なるほど確かに廓話で展開するお話というのは、現代で言えばキャバクラ遊びに通ずるのかもしれず。虚々実々の駆け引きをお互い楽しんでいるような。そしてバランスが崩れた時に起こる悲喜劇。知らんですけどね。
という事で観てきましたよ。
神田松之丞独演会『二ツ目時代』
前座は神田久太郎。『甲越軍記〜謙信の塩送り』〝敵に塩を送る〟の由来のお話。一声でぐっと引き摺り込むような迫力は足りないが、初々しさがあって好印象。
松之丞さんの登場。当たり前だけど姿を表すだけでパッと舞台が華やぐその堂々とした風格は増えた体重が理由な訳ではあるまい。
マクラでは体重の話とテレビ収録の話。へぇ、椎名林檎姐さん、観にきた事あるのか、と妙な感心をしてみたり。
落語の『明烏』のような導入と展開。とにかく笑いの多い話で賑やかで楽しい。
途中、花魁と留次郎がキャッキャウフフしている描写が段々とエスカレートしていき「こんなの講談じゃねぇ!伯山になるとやりませんよ、こんなの」と嘯き客席を沸かせる。
いやしかし。わははは、と笑いながらフト思う。今、神田松之丞という人を生で観ている事のなんと幸福な事か。脂の乗り切った芸を目撃しているような気分になる、そんな圧倒的なエンターテイメントパワーと色気を感じる。
個人的なツボは朝になると留次郎がすっかり色男になって声まで変わっちゃってるところでした。
一旦、引っ込む松之丞さん、ちょっと猫背気味で歩きながら舞台袖あたりでチラっと客席やや上方に視線をやる姿が良い。
ここで場内アナウンス。扇子や団扇の使用はご遠慮ください、との事。なるほどパタパタさせてる姿が演者側からすると結構気になるという話だが、いやしかしそんなルールあるんだね。
天明白波伝〜稲葉小僧
マクラを終えると、スッと照明が落ちる。先程の笑いに溢れた一席とは打って変わって、今度はピカレスクロマンたっぷりのお話。
息遣いや身振りそして張り扇のパパァン!という音がカメラアングルやカット割りのような役割を持ち、映像がブワーっと浮かんでくるような迫力にしばしば息を飲む。特に花魁が寝ている稲葉小僧の枕元から匕首を抜き取ろうとする時の緊張感とそこからの畳み掛けるような展開は圧巻。
連続物はその膨大なストーリーの一部やスピンオフを少しずつ吸収していくような楽しさがある。スターウォーズのエピソード間のサブストーリーや裏設定に触れる事でパズルのパーツが少しづつ埋まっていく醍醐味に近いのかもしれない。
このお話で描かれる神道徳次郎との出会いも、ああこれが「首なし事件」の名コンビの誕生に繋がるのか、という講談初心者にとってはそれがもう楽しい。
吉原百人斬り〜お紺殺し
最後は怪談話。序盤の次郎左衛門と下男とのやりとりからググっと引き込まれる。花魁八ツ橋にのめり込む次郎左衛門を笑うことは出来ない。それは確かに愚かだが彼が八ツ橋に求めた救済、その細い糸にすがるような思いは胸を打つ。
次郎左衛門の想いは勿論報われない訳だが、しかし果たして八ツ橋の本心はどうだったか。わたしは実は彼女が次郎左衛門の事を単なる醜い顔の男としか見ていないとは思えなかった。もちろん身請けされて添い遂げたい、というのは花魁としての商売としての言葉だったかもしれない。しかし、それでもほんの僅かだけでも「嘘の中にほんの少しだけホントが混ざっている」のではないか?という小さな光。
それはまさに次郎左衛門が抱いた小さな希望だが、そんな希望を抱かせる〝隙間〟を松之丞さんは与えていたように思うのはわたしだけだろうか。
「籠釣瓶はよく斬れる」から時間を遡る語り口は、まるで映像的にオーバーラップするかのようだった。
雪の中での次郎兵衛とお紺のやり取りのまた生々しい事。河原へ連れていく場面のサスペンスには結果が分かってはいてもドキドキとする。畳み掛けるように嘘を並べ立てる次郎兵衛、疑いながらも小さな光を求めて手を伸ばすお紺。息を飲む音が場内に響き渡るような緊張感がたまらない。
最後に静かに雪が降る風景まで引き込まれっぱなしだった。
この三席にはそれぞれ花魁が客の手を握る場面が出てくる。いわゆる恋人繋ぎというお互いの指を絡めるように花魁が相手の手を握る仕草を見せる松之丞さんだったが、当然ながら三席それぞれ全く違う印象を与えてくる。
「潮来の遊び」ではうろたえる留次郎を見るのが楽しく観ているこちらも思わず笑みが零れる。「稲葉小僧」ではやがて訪れるサスペンスを感じてドキっとする。そして「お紺殺し」では次郎左衛門の哀しさが強調されて切なくなる。それぞれの思い/想いがその手繋ぎに表れていたように感じた。
まだまだ続く「二ツ目時代」シリーズ。チケットが取れる限り観ていきたい。