あれは去年の大型台風が来たときだったと思うけれど、ホームレス達が避難所へ入ることを拒否されたとか他の避難者から苦情が来ているとかそんなニュースがあったように思う。
という事で観てきました。
『パブリック 図書館の奇跡』
予告編→https://youtu.be/97W0_ALri6o
エミリオ・エステベス、アレック・ボールドウィン、クリスチャン・スレイター、ジェナ・マローン、ジェフリー・ライト…というキャストだけでワクワクしてしまう訳だが、鑑賞前の予想とは違って静かではあるものの、メッセージ性の強い仕上がりになっていた。
冒頭ではいきなり「本を焼き払え!その歴史が気に入らないなら、消してしまえばいい(意訳)」というアジテーションが印象的な曲が流れてくる。
寒さを凌ぐため、たった一晩(だけでも)屋根のある図書館に泊めさせてほしいというホームレス達の願いは、それ自体はとてもささやかなものだ。と同時にそれは公共性とは何か?という問いに関わる厄介なテーマでもある。
キツい体臭を理由に図書館を追い出された人間から75万ドルの訴訟を起こされる。そんなケースが(おそらくは)多く起きているようなアメリカ社会は、果たして公正なのか?体臭を不快に感じている多くの利用者が快適に図書館を利用する権利はどのように保証されるのか。
エミリオ・エステベスはこの作品で公共性や正義、そういったものがどのように成り立っているのか(或いは成り立っていないのか)というポイントに焦点を当てて余計なノイズを限りなく削ぎ落として描いていたという印象だ。
やりようによってはもっとエンタメ寄りの展開にする事も出来たはすだ。市長選を巡ってジョシュ・デイビス(クリスチャン・スレイター)がこの事件を〝悪用〟する事も出来たし(コンクリートに寝そべった彼がてっきりそんな作戦を思いつくのかと思ってた)、交渉人ラムステッド(アレック・ボールドウィン)の息子との人間関係を掘り下げる事も出来た。※それにしても『WAVES』といい、オピオイドを巡る問題というのは現代アメリカにおける深刻なトピックなんだね。
しかし、それらはその可能性だけを残してそれぞれ淡白に処理されている。「お。面白くなりそうだぞ」と観客が感じた要素はことごとく寸止め状態でフェイドアウトしていく。それはもちろんエステベスの意図で、そういった見かけ上の〝飲み込み易さ〟を排除する事で現代的なトピックにフォーカスを当てたいというところなのだろう。
その潔さは原題のthe public というシンプルさにも現れていて、決して邦題の〝奇跡〟という収まりの良い言葉で飾られるものではない、という作り手の意思がそこにはある。この物語を〝奇跡〟としてしまうのは、正に劇中の浅薄なテレビレポーターの行為と同じであって「いや、そんな簡単に物事は解決もしないし、霧が晴れるように視界がクリアになる事はないのだ」というのが現実の筈だ。
毛布や食料を届けにくる市民の善意は決して偽りでもないし賞賛に値するが、彼らも「このままでは凍えてしまう。今晩だけ泊めてくれないか」とホームレスに言われれば、多くの人々は断るに違いない。それは決して間違いではなくて、公共性をどの領域まで拡げていくかという問題は実にややこしいテーマだ。
検事も交渉人も警備員たちもピザの配達人も粛々と自分の職務をこなしていくしかない。それが社会の秩序を守っていくと彼らが信じているからだ。合衆国憲法の下では。
合衆国憲法の下で補償された権利の行使とそれが他者の権利を侵していないかという線引きは、訴訟・裁判というシステマティックな制度の中で処理されていく。それはアメリカ的な合理性の到達点ではある。
しかし、そういった制度から取りこぼされる問題というのはどうしても出てくる。そんな問題に対してmake noise=声を上げる必要が生まれ、それが図書館占拠という「平和的デモ」という選択へと繋がっていく。しかし、それは奇跡を生んだのか?
ラストで複雑な表情を浮かべるスチュワート(エミリオ・エステベス)の眼差しにそれが現れていた気がする。ホームレス達の高揚感の中で、ある種の諦観にも似たもの哀しさ、その瞳の鈍い輝きこそがこの映画の全てであったなぁ、と物知り顔をしてわたしは劇場を出て行ったのでした。