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相合傘は永遠に。【映画】『サスペリア』雑感。

という事で観てきましたよ。

サスペリア

予告編→ https://youtu.be/0d9OSQrdyiQ

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ダリオ・アルジェントと言えば個人的にはジェニファー・コネリーを虫まみれ泥まみれにしてた変態おじさんという印象で、と言いつつもオリジナル版「サスペリア」は観ていなかったりして、いやもしかしたらテレビでやってるのを子供の時に観たかもしれないが、とにかく〝決して一人では見ないで下さい〟という素晴らしい惹句が強く印象に残っている。

という状態で映画館に向かった次第。

オリジナル版の記憶はないが、しかし美しい女性主人公が汚辱にまみれながら血だらけにされて、という鮮血の美学を…という期待をしていくと肩透かしを食らう。

ダコタ・ジョンソン演じるスージーは、単に〝惨劇に放り込まれる美しいヒロイン〟という役割に留まっていない。スージーはその台詞からアーミッシュ系の厳格な家庭環境の中で育っているようで、それがもたらすキャラクターへの影響を語る知識が自分にないのがもどかしいが、とにかくスージーは舞台に放り込まれたヒロインではない。

この時点でアルジェント版との乖離が既にある。中学生マインドで美しい美少女が血まみれになる姿をキャッキャ言いながら観るタイプの作品でないことは開始早々に伝わってくる。

おそらくそれがルカ・グァダニーノの矜持なのかもしれない。ベルリンの壁があった当時のベルリンは〝戦後〟の匂いが色濃く残る時代であり、精神科医(心理学者?)ジョセフをナチ時代をくぐり抜けて生きてきた人物として配置する事で政治的な要素が強い事も明らかだ。

前作『君の名前で僕を呼んで』を観ていないので何とも言えないが、ユダヤ人にせよアーミッシュにせよ、或いは魔女にせよ、マイノリティの存在に光を当てるような眼差しがあるのだろうか。

スージーがただ血を浴びる舞台装置としての枠…極端に言えば社会から矯正されたロールモデル…へのカウンターとして存在している事でこの作品は不思議なカタルシスを最後に迎える。

本来のヒロインとしての役割を全うするかのように存在するミア・ゴス演じるサラの方に肩入れしてしまうのは少し後ろめたくもあるのだが、しかしだからこそ終盤のサバトの場面において何とも表現し難いカタルシスと感動があるのかもしれず、だからこのサバトからラストにかけてまでの流れを体感するための2時間だった、というのは言い過ぎでもない気がしている。

ちょっとだけネタバレします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サバトの場面にラスボス感たっぷりに登場したスージーがマルコス一派を次々と粛清する場面には爽快感すらあり、スキャナーズ、ポン!的に頭から吹っ飛ぶ描写は心地よさすらある。

パトリシアやオルガに対して投げかけた「あなたはどうしたいの?」という問いに「死にたい」という彼女達の望みを叶える様には慈悲のようなものすら感じた。そしてサラにも同様の質問とその回答があり、それれは前のふたりと全く同じなのだが、そこには何か別な愛な様なものがあったように感じられる。何故か私はここで泣きそうになった。嗚呼、サラよ!生まれ変わるが良い!

 

スージーは最後にジョセフにも慈悲の手を差し伸べる。妻の最期を伝え、そしてその記憶を消す。それはまるでジョセフを生まれ変わらせるかのような行為だ。それが正しい行為なのかどうかは、わからない。分からないが、おそらくはジョセフの背負ってきたものとその代償は充分果たされたという事なのだろう。

ジョセフがパトリシアやサラを救おうとする行為は、おそらくは救えなかった妻を救い直そうとする事に繋がるのだろう。それは結果としてはスージーの目的に合致するものであったし、同時にマイノリティの救済という点で見逃せるものではなかったのかもしれない。

ああ、またここにも赦しと救済が。そして相合傘(イカ&ジョセフ♡)だけは残ってる、というまさかのエンディングに少し戸惑ってみたり。

それにしてもティルダ・スィントンがジョセフとマルコスとの三役を演じていた事(実は観ている時には全く気がついてなくて!)は非常に興味深く、よくわからないけど魂を汚すものと魂を浄化しようとするものと魂に翻弄される者とその全てを人間は持っている、ということのような気もするけど、それはいま適当に言いました。

ただその全てに対して決着をつけるスージーにはある種の頼もしさすら抱くようになる。クレジット後の指の動き、アレなんだったんですかね?我々の記憶を消した?よく分からないので誰か解説して欲しい。

 

という事でサスペリアを期待していくとサスペリアじゃないのでびっくりするけどよく考えたらこれがサスペリアだったのかも、という不思議な作品でした。

 

おまけ

  • サバトの翌朝、後片付けしてるシーン、なんか良いよね。
  • トム・ヨークの音楽はそれはもちろん素晴らしい。素晴らしいが、しかしそれで誤魔化されてしまったような気も少しだけしている。
  • タイトルの出しかた、控え目で好き。
  • ミア・ゴス!ミア・ゴス!ミア・ゴス!
  • クロエちゃんは無駄遣いなような気もしました。