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このドイツの片隅で…踊る。【映画】『ジョジョ・ラビット』雑感。

物事というのはなかなか一元的には見られないもので。純度100%の正義もないし、また悪もないはずで、その両方は様々な状況や条件によって表になったり裏になったりするものじゃないのかな、と。

という事で観てきました。

ジョジョ・ラビット』

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予告編→YouTube

タイカ・ワイティティが繰り出すパンチはブラックユーモアと片付けるには複雑で、毒性が高く心を抉るような鋭さがあるかと思えば、同時に優しさを持っている。

ジョジョ少年は、その政治的思想を云々するのも憚れるほどの幼く、靴紐を満足に結ぶ事すら出来ない。だから彼がヒトラーを父親や親友の代替としてイメージしている事にも微笑ましさすら感じるほどで、その危うさはジョジョの不安定な精神状態と一致している。

カジュアルに描かれるヒトラーは、一見親しさすら感じさせるキャラクターになっているが、同時にそれは彼のカリスマ性を矮小化しているとも言える。直接関係ないけど投げやりな挨拶のやり取りとかね。

だからこそジョジョの成長や変化に伴い、彼の存在感は薄くなり、お互いの関係性において齟齬が生じてくる。当たり前だ。ヒトラージョジョにとっての親友でもなんでもない。

ジョジョにとってその人生のエポックメイキングとなるユダヤ人少女エルサの関係は、甘酸っぱい恋というにはハードでややこしい。エルサと出会った事でジョジョが直ちにナチスとしてのアイデンティティを捨て去る訳ではないし、またエルサも単なる悲劇のヒロイン枠組に留まっているわけでもない。

しかしそのエルサの強さ、したたかさは裏を返せばそうしなければサバイヴできない世界の状況がそうさせているのであって、時折彼女がみせる弱さやジョジョに対する慈しみのような愛情はガツンとこちらの心を撃ち抜く。

終盤の戦闘シーンには自然と涙が溢れてきた。なんの涙かは判らない。当たり前のように連合軍の勝利に終わるこの闘いは、ほぼドイツ側の視点で描かれている。銃を持ち立ち向かうのはキャプテンKやヒトラーユーゲントの少女たち、羊飼いのおじさんを始めとする市井の人々、そしてジョジョ達子供だ。

彼らは圧倒的な絶望や脳天気な楽観にも寄りかかることなく、現実的に目の前の事態に対処しているのだろう。それを今の価値観から責める事はわたし達には出来ない。その寄る辺ない感情の行き先が涙を出させているのだろうか。正直、自分でも良く判らない。ただ、とても感情を突き動かされた。

ジョジョを演じたローマン・グリフィン・デイヴィス君は実に愛らしい立ち振る舞いで素晴らしかった。根っこにある優しさと同時に幼さ故に固まった思考に盲信していき、またそれが柔軟に変化していく姿が良かった。多分気のせいだろうけど終盤少し背も伸びているように見えて文字通りその成長が感じられた。

レベル・ウィルソンコメディリリーフとしての面目躍如ぶりもスカーレット・ヨハンソンのやや現代的に思える母親像もとても良かった。ジョジョの友人のヨーキー役の子もなかなかの存在感で、幼さと妙に大人びて達観しているような姿の同居が微笑ましい。実際にはそれほど多くの時間は出ていないんだろうけど彼はとても印象的だった。

エルサ役のトーマシン・マッケンジーが持つ瑞々しさと強がりの表情もまた魅力的で秘密警察のガサ入れ時のサスペンスの場面での立ち振る舞いは見事だった。

そしてサム・ロックウェルの退廃と諦観に溢れた大佐の立ち振る舞い。最高でした。いや、良い役だったねえ。ちょっと美味しすぎるくらい。ラストのアレなんか、まあベタっちゃあベタなんだけど実に泣かせる。

という事で、言い方が難しいんだけど最後には切なく哀しい気持ちもあったような気がするし、爽やかな気分もあったのも嘘ではない。ボウイのヒーローズのドイツ語版が身体に染みこんでくるエンドクレジットなのでした。