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コインを埋めてはならぬ。【映画】『ザ・バニシング-消失-』雑感。

平成の最後の日に観たのは昭和末期の作品となりました。

という事で

『ザ・バニシング-消失-』

予告編→ https://youtu.be/-LS3DBNV0I4

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とにかく主要キャストのルックが素晴らしい。演者と演出が絶妙なバランスで噛み合ったサイコパス映画の秀作だった。

ジョルジュ・シュルイツァーの演出はソリッドで、シンプルな画面は余分な物が研ぎ澄まされたような印象を受け、そしてそのシンプルさが静かな恐怖を産む。実験と実践を重ねて計画の精度を上げようとする犯人の姿はコミカルであると同時に身体の芯にジワジワと恐怖を植え付ける。

旅行先で同行者が突然消える、というプロットは珍しい訳でもなく、例えば『フランティック』(関係ないけどハリソン・フォードのベストアクトだと思っている。)などもそうだ。パートナーが突然いなくなった事で男は混乱し、必死で探し出そうとする。そういう共通点はあるものの、しかし今作では犯人は誰だ?という謎解きや失踪したサスキアを救い出すという部分にはフォーカスされていない。むしろ失踪へ至るまでの様々な偶然や選択が産む悲(喜)劇やサスキアを失って精神が蝕まれていくレックスに焦点が当てられる。

犯人は観客の前に早々に姿を現わし、彼がサスキアを誘拐したであろう事は序盤の段階で明かされる。

では我々は不安を抱かずに画面を観続けていられるか?というとそうではなくて終始不穏な空気が支配しており観客は寄る辺なき恐怖というようなものに苛まれながら時間を過ごしていく。そういった恐怖と不安を常に側に置きながら、観客は真相への好奇心を止める事が出来ない。それはレックスと同じだ。

レックスは犯人に突きつけられた選択に逡巡する。おそらくその逡巡にはサスキアの生死とは別の不安を抱えているからではないだろうか。

それはサスキアが自らの意思で失踪した可能性だ。サービスエリアで一瞬見せられたサスキアの表情に見られる〝断絶〟の印。それはあからさまな描写ではなかったが、しかし一瞬の表情の変化は見て取れる。そこからもしかしたらサスキアが自分からレックスの元を去っていったという可能性を我々は感じている。

そういった様々な不安を脇に抱えながらもレックスと我々は犯人の誘惑に抗えない。「真相を知りたいだろう?」

あの時ガソリンを入れていれば、一緒に売店に行っていれば、写真を撮る時トラックが通らなければ…。そういった後悔はすでに意味を失っている。今、真相を握っている犯人が目の前にいる。真相を知るには犯人の提案を飲むしかないが死のリスクは当然ある。

さてレックスの選択が生んだ結末は果たして…。

結末に至って犯人の動機は明かされたか?個人的にはそこは闇の中だと思っている。何かしらそれらしい理由を見出す事は出来るかもしれないがそれすらもフェイクかも知れず、結局我々は悪意のための悪意をつかまされているのではないだろうか。

ただ一つ明白なのは、浮かれてコインを木の下に埋めたりしちゃダメだね。