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その男、無自覚につき。【映画】『運び屋』雑感。

何事も突き詰めていくとシンプルなところへ行き着くのかもしれない。と同時にそこへ至るまでの蓄積がどれだけ塗り重ねられているかどうかで、そのシンプルな見た目にどれだけ奥深さが与えられるのか左右されるのかな、なんて。

と言う事で観てきましたよ。

『運び屋』

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クリント・イーストウッド監督・主演『運び屋』特報 - YouTube

派手な構図や編集がある訳ではない。非常にシンプルで正攻法なスタイルでありながら画面から立ち上がる非凡さというか気品というようなものがあるのは流石イーストウッドという他ない。

ブラッドリー・クーパーマイケル・ペーニャローレンス・フィッシュバーンダイアン・ウィーストアンディ・ガルシアと言った〝有名どころ〟のキャストはもちろんの事、余り名前の知られていない役者や演技経験のない素人であっても彼の作品の中に存在する事でその佇まいに独特のものが産まれる。

通常エキストラ的な人が画面に現れるとどうしてもそのぎこちなさが違和感となってしまうものだが、イーストウッド作品にはそれがない。例えば序盤にアールが訪れる百合の品評会で彼を出迎える女性の振る舞いのなんと自然な事か。画面にそういう気品さを与える事が出来ているだけで素晴らしい。

「家庭を顧みず仕事に没入してきた男が、人生の終盤を迎えその過去を清算しようとする」というストーリーの骨格とイーストウッド自身を投影したかのようなアールのキャラクターを見れば、なるほど確かに懺悔の映画なのかもしれない。もちろんそれはその通りではあるが、この作品はそれだけではない。

ていうかブラックコメディロードムービーですよ!これは。

アール爺さんは何だかんだとノリノリで運び屋やっている。ガレージの若者達と段々と親しくなっていく様やフリオやサルがアールに振り回されながらも巻き込まれていく姿は微笑ましくもある。 

またアールの無自覚な差別意識もここまでくるともはやギャグで。事あるごとに人種差別・移民差別的ギャグを連発するアールだが、それに対して本気で怒る人間はこの作品には出てこない。ほとんどの人間はただただ呆れるだけだ。言葉通りの意味で確信犯だから何を言っても仕方がないというか。ハイウェイでパンクした家族を助けるところの酷さは笑うしかなくて。冷静に訂正されても全く悪びれず「ああ、そうなのか」くらいしか言わない。ある意味アールは差別してないとすら言える。いや言えないか。

繰り返されるハイウェイの移動。シンプルな移動の繰り返しは同時に観客がその道中に馴染みを感じる事に重なる。モーテルの駐車場やガレージのところは来た時の不思議な安心感。それだけに途中、ハゲ&髭の怖い兄ちゃんに森に連れてかれるところの不気味さが際立つ。上手いよねぇ。

バイク集団に会うところも好きなシーンのひとつ。道中で自分の知らない世界の人間と接触するのもロードムービーの要素のひとつ。あれがある事でアールがただ運び屋をしているだけでなく人生の旅をしているということが判る。

そう、アールは90歳にして新たな冒険に出ている。そしてあらゆる人の人生を変えていく。人生の清算や家族の再生はもちろん大事だ。だからこそのあの行動であり決断をした。でもまだ老いは受け入れてはいない。まだまだやる。

ほら。見てみろよ。まだデイリリー作れるんだよ!

という訳でイーストウッドが人生を懺悔し遺言のような作品を目指したのかと思ったら、まだまだ現役で行くぜ宣言でした。ありがとうござました。