80年代に多感な時期を過ごした身としてはどうしてもフレディ・マーキュリーと言えばこれであって
クイーン 「I want to break free」MV https://youtu.be/f4Mc-NYPHaQ
当時の深夜番組「FMTV」内のがんばれフレディコーナーの印象が強い。だから、どうしても相対化されたクイーン像、フレディ・マーキュリー像になってしまっている。
という事で観てきました。
『ボヘミアン・ラプソディ』
予告編 https://youtu.be/0UkG8GnfCCY
正確に伝えるのが難しいんだけど、クイーン及びフレディ・マーキュリーに対しては少し複雑な距離感があって、例えばそのセクシャリティだったり或いは大時代的な音楽だったりは半ばギャグ的に捉えていた面もあり、だからまるで昔っから大ファンであったかのように「フレディ最高!」と言うのは少し違うんだけど…。強いて言うならこう言うスタンスに近いかな。↓
ウェインズ・ワールド ボヘミアン・ラプソディー https://youtu.be/ykMFsXhmDIw
で結論から言うと…
終盤30分はほとんど泣いていた。
基本的構成はいわゆるロックミュージシャンの伝記フォーマットの枠を超えてはいない。成功と挫折、栄光とともに訪れる孤独、そしてワンスアゲイン…。そのお決まりのフォーマットにおいてもフレディ・マーキュリーのキャラクターとその物語は観客の心を打つだけのパワーがある。
メアリーという女性の存在も初耳だった。自分のセクシャリティとメアリーとの愛とのアンバランスさが生む不幸。フレディの姿は時に自業自得のようにも思えるが、そのいじらしさにシンパシーを抱かない事もない。メアリーとの距離が次第に修復不可能な状態にまでなる過程はやはり切なくなる。ああ、あの寝室のシーン!
ハイライトのライブエイドのステージ再現(ボブ・ゲルドフ激似)はやはり素晴らしい。特にwe are the Champions がここまで心打つ曲になるとは!何度も耳にして消費されつくされて新鮮味のないはずのこの曲がとてもメッセージ性の高いものに変わる。フレディが死を覚悟してこのステージに臨んでいたというのは今回初めて知ったのだが、そう見るとこの20分間のLiveが、また違ったものに見えてくるから不思議だ。
やはりわたしはワンスアゲインの物語に弱い。そして我々はフレディが死んでしまう事を知っている。だから自然と予め定められたゴールまでの疾走感が増幅される。と同時にフレディにとってあのライブエイドのステージは救済と赦しの空間だったのかもしれない、とも思う。そこで描かれるフレディ(とクイーンのメンバー)のパフォーマンスを見せられては、もうただただそれを浴びるしかない。
冒頭に紹介したクイーンが女装しているMV。今の今までコメディ的アプローチだと思っていた。しかし、今は違う。フレディのセクシャリティについての表明であり同時にメンバーのそれに対する共鳴の現れなんだね、多分。なるほど彼らは闘っていたのか、と。
そういう視点でもう一度あのMVを観て観ることにする。それでもやっぱり「がんばれフレディ」思い出して笑ってしまうかもしれない。でもそれで良いんだとも思う。
最後にメモ。
・エイダン・ギレン出てきてびっくりした。
・と思ったらジョセフ・マゼロまで!
・猫可愛かったなぁ。猫は見ていた。
・フレディの自宅なんか金閣寺のお札あった?