妄想徒然ダイアリー

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そして健さんは押入れから日本刀を取り出す。【映画】『ザ・フォーリナー復讐者』雑感。

「昨日の水曜ロードショーの『酔拳』録画したやつウチで観ようぜ」という感じで良く友達の家でジャッキー映画を楽しんだりしていたあの頃。御多分に洩れず木人拳ごっこなどなどをしていた訳で。

という事で観て来ました。

『ザ・フォーリナー復讐者』

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ジャッキーが孤独で冷徹な史上“最恐”の復讐者に/映画『ザ・フォーリナー/復讐者』予告編 - YouTube

その瞳は冒頭から闇を見続けているようで、娘のボーイフレンドを値踏みするかのような眼差しと娘とのやりとりは、まるでクワン(ジャッキー・チェン)自らが厄災を呼び込んでいるようにすら感じさせる。

テロ犯の名前を執拗に知りたがるクワンが当初〝娘を失い自暴自棄的に行動に出る初老の男〟として登場しながら、やがて手慣れた銃火器の取り扱いによってその出自をさりげなく想起させる展開はスムーズで無駄がない。

特に最初の仕掛けを作る場面、ああいう作業の積み重ねの過程を見るのは好物なのでそれだけで1億点上げたいくらい。

ジャッキー映画の醍醐味である〝生身のアクション〟とガンアクションとのバランスも絶妙で、気がつけば戦う者同士が銃を捨て格闘アクションへと移行しているのも違和感がない。椅子を使ったギミックやポールを滑り落ちるというようなさりげないファンサービスにはグッとくる。謎のトレーニングシーンもありますし。

北アイルランド紛争を背景とした物語には〝正義〟や〝大義〟の多重性も垣間見える。過激派(いやしかしUDIって何ですかね?)も政府も警察も、それぞれが清濁併せ飲む存在として描写されている。

なかでもヘネシーピアース・ブロスナン)が抱えるかつての過激な思想と現実との折り合いとのバランスを取ろうとする場面はなかなか興味深い。次第にヘネシー自身も実は復讐者であると気づかされる構造が面白い。

それだけにクワンがヘネシーへ見舞った最後のパンチはスカッとジャパン的痛快さとは程遠い。クワンもヘネシーもそれが到達するべき落とし所であることを互いに承知しているかのような表情だ。その結末はどこかやるせない。

音楽がまた素晴らしくてですね、クリフ・マルティネス。ソダバーク作品やニコラス・ウィンディンク・レフン作品で活躍していた彼のスコアが良い。時折ジョルジオ・モルダーを思わせるようなダサさとカッコ良さの境界線をいくような感じもあったりして、かなり好きな音でした。

という事で「ジャッキー年取って枯れたアクションとか言って誤魔化してんじゃねーの?」なんてあなたが思ってるとしたら、いやむしろそう思って観に行くといい意味で裏切られると思います。