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スーパーヒーロー着地はやめられない。【映画】『ブラック・ウィドウ』雑感。

デッドプールは膝に悪いと言うし、エレーナも馬鹿にするスーパーヒーロー着地は、一度はやってみたいカッコ良さがある。

『ブラック・ウィドウ』

「ブラック・ウィドウ」最新予告【“家族”編】 - YouTube

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『エンドゲーム』を観てきた者にとっては、ナターシャの行く末はもちろん判っていて、だからこそこの作品における彼女の活躍が眩しくて仕方がない。その刹那、一瞬一瞬が愛おしくなる。

それだけでも感情を刺激するけれど、この作品が矯正され抑圧されている者たちの解放の物語となっている点も、わたしの心の何かを強く刺激した。

キャプテン・マーベル』にもあったフェミニズム的視点を殊更に強調するつもりはないけれど、ナターシャやエレーナが強いられてきた過去を考えれば、彼女たちが同じ境遇にある者たちをその呪縛から解き放とうとするのは当然の事で、そういったストーリーの構造はシンプルだが力強いものだったと思う。

街中で装甲車が走るカーチェイスには何となくノーランっぽいヌメヌメ感があって好きな場面だったし、モロッコでの街並みでのアクションにはボーンシリーズの趣きもあった。そして終盤はMCUらしい絵作りが続いてマーベル作品を観ていると実感できて、いや満足して劇場を出ました。

スカーレット・ヨハンソンはもちろんのこと、フローレンス・ピューも素晴らしい。監獄のような生活から逃げ出した者とその場に留まりサヴァイヴした者のと齟齬をさりげない目の動きや台詞で表現するふたりは流石だった。アレクセイとの関係性とかね。特にレイチェル・ワイズとデヴィッド・ハーパーが加わってからのブダペストでのくだりは、上質な家族ドラマにもなっていて画面から伝わってくるパワーが素晴らしかったですね。

アクションについてもフローレンス・ピューの『ファイティング・ファミリー』でも証明されているキレのある動きも良いし、でっかい銃器を構えるレイチェル・ワイズもカッコ良かったですね。あとオルガ・キュリレンコの贅沢な使い方ね。

そしてやっぱりスカーレット・ヨハンソンですね。ナターシャ・ロマノフのアベンジャーズにおける献身的な自己犠牲の根源にある贖罪、それはアベンジャーズという家族においても今作での家族においても、そして彼女たちの人生そのものにつきまとう問題だ。やがて訪れるエンドゲームあの場面がいつか来る事を想うと、今作での赦しと救済のシルシに感情がミルフィーユ状態になってしまうのは仕方のない話だ。そんなの泣いてしまう。〝家族〟の崩壊と再生はナターシャにとって大きな人生のテーマであったろうし、だからこそアベンジャーズの崩壊を避ける為にナターシャが奔走するのは必然だったというのを改めて認識した感じだ。

あ、あと好きな場面があってナターシャとエレーナが〝もし別な人生だったら〟という話をしているところで、さりげない小さなシーンだったけれど、そうであったかもしれない人生がナターシャにも(そしてエレーナにも)あったかもと思わせるところでそんなところにもグッと来てしまう体質がわたしです。