妄想徒然ダイアリー

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わたしの世界は窮屈で広い。【映画】『WAVES』雑感。

という事で観てきました。

WAVES

予告編→https://youtu.be/d2nPX3N42KI

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コンテンポラリーな音楽シーンに明るい訳ではないが(おそらく)up to dateなプレイリストとまるでApple製品のサンプル画像・動画のような絵面が持つある種のポップさと相対するかのように基本となる部分はとてもクラシックで普遍的なテーマが語られている。その寓話的な佇まいにわたしは惹かれた。

あらゆる抑圧に押し潰されそうになっている登場人物達の足掻きや苦しみと救済。そういったモチーフは、それ自体は決して目新しいものではない。しかしながらこの作品が他の作品群に埋もれる事なくわたし達の前に存在感を示しているのは、その描き方やキャラクターへの向き合い方に真摯なものを感じるからだと思う。

サブスクのプレイリストのように流れる音楽や多用されるSNSというスタイルはともすれば上滑りして表層的な描き方になりかねない。見かけ上の目新しさが、ただ〝目新しいだけ〟なものであれば、それは観客の心を捉える事は出来ないはずだ。しかし、この作品はそういったリスクを巧くすり抜けていた。

SpotifyAmazonミュージックのように画面を埋め尽くすポップミュージックという表現の根底にあるのは、それが今の若者達のライフスタイル(の一例)そのものであるという事だ。単にそれを切り取っているに過ぎない。言い換えればそれがリアルであるということだ。

メールによるやり取りやSNSの存在は、それが今のリアルだからであって、そこに批評性はない。もし仮に「現代社会における空虚な人間関係」みたいな批評性を感じたらわたしは一気に白けていたと思う。

例えばエミリーとルークはミズーリへ向かう道中、レジャーを思いっきり楽しんでいる。彼らの旅の目的を考えればそれは通常省略されてきたものだ。しかし、それこそがまさにわたし達が生きている証であるようにも感じる。

エミリーもルークも自らを押し潰すような状況、世間に恨み言ひとつも言いたくなるような人生でありながら、そういったキャラクターに殉じる事なく人生を謳歌している。このキャラクターに殉じることなく、って部分にわたしは多くの部分で共感した。辛く沈むような人生でも、そこに囚われずにいられる余白がある事に救いのようなものを感じたのかもしれない。上手く言えないけど、エミリーが楽しく暮らしている事に安心するような、慈しみの気持ちすら生まれてくるような、そんな感覚に陥った。

わたしがそう感じるのは、おそらくこの作品が登場人物達の内面を丁寧に描いているからだ。いや丁寧に言ったけれど、それは過剰な言葉による説明がされているという事ではない。むしろそういった説明は省略され、僅かな表情の変化や眼差しという風に抑制された描き方をしている。説明セリフよりは曲の歌詞に感情を表現させるというのも(好みは別にして)思い切ったやり方だ。いずれにせよその表現方向はシンプルだが力強い。画面のアスペクト比が変わるだけであんなにカタルシスが生まれるとはね!

キャストの素晴らしさはもちろん(エミリー役のテイラー・ラッセルの放つオーラよ!)、トレント・レズナーアッティカス・ロスによるスコアもとても良かった。ポップミュージックの中で、ふとした時に立ち上がる音楽は時に不穏さを増幅し、時に魂を救い出す。その響きはとても効果的だった。

ウィリアム家、ルークとその父親、そしてアレクシスの両親もそれぞれが辛い現実に押し潰されそうになっている。そのプレッシャーから解き放つ特効薬はない。でも自転車の手放し運転で風を感じる余裕があれば少しは救われるのかもしれない。