妄想徒然ダイアリー

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こんな時でも蝉は鳴く。【映画】『この世界のさらにいくつもの片隅に』雑感。

という事で今年の映画初めはこの作品を観てきました。

『この世界のさらにいくつもの片隅に』

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予告編→YouTube

いまさらオリジナルの素晴らしさを問う必要もないくらいで、ただ単純に「もう一度すずさん達に会いたい」という気持ちで劇場に向かった。そして前回同様にボロボロと泣いて劇場を出たのです。冒頭のコトリンゴさんの歌声だけで泣けてくる。

今回、リンさんとのエピソードが加えられた事で作品内の人間関係は大きく変わっている。それはすずさんと周作の2人だけでなく、例えばすずさんと水原哲が過ごしたあの一夜についてもその意味合いが大きく変わってくるかのようだった。呑気でほんわかしたすずさんだけではない、様々な心の動きが見えてくる。単なる嫉妬や孤独感という言葉では表現しきれないモヤモヤとした何かを抱えているすずさんの姿が立ち上がってくる。

そしてタイトルに込められた「さらにいくつもの」という言葉通りに、リンさんはもちろんテルさんや知多さん、小林夫妻、あるいは猫に至るまでそれぞれの人たちにそれぞれの人生、それぞれの世界の片隅があるという、そんな眼差しを感じる。

個人的には〝鬼イチャン〟のサイドストーリーが大好きで、それはオリジナル版でも今作でも特に大きくフィーチャーされている訳ではないけれど、それでも何故か今回は消えてしまった兄がすずさんによって再生されたように感じられた。石ころになった兄を再生させる事は、もしかしたら妹すみの心身を救い出そうとする意図があったのかもしれない、そんな風にすら考えてみたり。おそらくは救うことのできないすみちゃんの病状。南方で戦死したとされている兄を想像の中で蘇らせる事で、すみちゃんの魂を救済しようしたのではないか、と。

音の迫力という漫画でも劇場で観るべき作品のひとつだと思っている。前半で描かれた戦時中の日常を切り裂くように鳴り響く砲弾や爆撃の音。ズシリと身体に響いてくるこの音は劇場でこそ体感したいものだ。Blu-rayも持ってるけど自宅の貧弱なAV環境ではあの迫力はなかなか、再現出来ない。防空壕で晴美さんを守るようにして抱え込みながら激しい振動を耐えている、その時のすずさんの表情!あの、ちょっと上目使いのあの表情は、彼女がまだハタチそこそこの少女であると同時に幼子を守る責任も同時にあってとても印象的なシーンだ。

この作品ですずさんに同化したかのような〝のん〟の声は、画面から流れてくるだけでスッとその世界へ入り込めるような力を持っていて本当に素晴らしい。彼女の声が聴こえてくるだけですずさんのいる世界が目の前に広がる。「片隅に見つけてくれて」という言葉はまるで彼女自身の気持ちのようにも思えてくる。

大正14年という昭和との狭間に産まれたすずさんはもしかしたら令和の時代まで生き続けているかもしれない。そんな風に思うと何か生きることに少しだけ力が湧いてくる気がする。

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