妄想徒然ダイアリー

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これは君の物語でもあるんだ、ビクター。【映画】『クリード2』

欲しい物すべて手に入れた、という人は少ない。わたし達の多くは欲しい物を可能な限り手に入れようと日々汗をかいているか、それならばまだ良い方で、そのうちの幾つかの者は、全てを諦めてただ天井を眺めている事しか出来ていない。

〝ロッキー〟がわたし達の心を動かすのは、持たざる者達が小さな灯を頼りに、手繰り寄せるようにして〝何か〟を手にしようとする姿が尊いからだろう。

クリード2』

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冒頭わたし達の目に飛び込んでくるのは、持たざるーそして大切なモノを奪われたー親子の姿だ。敵役であるこの親子の姿から始まる事でこの作品の行末は決定していたように思う。

この作品が、アドニスクリードの物語であり、ロッキー・バルボアの物語であると同時に、イワン&ビクター・ドラゴ親子の物語でもある事が伝わるこのオープニングから、実は涙腺のコックは緩み始めていた。

そういう意味で言えばアドニスクリードは「持って生まれた」モノを持つ人間だ。

伝説のボクサーの血統、裕福な家庭環境、そしてチャンピオンという名誉とかけがえのない家族という存在…。アドニスはいよいよ戦う意味を失っている。ロッキーが言うように「何のために戦うんだ?」

前作で「自分が過ちでない事を証明」した彼にとっては、今戦うには失うものが多過ぎる。

だから次第にわたしはドラゴ親子へ感情移入するようになった。が、それは偶然ではないような気がする。この作品はそのように撮られているのだ。

「ロッキー4」でのドラゴ は、ただアポロを殺し、そしてロッキーに倒される為に存在しているかのようだった。血の通っているようには見えない「その役割の為だけに」存在しているようなキャラクターだ。

しかしその後の彼にも人生はあった。当たり前だ、人生のない人間などいない。ロッキーがソ連の人たちに演説している間にも彼の人生は転がっていた。国のヒーローとしての権威は失墜し、ソ連という国家もなくなり、そして妻にも逃げられた。引き摺り下ろされるようにしてドラゴの人生は堕ちていく。

そんな彼がワンスアゲイン、もう一度人生に輝きを取り戻そうとするその希望の光が息子であるビクターだ。星一徹的アプローチで辛酸を舐めながら栄光を手繰りよせようともがく親子こそ〝ロッキー〟の物語に相応しい。

サイボーグ的な強さを見せるビクターが徐々にその内面の葛藤を(適度なレベルで)表すようになり、ラストの試合ではそれがまさに最高潮に達する。

わたしはこの試合の終盤でこの親子に訪れる出来事について泣かずにはいられなかった。

よく「感動した」だの「泣いた」だの言っていても、実際にはグッときたとかちょっと目頭熱くなったとか目が潤んだとかその程度だ。

しかし今回は本当に涙が零れ落ちるほど泣いてしまった。涙が頬を伝わるほど泣いたのは子供の頃にドーベルマン刑事の最終回を読んで以来じゃなかろうか。

ドラゴ親子がわたし達に見せるのは、持たざる者がもがいて光を掴もうとするその姿であると同時に、背負ってしまった罪や喪失感に対しての救いや赦しだったように思う。

わたしはそういうものに弱い。

もちろんアドニスやロッキーについても同じような救いや赦しの瞬間はあって、それがまた心を打つ。ロッキーの最後のアレはズルい。

 

ロッキーシリーズからクリードシリーズ、ある意味ロッキーユニバース、いやスタローンユニバースのような状態だ。これからシリーズが続くのかどうかわからない。

分からないが、そんな事は小さな事だ、というように黙々とドラゴ親子は走っている。

 

おまけ

同じような感動を与えてくれるコチラもおススメ。「ベストキッド」のその後を描く『コブラ会』

落涙必至。ぜひ。

https://youtu.be/_rB36UGoP4Y