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やれやれ、行くしかないじゃないか。【映画】『1917』雑感。

このご時世、満員電車に乗ってるだけでもかなりリスキーな状態で、それでもわたし達は普通に出勤し、普通に仕事をしている。

愚かな社畜と言われればそれまでだが、でも職務を淡々と遂行しようとする気持ちがまるっきり的外れとも言えない。のかもしれない。

という事で観てきました。

『1917』

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予告編→https://youtu.be/irQqSroTyPk

ワンカット映像については〝いま目の前で蹴り広げられる風景がワンカットで進行している〟という前提(実際には長回しのショットの連なりである事は承知の上で)があることで、ストーリー上のスリルが増幅されるはずで、見事にその試みは成功している。演技を迂闊に失敗できないという演者たちの緊張が、命がけの任務のドキドキと同化し、わたし達の心拍数は上がる。

ロジャー・ディーキンスが紡ぐ乾いた画面と自然の風景の美しさと残酷さの表現は素晴らしく、序盤の塹壕と終盤の塹壕のルックの違いや闇夜の炎などその映像だけで白飯何杯でもイケるくらいだ。

しかし何よりこの作品に貢献しているのはスコフィールド役を演じたジョージ・マッケイだろう。繊細な演技は勿論の事、何よりもその顔が素晴らしい。思いがけず厄災を背負ってしまった男の諦めと悟りが入り混じったかのような表情は、『マローボーン家の掟』の長男役の時にも見られたが、無表情とは違う独特の顔つきでかなり良いです。またその長躯特有のフラフラとした走る姿には美しさすら感じることだろう。

あくまでもトム(ディーン=チャールズ・チャップマン)の相棒としてたまたま伝令として走る事になり、その任務に懐疑的だったスコフィールドがあるきっかけを境に黙々と走り始める時、そこにあるのは英雄的勇気だろうか。多分違う。彼を走らせているのは、粛々と任務を遂行しようとする矜持のようなものに近いように思える。

最前線に行って攻撃をやめさせようとする伝令のその行先には、当然攻撃に行こうとする人間がいる。最前線の彼らは指揮官も兵士も相応の覚悟を持って敵地に飛び込もうとしている。これもまた、任務を遂行しようとする矜持だ。

だからいきなりヒョロっとした男が現れて「攻撃中止ですよ」と言われて「あ、そう」となる訳でもなくて、だからこそそこにサスペンスが生まれる。最前線を指揮するマッケンジー大佐の決断や如何に、というところだけど、ここの描写も適度なドライさがあって良かった。

あ、そうそう。わたしは事前に出演者の事知らなくてだからこそ幾つかの場面で「あ!あら!あらあらあら!!!」という具合に嬉しいサプライズがあった。だからあまりキャストを調べて行かない事をオススメします。

さて。繰り返しになるけどスコフィールド達が届けようとする伝令はどちらかと言うとネガティブな内容だ。攻撃停止はその場での犠牲は最小限に留める事は出来るかもしれないが、勝利ではない。彼らの最前線はこれからも続いていくのだろう。スコフィールド達が無事任務を終えたとして、そこにあるのは決してハッピーエンディングでも何でもない。そこにはゴールテープはなく、行き着いた先にもバトルフィールドが続いていくだけだ。そもそも伝令届けたあと、また元の連隊に戻らなきゃダメなのかもしれない。あの道筋をまた戻るとしたら彼らに溜息くらいつく権利はあるし、メダルの替わりにワインくらいは飲ませてやりたい。