わたし達はどうしても物語を求めてしまう。バンドでもアイドルでもスポーツ選手でも、彼/彼女達を巡る物語に感情移入する際に感動出来るストーリーをツールにしがちだ。
もちろんそういったストーリーも彼らを成立させている要素だし、そのストーリーが我々に与える快楽も抗えない魅力があるのも事実だ。しかし、時にそれは過剰なストーリーを彼/彼女達に負わせる事になり、本来の姿から乖離したものを追い求める事に成りかねない。
なんてね。
という事で観てきました。
『ロケットマン』
エルトン・ジョンを演じるタロン・エガートンは素晴らしかった。吹き替えなしでトライしたという歌唱部分もレベルが高く、ちょっとした表情や眼差しの変化によって内面を表現する演技も良かった。
しかし、こればっかりは相性というものがあって、しっくりこない時はしっくりこない。これはもうどうしようもない話。残念ながらわたしにとってこの作品はそういう類いのものだったのかもしれない。
この作品で取り入れられたミュージカル演出は正直なところ成功しているとは思えなかった。ミュージカル演出自体が悪い訳ではない。周りで踊るダンサーたちの技術は高いし、表情の作り方や流れるように主人公に絡んでいく動きも滑らかだ。しかし、その高い技術に裏打ちされた動きは豪華なフラッシュモブを観ているかのようで少し気恥ずかしく感じてしまった。理由は…よくわからない。
エルトンとバーニーの関係やそれを巡る葛藤も唐突感があって置いてけぼりにされたような気分だ。スターとなったエルトンの苦悩、家族関係に起因する孤独、長年ソングライティングのパートナーとしてやってきたバーニーとの関係が乖離していく事の悲哀…。そういった要素を描こうとしている意図は伝わる。伝わるんだけど…。
どうせならド派手なエンタメ路線に振り切っても良かったんじゃないだろうか。
もちろん輝くような場面もいくつかあって。特に『ユア・ソング』が出来上がる瞬間のキラメキは素晴らしいし、子供時代と向き合うプールのシーンもグッとくるものがあった。
あと好きだった場面はジョン・リードがエルトンの頭をそっと撫でた時に「あ。毛が抜けた」ってなるところ。次第に衰えていく身体と自己表現の手段としての派手な衣装とどう向き合っていくかという問題。どうせなら、この辺もう少し掘り下げてもよかったのかな、なんて個人的には思いました。
まあ、こんなところです。
最後は派手にドカンとライブシーンで締めくくって欲しかったけどね。2010年グラミー賞でのレディガガとのコラボなんて最高だし。「スピーチレス」から「ユア・ソング」になるとこなんて鳥肌モノなので動画サイトで探して観てみて下さい。
そういう意味では内面を描く事とエンタメに振り切る事のバランスが良くなかったのかもしれませんね。
あとさ、言わせて下さい。ロケットマンつってホントにロケットみたいに飛んじゃいけないと思うんだ!