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引っ掻き傷、消えたね。【映画】『サウンド・オブ・メタル』雑感。

うかうかしてると連休も終わりが見えてきて、それを取り戻すかのように立て続けに配信で映画を。いやしかしリズ・アーメッド、いいキャリア歩んでますね。『ナイトクローラー』の不遇な助手からここまで。

サウンド・オブ・メタル』

[Sound of Metal – Official Trailer | Prime Video - YouTube

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もちろん、主人公であるルーベンが〝聴覚が失われていく〟という事態に直面し戸惑う姿が描かれているし、(おそらくは)ルーベンが聴いているであろう音を再現する描写からも、邦題に付けられた〝聞こえるということ〟というテーマが中心にあるのは間違いない。

その試みは成功しているけれど、と同時にわたしがこの作品から感じたのは、異なる世界に放り込まれた人間の疎外感と自己の回復(への足掻き)の物語だったりもする。と、こう書くと荒れた生活を送っていた人間がピュアな人たちや環境に出会って人間らしい人生を取り戻す、というようなストーリーを思い浮かべてしまうが、そういった類型ともまた違う。

ジョーが主催するコミュニティに入所した直後の食事シーン。そこでルーベンは周りで交わされる会話を理解する事が出来なくて疎外感を味わっている。自分の立ち位置を測りかねていることと、コミュニケーションが取れないことによるストレス。それをどうコントロールしていくか、というのはなかなか身につまされるものがある。

やがて手話を身につけ、コミュニティに居場所を見つけていくルーベンだが、だからといって彼の全てが受け入れられる訳ではない。ルーベンのある決断に対してジョーは理解を示しながらも、断固とした態度で彼をコミュニティ不適合者として一線を引く。ジョー自身が言うように、それはコミュニティを維持していく為に譲れない信念だからだ。

ここでルーベンは自分をどういう枠にはめていくかの選択を迫られてしまう。聴覚のない自分を、ありのままの姿として受け入れて生きていくか。或いは聴覚を取り戻して元の生活を手元に引き寄せて生きていくか。曖昧な態度で静寂を都合よく手に入れる事は出来ない。それが社会というものだ。

コミュニティの外でもそれは同じだ。トレーラー暮らしをしていたルーベンに元々快適な居場所などなかったし、それは聴覚のあるなしに関わらず周りの人間たちとルーベンの住む世界は噛み合っていない。相手の発する音はノイズとなって互いに境界線を作りだす。

そんなルーベンにとってのセーフティネットがルーであって、かつての2人はそれでどうにか生き延びてきた。しかし、ジョーが看破していたようにルーベンは共依存的恋愛から逃れることができていない。彼はルーもまたそうして自分を居場所として求めていると信じて疑わないし、その感情そのままにルーへ対峙しようとしている。

この辺りの愛の残酷さは、原案がデレク・シアンフランスだけあってとても刺さる。さりげない表情やちょっとした描写でそれを表すあたりは実に巧みだった。ああ、ルーの腕の引っ掻き傷!!!!

しかし、そうしてまでもルー(と彼女との生活)が取り戻さなければならないものであったということだけど、だからこそ最後のルーベンの行動に大きな意味が生まれる。そこで鳴らされるメタル(金属)の音をルーベンはどう〝聴いて〟いるのか。

いずれにせよ、それは以前とは違う音だ。