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ぼくの名前を呼んでみる?【映画】『DUNE デューン/砂の惑星』雑感。

余り昔話ばかりするのはどうかと思うけれど、デヴィッド・リンチ版の『デューン/砂の惑星』が公開された時、前売り券(!)を買うと池上遼一先生によるイメージイラストのチラシが特典に付いてきた。あれはまだ実家のどこかに残ってるだろうか。

『DUNE デューン/砂の惑星

予告編→映画『DUNE/デューン 砂の惑星』US版本予告 2021年10月15日(金)全国公開 - YouTube

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まさか30年近くなってリメイクされるとは思っていなくて、これを機会にリンチ版を見返してみた。振り返るとストーリーは殆どは覚えてなくて、冒頭のヴァージニア・マドセンや浮かぶハルコネン(ハルコンネン)男爵とその見た目、砂虫、スティングくらいしか記憶に残っていない事を再発見した。このリンチ版は駆け足な展開でダイジェスト状態になっている事が芳しくない評価に繋がっているというのが定説だ。先程〇〇くらいしか記憶にない、といったけど裏を返せばその部分は30年近く経っても印象強くイメージが残っているという事でもある。

そういう意味で言えば、本作はアクの強さという面では少し物足りないのかもしれない。ハルコンネン男爵を演じるステラン・スカルスガルドは流石の存在感で素晴らしかったけれど、やはりどこかに隠しきれない気品があって。リンチ版ハルコネン男爵とラバンの徹底したゲスさに段々と愛着が湧いてきた気もする。

洗練された映像や巧みな演者達の存在感は見応えがあり、2時間半の上映時間も全く苦にならない。むしろあと1時間くらいは観られた気もする。ただやはり大河的なストーリーを(おそらくはリンチ版の反省から)なるべく漏れなく語ろうとしている事で二部作に分かれた事がプラスにもマイナスにもなっている事は否めない。上映時間が進むにつれ「ああ、もうこの辺で終わってしまうのかなぁ…」と思い始めてソワソワしてしまったくらいで、カタルシスを得られる直前で寸止めされてしまった感はある。確かにスターウォーズなら前半の惑星アラキスへ行くまでのくだりはオープニングロールで済ましているかもしれない。

言うまでもなくティモシー・シャラメには抗い難い魅力がある。世界が求める救世主に自分がなれるのか、果たして自分が〝本物〟なのかという苦悩やそれを乗り越える成長を描いているという意味ではルーク・スカイウォーカーやネオに連なるキャラクターとして惹き込まれるようなオーラがある。それだけに覚醒のカタルシスがあれば良かったけれど、それはPART2に期待するしかないのだろう。

ハンス・ジマーの不穏な低音が響くスコアも悪くないし、撮影も美しい。ポールの夢の部分と現実とで肌触りが違うルックや砂漠のショットも素晴らしく撮影のグリーグ・フレイザーのキャリアを眺めると好きな作品が多い。特にマンダロリアン(そういえばサンドウォームみたいなのが出てくるエピソードありましたね)の名前を見ると、なるほど納得する部分もある。

演者達に目を向ければ、若いティモシーをオスカー・アイザックレベッカ・ファーガソンジョシュ・ブローリンといった面々が支えて全体的に気品のようなものが画面から滲み出ている。ジェイソン・モモアもキャラクターにぴったりのおいしい役所だし、個人的には脇役で良く目にしているハワト役のスティーヴン・マッキンリー・ヘンダーソンが好き。ハビエル・バルデムゼンデイヤは出番少ないながらも印象強かったけれど、PART2で本領発揮というところなのだろう。それも楽しみだ。

なのだが、このままPART2が作られる事なく終わってしまう危惧もある訳で、本当にクイサッツ・ハデラッハが現れるのか、フレーメンのように救世主を待つ気分ではあります。