやこれまで…」ってなるポーはほんとにダメロンだし、ファースト・オーダー側もスターデストロイヤーのアンテナ壊されただけで全てパーになる所なんて間抜けで仕方ないけど、それは帝国軍のデススターの脆弱さにも通ずる。その辺のいい意味での緩さはep4〜6もそんなに変わらない。

一方でこのシリーズの縦軸にあるスカイウォーカーの話。わたしがプリクエルが好きなのは、ep1〜6がアナキンの再生と赦しと救済の物語になっているからだ。プリクエルの存在があってこそ旧シリーズの裏に隠れていた趣きを感じとる事が出来るからだ。プリクエルを通過してみると『帝国の逆襲』でのヨボヨボでボロボロなクソジジイ化しているヨーダにも味わいというものが出てくる。

そういう意味では新シリーズはアナキンの物語からの解放がまずあって。カイロ・レンがダース・ベイダーを信奉しているのもアナキンにしてみれば自分の関与していない話ではあるのだが、ここにきてパルパティーンの幻影が現れてくるとなるとまた話は変わってくる。

アナキン&ルーク親子によるパルパティーン退治は完結していなかったわけで、そうなるとアナキンの始めた贖罪と赦しの物語は終わっていなかった事になる。だからこそレイの血統が問題となるのは必然で、ダークサイドとライトサイドの拮抗を(旧作と同じように)描くしかない。

ならば、やはりレイの片腕は切り落とされるべきでその機会を逃してしまった事だけは今作の大きな欠点だと言いたい。

しかし、そんな事よりも赦しと救済の物語を担うカイロ・レンを演じたアダム・ドライバーの演技は内面に蠢く感情を静かに表現していて素晴らしかった。声が良いんだよ、また。

そう声といえばレイが聴いた歴代ジェダイの声のシーンも良かった。全ての声を聴き分けられた訳ではないけれどクワイ=ガイ・ジンオビ=ワン・ケノービやメイス・ウィンドゥ、そしてヨーダもいたはずで、あそこはかなりグッとくる場面だった。

しかし何よりも印象に残ったのは最後にタトゥイーンで板っきれをソリがわりにして砂山を滑り落ちるレイの姿だ。アレめちゃ可愛くて何というかパルパティーンの呪縛から逃れたレイの解放感も感じて好きなシーンだ。

という事でシリーズ完結という事ですが、また10年後にライトセーバーが掘り起こされて「スカイウォーカーの物語は終わらない…」とかなんとかいってエピソードXをやったとしても驚きません。