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扉は閉ざされたまま…か?【映画】『マリッジ・ストーリー』雑感。

地方都市の高校生だった頃には、もちろんシネコンなんてものもなくて、いわゆる大作系以外の良作を観るには小さなミニシアターだけが頼りだった。

しかし今我々にはNetflixがある。なんていうとCMみたいだけど、いやでもそれは本当で、ほぼリアルタイムでアメリカ産の映画が全世界で観る事が出来る。

『ローマ』の例を上げるまでもなくNetflixオリジナル作品のパワーは間違いなく映画界のメインストリートのひとつになっている。マイケル・ベイ印のド真ん中のエンタメもあれば、こういった人間の機微を丁寧に描いた作品まである幅広さ。

という事で観ました。

『マリッジ・ストーリー』

予告編https://youtu.be/hstm3h9bqPU:ニコール版

予告編https://youtu.be/qX231AKYj0Y:チャーリー版

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離婚を描いたドラマは多い。中でも最初に頭に思い浮かぶのは『クレイマー、クレイマー』だ。夫婦の離婚問題を子供の養育権に絡めて描く構造は確かに似ていて、そのアップデート版のようでもある。しかし、『クレイマー…』が結局のところ夫の方にシンパシーの重点を置いている点においてはバランスを欠いていると言えるのに比べると、今作ではニコール(スカーレット・ヨハンソン)にもチャーリー(アダム・ドライバー)にも均一な距離感を維持して描いているという印象を持った。

例えばそれは、息子のヘンリーの両親への距離の取り方に現れている。彼は自分の意思を最も大事にしていて、その意味においては両親ともに同じ距離をキープしているように見える。パパと過ごす番であろうが、行きたくなければママのとこが良いというし、いくらママが楽しそうにハロウィンの準備をしていても疲れていれば行きたくはないと態度で表明する。『クレイマー…』において息子が父親とバディ的な関係を強化するような事は起きない。

結局のところ、夫婦間のズレ(とそれがもたらす子供との関わり方)という本来個々の内面の問題であって第三者が介入しえないはずのトピックが、調停や訴訟、裁判という制度的なプロセスでしか解決出来ないという虚しさがある。

代理人同士の法的戦略を駆使した泥仕合によって2人の関係はどんどんズレていき、では直接顔を合わせて話し会おうとしても会話は成立せず、やがて感情のぶつかり合いにしかならない。

そういったある種の抜き差しならない状況における赦しと救済とは何か、というのが最後に提示された時、わたしは少し爽やかな気分にすらなっていた。チャーリーがニコールの成功に対して投げかけた言葉とそれに対するニコールの返事。小さな断絶がそこにはあるのだが、そういう断絶を超えた繋がりもまた同時に存在する。裁判の結果として生まれた制度的解決とは別の次元で新たな関係性を作り上げることが出来る。静かだが実に良いエンディングだった。

演者達は皆良かった。スカーレット・ヨハンソンはもちろん、脇を固めるローラ・ダーンレイ・リオッタなどベテラン陣の活躍も素晴らしい。老弁護士のアラン・アルダの気品溢れる演技も良かったけど、やはりアダム・ドライバーが最高でした。決してパーフェクトではない欠陥のある人物像を時にユーモラスに時に叙情的に演じた彼の芝居には、確かにオスカー上げたいですね。

監督のノア・バームバックは『イカとクジラ』でも両親の離婚を子供の視点から描いていた記憶があってまた観直さなければならないし、『ヤング・アダルト・ニューヨーク』もベン・スティラー好きを表明しながら見逃している始末。今作を観るとやはり現代アメリカ映画の中では、そしてニューヨークを舞台にする作家という事ではウディ・アレンの後継者という位置付けなのかな。

撮影も良かった。背景を無機的に切り取るというか、特にLAパートでは全体的に白い色合いになっていて、それが終盤になるとLAもNYにも暖かみが出てくるというか画面が段々と色づいているようにも思えて。あと扉や門などが2人を遮るカットとかも、良い。撮影監督は『女王陛下のお気に入り』の人なんですね。うん、良いルックでした。

という事でNetflixAmazonプライムを検索してノア・バームバックの過去作を観ていこうと思います。