開始の瞬間に「あ。これは傑作ですわ」と確信する作品というのが稀にある。例えば自分にとっては『ヒストリー・オブ・バイオレンス』がそうだ。冒頭の2人組の強盗のシークエンスだけで白飯5杯はイケる。
という事で観ました。
『ROMA』
予告編→ https://m.youtube.com/watch?v=6BS27ngZtxg
そういう意味ではこの『ROMA』の冒頭もソレにあたる。
床を洗い流している(後の描写からそれは恐らく犬の糞だ)洗剤の泡を含んだ水がまるで海のさざ波のように流れている。音も波の音にしか聞こえない。このオープニングの美しさでこの作品の成功は約束されたと思う。
理論的には説明できない。見た瞬間「あ」と膝を打つその感覚は言語化が難しい。
そこから始まる物語は、住んだこともない国の聞き慣れない言語が飛び交うものだが、どこか懐かしさを感じる。70年71年というのが自分の幼少期に重なることが理由か?どちらかというと50年代の日本映画を観ているような感覚はどこから来るのか。もしかするとキュアロンは万人が普遍的な懐かしさを感じさせるような魔法を使ったのではないか?
田舎町の田園風景はまるで日本の田舎のような既視感があるが、もしかしたら他の人から見れば自分の馴染みのある土地の風景に感じているのではないか、とも思う。
横移動あるいはパンを多用した映像はキャラクターを冷徹に切り取ると同時に、時に異化効果を生み出す。邸宅の中で描かれる奥行き、山火事のシーンやその後の焼け野原の美しさ、カニのオブジェの違和感…etc.
そしてクライマックスの海の場面、あの波の圧力。色んな意味で一体どうやって撮ったのか。波にのまれる中で不穏な空気を帯びていく、あのゾクゾクする感じを生み出すのはなかなかできることではない。
クレオを演じるヤリッツァ・アパリシオがとにかく素晴らしい。多くを語らずしかし愛嬌もあるその姿は愛らしく親近感を抱く。と同時になにかを見据えるような瞳を見るといい。ある種の虚無感を帯びたその眼差しに何故か心奪われてしまう。
そんな彼女が絞り出すように心情を吐露してしまうあの場面には思わず泣かずにはいられなかった。海辺でクレオを中心に肩を寄せ合う姿は家族の再生のようでもあり、自分たちを捨てていった夫や父親によって穴の空いた部分をクレオによって埋めようとしているように見える。
一方クレオもまた海の中から戻ってくる事で自身を救済したのかもしれない。〝傷付き喪失してしまった何か〟に向きあい自分を再度生き直す必要が彼女にはあったのだろう。そうしなければ自分の身体がバラバラになるかのように。
旅を終え自宅へ戻った家族とクレオは空っぽになった部屋で再び日常を歩き始める。
クレオはいつものように洗濯を干すため屋上へ向かう。ただ違うのは、冒頭で床面を見つめていたカメラは最後に空を見上げていることだ。