妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

月に行った副作用。【映画】『ファースト・マン』(IMAX)雑感。

という事で観てきました。

ファースト・マン

f:id:mousoudance:20190209232144j:image

予告編→ https://youtu.be/nFhzZKvaPXs

月面に降り立つ最初の人類/ファースト・マンになる事を巡る人間模様や或いはアメリカのフロンティアスピリット讃歌と言った要素は皆無で、極めて淡々と月面着陸までの工程が描かれる。幾多の困難や友情や家族の愛といったドラマティックな舞台装置は可能な限り排除され、ある種の冷淡さがこの作品にはある。

50年前の月面着陸を現代から見たとき、それは最先端テクノロジーの結晶ではなくなんとも心許ない頼りない冒険であり、まるで手作り筏で太平洋を横断するくらいの無謀さに感じられ、ガタガタと揺れる機体や古めかしい機器類は我々に宇宙の怖さを印象づける。

デミアン・チャゼルは最初の月面着陸を物語のカタルシスとして位置付けるのを避けているようだ。ジェミニ8号でアームストロングが直面した危機もドラマティックに演出せず淡々とドキュメンタリーのように描く。そこに過剰なドラマはないが、そこに起こった事実をポンと見せつけられているような視点は、むしろリアリティがあるとも言える。アポロ1号の火災事故の最期を機体の外側からの視点で扉がボンッと凹むのを見たときの妙な寒々しさは我々に静かに事実を突きつける。「宇宙は怖い」、と。

宇宙空間の映像も殆どがニール視点であり、それは広告にあるように宇宙飛行士の疑似体験的アプローチであるのは間違いなく、ただ注意しなければいけないのは、アトラクション的な要素はなく宇宙の怖さを体現させられるという事。

作中ニール・アームストロングは殆ど表情を変えない。感情を表に出さない。アポロ11号の船長に任命されても派手に喜びも驚きもせず、ただ「了解しました」と返事するだけだ。仲間の不慮の事故死を知らされても大きく泣き崩れるようなことはない。必要以上の哀しみも表現せず、だからといって冷淡に見下す訳でもない。起こった事実を事実としてありのまま受け取っているように感じる。彼の内面は見えないし、見せようとしてないかのようだ。印象的なのはエリオットの葬儀の夜、ニールがエドに言い放った一言だ。友人を気遣って声をかけるエドに対して

「俺が何か話しかけて欲しいように見えたか?」

と突き放すニールの姿はこの作品のスタイルを表しているように思える。ただ、そこにある事実に淡々と向き合い、余計なエモーションによる飾り付けは行わない。

 

しかしそんなニールが唯一といっていいほど感情を表していたのが亡き娘カレンに対してだ。その死に泣き崩れ、時に幻影を見るというようにニールのカレンに対するオブセッションだけは強調される。息子たちは「まあ月に行ってくるけど、もちろん帰ってくるつもりで、とはいえ確率論的には帰ってこれないかもね。」と言うくらいなのに、その差は何なのかと思うけど、それが彼の捉えきれないところかもしれない。

月面着陸を物語のカタルシスに描いていない、と言ったが、それはその過程をそこへ向かう装置として作っていないという事であって、いや月面着陸のシーンは圧巻であった。無音の中そこに広がる荒涼たる大地がIMAXの画面にドーンと映し出された時の快感は素晴らしい体験。

そしてここに来てニールの取った行動が一気にこの月面着陸という偉業をパーソナルな側面へ変化させる。ここでニールはわざわざヘルメットのシールドを上げ表情を見せる。これは明らかにフィクショナルな演出だ。徹頭徹尾ドキュメンタリー的に冷徹な視点を持っていたこの作品が、ニールのカレンに対する部分においてアンバランスなようにドラマティックになる。

それをどう捉えるかは人それぞれだろう。わたし自身は馬鹿のひとつ覚えのように救いと赦しの標を感じてしまうのです。

 

最後に雑感メモ

  • やっぱどうしても『カプリコン1』の事思い出しちゃって。月、書き割りなんでしょ?って。
  • 出発前夜の息子との会話のスリリングな事。長男くんのあの眼差しと握手、なかなかゾッとする良いシーンでした。
  • 音楽、良かったよね。でも1番はガダガタと揺れる機体の音と宇宙の無音。
  • 妻役の人、ちょっと演技が鼻に付くというかチャゼル作品に参加してる事の気合が空回りしているような印象があった。上手いとは思うけどね。
  • 宇宙計画反対ラップ、結構沁みる、というかアレを取り入れてるあたり辛辣だよなぁ。white man to the moonだっけ?
  • という事で『月に囚われた男』観たくなりますね。