妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

それもあなたらしいと、今は想うのです。【映画】『コカイン・ベア』雑感。

【9.29(金)全国公開】映画『コカイン・ベア』本予告 - YouTube

f:id:mousoudance:20230929172822j:image

直前に予告編を観て鑑賞を決めた作品。アメリカ映画らしいドラッグの取り扱いが突き抜けたコメディであり、恐怖映画であり家族の物語でもある。予想外にゴアシーンもあったりしたけれど、それも含めてポップコーン片手に100分弱を楽しむことができた。

もちろんパーフェクトではないし、粗がない訳ではないけれど、個人的には好きな部類に入る。どこか懐かしいような80年代後半から90年代の肌触りも好きだ。

子供と母親組、ドラッグディーラー組、警察組、森林警備隊組、チンピラ3人組、そして熊。それぞれのエピソードが(緻密ではないけれど)バランスよく構成されている。あらゆる場面で発生するトライアングル状態もタランティーノ的というかコーエン風というか〝90年代頃、こういう映画あったなぁ〟という印象も含めて個人的にはポイントをあげたい。

子役ふたり(しかし、児童虐待にはうるさいイメージの国だけど、フィクションとはいえ子供にコカイン喰らわせるあたりドラッグに対する倫理観の基準が違うんですね)も良かったし、母親(ケリー・ラッセル)もコメディとシリアスの狭間を上手く渡り歩くような演技が好印象。エディ(『ハン・ソロ』だったことには全く気がつかなかった)とダヴィード(オシュア・ジャクソン・Jr.…アイス・キューブ譲りの厳つさとキュートさが混在する佇まいが良い)のコンビも徐々に関係性が変化していくあたりも上手く描写されていた。

その他、キャスト陣は皆印象に残る活躍だったけれど、やはりこの人。レイ・リオッタでしょう。画面に映るだけで不穏なオーラに包まれるその存在感。数々の作品で素晴らしいアクトをみせてきた彼のキャリアの中でも個人的にはハンニバル』の〝あの役〟が強いインパクトを残している。静かに(その瞳だけで)狂気を表現できる稀有な役者であって、その不在は映画界にとって大きな損失だ。そんな彼の遺作がコレで良いのだろうか?と思ったりもしたけれど、今作で彼が演じたシド・ホワイトの行く末を見届けた今では、それもまた彼らしいと想う事にするのです。

倒れてごらん。何度でも支える。とわたし達は言えるのか?【映画】『バーナデット ママは行方不明』雑感。

映画『バーナデット ママは行方不明』予告編 - YouTube

f:id:mousoudance:20230928162031j:image

予告編な感じから何となく〝意識高めの良さげな映画〟という印象が感じられたけれど、そこはリチャード・リンクレイター作品。「人生に疲れた主人公が旅に出て自分を取り戻す」といった枠に収まらない、とてもとても業の深い話であったというのが第一印象だ。

社会/世間が強制(矯正)しようとする息苦しさは多くの人生において存在しているのだけれど、だからといってバーナデットが抱える生き辛さを、軽々しく「わたしもそうなのだ」と共有化することはできない。彼女の持つ唯一無二という意味でのユニークさは、わたしにはないものだからだ。

バーナデットの心を共有化するのは簡単ではない。彼女の抑圧を簡単に葛藤や苦悩というところへ落とし込むほどバーナデットの人生は単純には出来ていない。クリエイターとしての矜持、創造への衝動というものはわたし達が容易に踏み込んで語るような領域ではないし、そもそも彼女自身もそれを消化しきれていないからこそ、社会との距離感のバランスが崩れているように見える。

これが〝南極という大自然(或いは無垢でイノセントな人々)に触れたら人生観変わりました!〟という話であれば、わたしの心は動かなかっただろう。そうではなくて、彼女のように業を抱えた者がどのように救済されていくのか、そこを描いているからこそ、グッとくるのだと思っている。モノづくりとして欲望を掻き立てるものを見つける事が出来るかどうかがポイントであって、それこそがバーナデットが彼女である事の証を取り戻すかどうかの鍵となる。「ママには難しいの、人生の陳腐さが。でも些細な事に感動する権利はある」という娘との会話が妙に胸に刺さるのは、業の深さを抱えた人間が人生を取り戻す困難さを感じ取っているからかもしれない。

キャスト陣も印象深い。ビリー・クラダップは安易な〝仕事優先で家庭に無理解な夫〟というクリシェに陥る事なく、深みのある人物像になっていて実に良い。クリステン・ウィグも流石という他なかった。コメディ・リリーフ的に登場しながら、要所要所のとても重要な場面に関わってくる。赦しと救済が一気に訪れるあの場面にはかなりグッときてしまった。

そして、ケイト・ブランシェットは当たり前のように素晴らしい。気難しさと愛嬌が混在するキャラクターを演じられる人はそういない。そして、ボロボロになりなぎらもどこか気高さを拭いきれないその佇まいは、スマートに着地するラストに説得力をもたらしているような気がします。

それにしてもタイム・アフター・タイム』にこれほど泣かされようとは。

階段落ちと犬の顔。【映画】『ジョン・ウイック:コンセクエンス』雑感。

【本予告】『ジョン・ウィック:コンセクエンス』9/22公開 - YouTube

f:id:mousoudance:20230923164827j:image

トム・クルーズとともにキアヌ・リーブスもまた、アクション映画を牽引してきたひとりとしてリスペクトしかないし、同時代に生きている事に喜びを感じている。

160分隙間のないアクションの連続で終始カロリーの高い状態が続く。だからといって飽きが来たり、胃もたれするようなこともなく最後まで楽しめる。アクション映画の新たなエポックであることは間違いのないこのシリーズとしての面目躍如という感じで、思わず拍手を送りたくなる場面が沢山あった。挙げればキリがない。

もはや〝とんでもニッポン〟みたいな違和感を抱くこともない大阪編。やはり真田広之ドニー・イェンの存在感にゾクゾクする。ケイン(ドニー・イェン)の飄々としながらもキレのある動き、コウジ(真田広之)の重厚感のある佇まいと刀捌きの美しさに惚れ惚れとする時間だった。こういった見せ場には、チャド・スタエルスキのアクション映画、アジアの先達へのリスペクトの現れなのだろう。

ベルリン編のクラブ『天国と地獄』のオーナー(スコット・アドキンス)の存在感もなかなかだったけれど、やはり終盤のパリ編が白眉だった。怒涛の矢継ぎ早のアクションの連続。車がバンバン行き交う中でのジョン・ウィックの無双ぶりが素晴らしい。その中でも車でグルグル周りながら銃を撃ちまくる場面には言葉では説明できないけれど、なんとも言えないカタルシスに満ちていた。劇場で思わず「わーお」と言いたくなったと言えば、わたしの感情の高まりが伝わるだろうか。或いは、屋内を移動しながらの銃撃戦。俯瞰の位置から捉えた映像は、まるでゲーム画面のようで、このシーンもアドレナリンがドバドバ分泌される見所だった。

クライマックスの〝対決〟に至るまでのスリルも、思わず「ああああああッ…!もうッ…!!」と言いたくなるほどヤキモキされるもので、次第に笑ってしまう程のギャグ的展開ではあったけれど、それだけにラストの落とし前の付け方にグッと来てしまう。

ジョン・ウィックの見る風景が果たして救いになるのか赦しになるのか、それはよく判らないけれど、いずれにしてもそこにあるのは避けようのない〝報い=コンセクエンス〟だ。その報いを、どのようにして受け入れるのかによって、復讐の連鎖の行く末は決まるのかもしれない。

いずれにしてもワンちゃんは大切に扱わないといけませんね。

劇場版と言う勿れ。【映画】『ミステリと言う勿れ』雑感。

映画『ミステリと言う勿れ』予告【2023年9月15日(金)公開】 - YouTube

f:id:mousoudance:20230916184619j:image

テレビドラマの映画版というものには、基本食指は動かない。どんなにテレビシリーズを楽しんだとしても、映画になった途端にどうしても安っぽさが目についてしまって耐えられないことの方が多い。テレビサイズ感の強い画角、深みのない画面のルック、説明的で大げさな台詞回しや〝良さげな場面で良さげな音楽が流れる〟といったネガティブな要素にガッカリする事が目に見えているからだ。

今作も、そういったマイナス要素がないわけではない。例えばちょっとしたコメディシーンなどは、テレビで観ている分には問題ないけれど、劇場で他の観客に混じった状態だと何とも言えない居心地の悪さを感じたり、とか。ただ、そういった点は余り瑕疵として気になるものではなかった。

あとは広島が舞台というのも鑑賞を後押しした。フィクションの世界で広島弁を耳にするとどうしても違和感を抱いてしまうものだけれど、そういったストレスは全くといって良いほどなかった。やや誇張された新音(萩原利久)も理紀之助(町田啓太)の絶妙なバランスな感じも良かったけれど、木場勝己さんの文字にすると判らないくらいの僅かなアクセントの抑揚にあるリアリティが印象に残る。

そしてわたしは相変わらず〝赦しと救済のサイン〟に惹き込まれてしまう。事件に関わる人の心を(時には犯人でさえも)ほぐすようにしてサルベージする整くんの言動や眼差しには、抗えない魅力がある。謎解きそのものは、ストーリーの展開が進むに連れてある程度は予想されるものでもあって大きな驚きはなかったけれど、それは余り大きな問題ではない。むしろ解かれた謎を巡って人たちがどのように変化していくのか、というのがひとつのポイントだったという感想となる。

そういった描写は久能整(菅田将暉)や汐路(原菜乃華)のやり取りに集約されていたけれど、2人の演技力によってクリシェとしての陳腐さがギリギリ回避されていて、ひとの心が救済されていく様を素直に受け入れられるレベルに昇華されていたように思う。

それだけに取ってつけたようなテレビシリーズとの連続性は〝劇場版(或いは所謂イメージとしてのフジテレビ映画)〟の良くないところにしか思えず個人的には蛇足でしかなく残念ではあったけれど、気がつけばKing Gnuのカメレオンを鼻歌で歌いながら劇場をあとにするわたしなのでした。

たったひとつの正しいやり方。なんて、ない。【映画】『ヒンターラント』雑感。

9月8日(金)公開『ヒンターラント』|予告 - YouTube

f:id:mousoudance:20230911165841j:image

全編ブルーバック撮影と聞いて、余りにも〝ダークファンタジー臭〟のする画面作りだと嫌だなぁ、と思っていたら、そういったケレンは余り前面に出ていなくて、とても良いバランスでCGが使われていたという印象。敗戦国の不安定で混沌とした状況が歪んだ建物などに象徴されていて、そういったところにも嫌味はない。

主人公ペーターが殺人事件の捜査に巻き込まれていく過程に、知らず知らずのうちに引き込まれていく。ミステリー的な仕掛けとペーターの赦しと救済の物語が低音の効いた音楽とともに絡み合っていて、鑑賞後に不思議な余韻が残る。

オーストリア或いはドイツの映画界に詳しくないのでほぼ初見の人ばかりのキャスト人だったけれど、皆魅力的だった。特にペーター役のムラタン•ムスルの無骨だが信頼感を帯びたオーラが印象的だった。そのオーラの源は主にその身体性にあるように思うけれど、そのドッシリ感があるからこそどうしようもない状況に絡め取られていくような弱さが際立つ。もう少し、ペーターの優秀な操作能力やセヴェリンとのバディ感を補強するようなエピソードがあっても良かったのかな、という気もするけれどそれはおそらくは小さな話だろう。

戦争における不条理の前では〝正しい行い〟は空回りしてしまい、「じゃあ、どうすれば良かったんだよ!」というペーターの叫びへの答えをわたしは持っていない。混沌とした戦後で新たに生き直す希望が、どれほどそこにあるのかはわからないけれど、それでも生きていかなくてはならない人間としてのどうしようもなさは、ラストに現れていたのでは、と。ペーターの絶妙な視線と表情筋の動きは、この映画の中でも最大の見所であり、同時にミステリーでもあったような気がしてならないのです。その余韻は今でも残っている。

ビー、もうドライブインシアターに行くな。【映画】『トランスフォーマー/ビースト覚醒』雑感。

映画『トランスフォーマー/ビースト覚醒』本予告(字幕版) - YouTube

f:id:mousoudance:20230812164908j:image

バンブルビー』は青春映画としてもよく出来ていてシリーズの中でも飛び抜けた出来だったと思っている。ではあるけれど、あくまでもスピンオフ的な位置付けで、いわゆる正史とは別な世界線と思っていた。なので今作が『バンブルビー』と地続きの続編というのは少し意外だったけれど、そんな事は余り関係なく楽しめる作品だった。

オートボットと人間たちのファーストコンタクトの場面は、これまで何度も繰り返されていて、個人的にはまどろっこしく感じてしまう方なんだけれど、そういった部分も含めてシリーズとして定番のストーリー展開はむしろ心地いい。脳でブドウ糖がほとんど消費されないこれくらいの映画が今の自分には丁度いい。

ティーブン・ケイブル・ジュニア監督の演出は手堅く、『クリードⅡ』でも見られたようにある種のクリシェを絶妙なバランスで使いこなす印象があって、〝わかっちゃいるけどグッとくる〟という場面が多かった。そういう意味では、アクションもスッキリと分かりやすい(意地悪な言い方をすれば既視感のある戦闘シーンでもある。終盤の『エンドゲーム』感とか。)一方で、マイケル・ベイ御大のともすれば何が起きているのか判らなくなるくらいのド派手さと比べると物足りなさを感じなくもない。

とか言いながらも、例えばバンブルビーがある場面で〝say hello to my little friend 〟と発するシーンとか〝オートボット(マクシマル)、全員集合!〟とか〝わたしはオプティマス・プライム…〟とか、そういうシーンに条件反射的に反応してしまったりする。

だから、きっとグレタ・ガーヴィグの『バービー』(この作品と『オッペンハイマー』を巡るアレコレについてはまた、別の話)を観た方が色々と刺激的な筈だけど、今はこういう映画を求めるコンディションなのだと思う。充分楽しかった。

あと、ド頭からヒップホップ系リスペクトを感じる滑り出しも良かった。ガッツリあの頃のヒップホップにハマっていたわけではないけれど、その時の空気感というかそういうものが身体に浸透してくるのが心地いい。個人的なお気に入りは

Rebirth of Slick (Cool Like Dat)

Rebirth of Slick (Cool Like Dat)

  • ディゲブル・プラネッツ
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255

Mama Said Knock You Out

Mama Said Knock You Out

  • LLクールJ
  • ヒップホップ/ラップ
  • ¥255

でした。

ポケットに入れた鍵は失くす。【映画】『ミッション・インポッシブル/デッドレコニング PART ONE 』雑感。

映画『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』ファイナル予告 - YouTube

f:id:mousoudance:20230722131458j:image

シンプルな台詞がとても印象的な映画として個人的には『デッドゾーン』の「グッド・バイ」があるけれど、今作のある人物が言った「グッドラック」も中々良かった。

鍵を巡って大騒動。すばりストーリーとしてはそれ以上でもそれ以下でもない。終始、トム・クルーズが頑張り続ける3時間だった。

今回、争奪戦となっている鍵というものが、よくよく考えてみるとどれほどの脅威なのかというのも実は薄っすらとしているんだけれども、空虚なマクガフィンを巡るてんやわんやが飽きる事なく観られているという事実こそに意味がある。のかもしれない。

こう書くと映画か詰まらなかったように聞こえるかもしれないが、そんな事はなくて面白い。狂気すら感じるアクションとスタントは『フォールアウト』に引き続きとんでもないし、これを成立させているトム・クルーズには敬意しかない。大きな画面で観られるべき作品だし、映画がある種のイベントとして成立していた頃の名残を感じさせてくれる数少ないシリーズのひとつであることに間違いはない。

〝身体の復権〟とでもいうような文字通り体当たりのアクションとスタントは、生々しさを伴っている。時折、イーサン・ハントというキャラクターを超えて「トム・クルーズそのもの」としてわたし達の前に差し出される。例えば、キービジュアルにもなっているバイクで崖をジャンプする場面で、トム・クルーズの顔から明らかな緊張感が伝わる一瞬があって、虚実の境が溶け合った独特のスリルがあった。

そんなトム・クルーズてんこ盛りの状態ではあるけれど、他のキャストもとても魅力的で、序盤でクールに狙撃していくレベッカ・ファーガソンもカッコよかったけれど、MCUでのマンティスとはガラリと違うキャラクターを演じたポム・クレメンティエフが素晴らしかった。不敵な笑みを浮かべながらイーサン・ハントを追いかける姿もかっこ良かったし、終盤の赦しと救済がほんの僅かな間にギュッと凝縮されたようなキャラクターを演じる姿には、正直驚かされた。

そんな中でもヴァネッサ・カービーの上手さが際立つ。独特の表情と眼差しも魅力的だが、終盤のスリルある状況での緊張や動揺といった感情の微妙な揺れの表現が段違いだった。『フォールアウト』の時にも印象的だったそのキャラクターの再登場も嬉しかったし、PART TWO での更なる活躍を期待している。

という事で。緻密なストーリー構成に圧倒される訳ではないけれど、様々な場面やシチュエーション(砂漠、空港、観光地、崖、列車等)で繰り広げるアクションの続く3時間はあっという間だったし、あのテーマが流れると一気にテンションも上がるし、どーんと大きなスクリーンで楽しむ作品として充分な価値がある。

そして、同時代にトム・クルーズがいるという事をありがたく享受しつつ、「はよ、パート2を観せてくれ」と思いながら劇場を出るのでした。