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「外を見てるのはわたしだけかしら」【映画】『シカゴ7裁判』雑感。

『シカゴ7裁判』

『シカゴ7裁判』予告編 - Netflix - YouTube

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アーロン・ソーキンらしいスリリングな会話劇はとても刺激的で、演者達も素晴らしくあっという間の130分だった。

判事の悪役(フランク・ランジェラの憎々しさ!)としての立ち位置が明確で、であるが故に真実味に対する疑念が浮かぶほどだったけれど、恐らくはそう感じてしまうくらいに偏りに満ちた法廷であったことの証なのかもしれない。特に前半に焦点が当てられるボビー・シールに対するホフマン判事の態度は直視する事すら憚れるほどだった。

おそらくはその過激さが控えめに描写はされていたと思うけれど、ボビー・シール(=ブラック・パンサー党)の社会に対するスタンスは、例えばフレッド・ハンプトンの件を伝えにきた面会時のトム・ヘイデンに対する静かだが怒りに満ちたやり取りに明確に現れている。ヘイデン達の活動を〝古い世代に反抗しているだけだ〟と断罪し、「木に吊らされてきた事とは比べ物にならない」と突きつけるその言葉の鋭さ。

Strange Fruit - YouTube

歴史はいま、この法廷を断罪してはいる。しかし、あの当時に猿轡をつけられ代理人もいないまま裁かれようとしていたボビー・シールにとっては今この時の変革こそが大事だったはずだ。50年後の現代から「ひどい判事だなぁ」と当時の腐敗を指摘するわたし達は、しかし今起きている世の中の異変には無自覚なのかもしれないし。

シカゴの政治家達が集まるバーにデモ隊が向かうシーン。ガラスの向こうとこちらはまるで別世界で中にいる人間は外で警官隊とデモ隊が向かい合っているなんて気がついていない。というかそもそも見る気がないのだろう。ただ1人の女性だけがその異変に気づき「外を見ているのはわたしだけかしら」と呟く。このセリフはとても印象的で、社会の断絶を表しているかのようだった。だったガラス1枚のみだが内と外は隔てられていて、外にいる人間には中の様子すら伺うことはできないし、内の人間もまた外の世界について考える事もなく過ごしている。

今わたしがいるのが、そのバーの中なのか外なのか。或いはデモをしている側なのか、止めようとしている警官なのか。はたまたそのどちらでもなくてデモをしている学生の持っている星条旗に反応するフラタニティに属しているのか。その立ち位置はグレーでフラフラとしているが、それが正しいのかどうか。そんな事も考えてみたりする。

ただどこにいるにせよ、その居場所の外側の世界へ可能な限り自覚的であるべきだろうとは思っています。

あ。そうそう、個性的なキャスト陣は本当にみんな素晴らしいパフォーマンスだったけれど、中でも個人的にはマーク・ライアンスの佇まいと事務所の電話番してる女の子アンニュイな感じと潜入FBI捜査官が印象的でした。