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大人になれたかな。【映画】『キングスマン:ファースト・エージェント』雑感

陰謀論は馬鹿馬鹿しいと一笑する事もできるし、一方で「世界が何者かに仕組まれている」、と信じる事で理不尽で悲惨な歴史的事実に合理性を求める傾向もある。

キングスマン:ファースト・エージェント』

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映画『キングスマン:ファースト・エージェント』レギュラー予告編 12月24日(金)公開 - YouTube

マシュー・ボーンのバイオレンス描写はそのゴア要素も含めてポップに処理されていて、それをわたし達はエンタメとして享受してきた。所謂「ボンクラ達の受け皿」的な位置付けを肯定的に受け入れてきた歴史がある。もちろんそういったスタンスを今でも楽しむ傾向はわたしにもあるし、今までもキングスマンシリーズもそういったフォーマットに沿って作られてきたと思う。

今作でも、ケレン味のあるアクションシーンやバイオレンス(ゴア)描写はある。ラスプーチンとのバトルなど、バレエとクラシック音楽を上手く使っていて見応えがある。しかし、そこには痛みや哀しみが強調されているように感じた。

オックスフォード公が語る過去への後悔はある人達にとっては〝自虐史観〟的に捉われてるように感じるかもしれないが、わたしはむしろ誠実さや矜持がそこにあるように思っている。その矜持はわたし達にとっても理解できるものではあるけれど、と同時にコンラッドの愛国精神もまた否定出来ない。

コンラッドの英雄的行動が招く事態をめぐる描写は少なからずショックをわたし達に与える。所謂ゴア描写的なものではないけれど、戦争における残酷な命の行く末がわたし達の目の前にゴロリと提示される。そういった冷徹さは今までのマシュー・ボーンとは違ってきている印象だ。それを成熟というのかどうかはわからないけれど、マシュー・ボーンの新たなステージをみた気がしている。

その分、前2作にあった突き抜けた馬鹿馬鹿しさは少なくなっていてアクションシーンも見どころはラスプーチン戦くらいだったりするのもまた、事実。全体的に物足りなく感じてしまったのもそこにあるかもしれない。それが正しい事なのかはよくわからない。わたしもまだ大人にはなれていないのかもしれない。