学生の頃、友達が「汚辱の上にこそ気品の美しさが際立つ」みたいな事言っていてその時は「はーそんなもんかね」くらいにしか思ってなかったが、年月を経て何となくその意見がしっかり来るようになった。
という事で観てきました。
いわゆるジャンルとしての〝英国王室モノ〟を思い描く(それが期待であれ、醒めた視点であれ)とノックアウトを喰らう事になる。
予告編などから想像する〝ワガママな女王に振り回されながらその寵愛を巡って繰り広げられる女の闘い〟というのもまた違う。そんな枠に収まるものでもない。
序盤、苦境からのし上がっていくアビゲイルを見せ、次第にアン女王の〝愚鈍さを帯びながらも気高いイノセンス〟に目を向けさせ、終盤にはサラのターンが訪れる…。3人のアンサンブルが絶妙のバランスで構成されており、観客に安易な感情移入の落ち着きどころを与えない。
アビゲイルやサラの策略はその狡猾さを含めて時にユーモラスに時にドライに描かれ、痛快さを感じる事もある。しかし、そんな政治的(かつ感情的な)駆け引きの諸々は最終的には無意味であって、その寄る辺なき感情の行先にある絶望と諦観と屈辱が混じったような顛末の複雑な締めくくりに激しく揺さぶられる。
なるほど言われている通り主役は3人であってそのアンサンブルがその前提であるとは言え、やはりオリヴィア・コールマンは素晴らしかった。気まぐれなように見えるアン女王の感情の変化は、彼女の表情の微妙な変化によって不思議な説得力を持つ。次第にその振る舞いが持つ愚鈍さはチャーミングなものに見えてくる。そしてそのチャーミングさはトラップでもある。
エマ・ストーンのアビゲイルもその狡猾さが嫌味なく演じられていて好印象だったが、個人的にはレイチェル・ワイズのサラが良かった。感情表現のコントロールがやはり一流。序盤の圧倒的に裏ボス感、男装の格好良さ、そして終盤彼女に訪れる展開。やっぱこれサラ主役なんじゃね?と思われるシーンが多い。あのレースで顔半分隠した時の美しさ!
ヨルゴス・ランティモス作品は初めてだったけど、この人のテンポというかリズム好きかも。対象への距離感とかカット割りやオーバーラップという手法もさりげなく、でもこだわりを感じて良い。「ロブスター」と「聖なる鹿殺し」観なきゃ。
音について。銃声のズドンと腹にくる低音。人を叩いたり蹴ったりする際に強調される効果音。そして時折テーマのように流れるミニマルで不安をかきたてるような音楽…などなど。音に関してのこだわりも感じる。会話のシーンに次にくる射撃のシーンを大胆にオーバーラップさせて銃声が不穏なBGMのようになっているところ、好きだ。
さて。
アビゲイルとサラの〝冷戦〟に比べるとアン女王の振る舞いは微笑ましいほどだ。サラが言うように〝恋のさや当てゲームを楽しんでいる〟程度だ。謀略を巡らせ泥から這い上がろうと必死なアビゲイルに比べれば、なんと無垢でイノセントな事か。無垢でイノセント、そして愚鈍さでチャーミングさを感じさせていたアン女王であるが、最後に至って彼女はあるものを発見してしまう。その瞬間彼女の心に訪れた変化は計り知れない。彼女は静かに自らを奮い立たせ女王として振る舞う。そこにイノセントで無邪気なアンの姿はない。圧倒的な権力者としての女王の姿が立ち昇る。
その姿を目の当たりにしたとき、我々はただ平伏すしかない。こうべを垂れて杖代わりになるしかないのだ。その時のアン女王とその側にいた者の表情は静かにだが確実に我々の心を撃つ。