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デスクトップは整理しましょう。【映画】『スパイダーマン:スパイダーバース』雑感。

エンドクレジットの後におまけ映像が付くパターンは今や珍しくもなくなった。本編自体のオチ的なモノや或いはMCUにおける次回作への布石など色んなケースがある。

という事で観てきました。

スパイダーマン:スパイダーバース』

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 「スパイダーマン:スパイダーバース」予告編 3 (2018年) - YouTube

しかし、たまに本編にもシリーズにも関係ない単なる別作品の予告編がくっついてる事もある。いきなりオマケ映像始まったと思ったらX-MENの特別映像で詐欺にあった気分になった事があるけど、この『スパイダーバース』の映像を始めて観たのも確か『ヴェノム』のオマケ映像だった。

正直その時は「ふーん。今度は子供がスパイダーマンなんだ…」くらいのテンションだったんですが…。

いや最高じゃねーか!!!!

サム・ライミ版からマーク・ウェッブ版、そしてMCU版と幾度となくリブートを繰り返されるピーター・パーカーの物語にやや食傷気味であった事実はあって、「スパイダーマンの世界は一体いくつあるのよ?本当のピーター・パーカーは誰?」という当然の疑問が生まれる。

そういった疑問やモヤモヤを一気にかっさらうかのような設定が痛快で、メタ的なアプローチも含めて素晴らしかった。

そういう意味でアニメーションによるアプローチは正しい。様々な次元のスパイダーマンがそれぞれの次元にそった〝絵柄〟として登場する事で多元的世界がシンプルに表現できる。

スパイダーマンノワールやスパイダー・ハムもさることながら、やはりペニー・パーカーの異化効果たるや!ちょっと流石にどうかと思うスレスレの絵柄が絶妙で、「ああ、この人は別次元から来たな」というのが一目瞭然だ。ちなみに声をあててる人は日系アメリカ人のキミコ・グレンさんですが、何というか日本のアニメっぽい声質を上手く表現されていたと思う。どことなく英語も日本語っぽいというか。

主人公がアフリ&ヒスパニック系アメリカ人である事や多元世界から集まるキャラクターはまさにダイバーシティの表れ(マイルスのルームメイトもアジア系?)であって、ともすればアメリカのエンタメ界の〝リベラルの主張〟が透けて見えそうになるけどそんな話はどうでも良くて。

ストーリーのひとつの軸であるマイルスの成長譚や親子関係も勿論わたしを熱くさせた要因のひとつだ。マイルスの思春期真っ只中のような逡巡やスパイダーマンとしての覚醒シーンには胸熱くなる。スーツを自分好みにアレンジしニューヨークの街をスウィングしながら最終決着の地に向かう姿には思わず身を乗り出しそうになった。

しかしやはりピーター・パーカー。彼の物語にグッと心掴まされてしまう。マイルスがいる世界のピーター・パーカーは完璧だ。若く才能があり美しい妻がいて颯爽と世界を救っている。

それに比べて別次元から現れたピーター・B・パーカーは典型的な中年だ。仕事に追われるうちに家庭を顧みず離婚、腹は出てくるし老いがひしひしと忍び寄ってくる。そんな彼がマイルスの世界でスパイダーマンとして何かを取り戻す姿にわたしは感情移入してしまう。登場直後に情けない姿で登場した彼が次第に頼もしく見えてくる点やキングピンの研究所に侵入した際の軽妙なやりとりや活躍振りもまた心地よい。

そして自己犠牲によって世界を救おうと決断する姿はまさしくスパイダーマン/ピーター・パーカーであり、その美しさに「あ。やっぱお前スパイダーマンじゃねーか!」と涙出そうになる。

世界を救う事は、すなわち元の世界で上手く行かなかった自分の人生の落とし前でもあるし、ピーター・パーカーが死んでしまったこの世界(とそこで生きているMJ)へ対しての責任の果たし方でもある。

この作品はマイルスの成長譚であると同時にピーター・パーカーがスパイダーマンを救い、そして赦しを求める物語だ。と、わたしには感じられた。そして、そこにわたしは熱くなる。ついでに言えばキングピンの行いも〝赦し〟と〝救済〟が動機なんだよね。

気がつけば無精髭で中年太りのピーター・パーカーがめちゃくちゃカッコよく見える。「ガキも悪くないね」

という事で作り手の心意気がガツンと伝わるし、泣いて笑って胸熱くなる最高の映画です!

 

あ。そうそう、劇場出た後に男性3人組がいて感想を言い合っているようで「どうよ!グウェン最高じゃね?」的な事言ってて心の中でサムズアップしておきました。