妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

ノット・アローンと言われても。【映画】『ディスクロージャー・デイ』雑感。

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というのが正直なところなところ。

ヤヌス・カミンスキーのレンズフレアで『あぁ…スピルバーグ作品だなぁ』とは思うし、序盤の導入には惹き込まれて割とワクワク感もなかった訳ではない。しかし、終盤に向けての展開やワーデックス社の間抜けぶりなどに段々とテンションが下がってきてしまった。スキャンロンのモチベーションもよく分からないし、部下が「え?いや…これで良いんすか?」と言いたくなる気持ちもよくわかる。*1敵役としての怖さ、これまで真実を隠蔽してきた組織としての恐ろしさのようなものがわたしには感じられなかった。一方、マーガレットやダニエルに協力する謎の勢力もなんだか目的がボヤッとしているように感じられて、ふたりを使う事で何をどういう風にディスクロージャーしたかったのか?*2というのもわたしにはピンと来なかった。

終盤の描写も解像度が低いというか、そう易々と怪しげな情報を信じていいのかね?とも思ったり、市井の人々がまるで操作されているかのように全員が同じ行動を取っている場面は、控えめにいっても白けるシーン*3だった。

ディスクロージャーされている映像を観ても、なんというか今更この造形?とか思ってしまう。あそこにはスピルバーグの意図があって、わたし達の記憶にあるエイリアンの情報をリアルなものとして呼び起こす為だからアレでいい、というより正しい…という事だったとしても、何かの悪いパロディのように感じてしまった。キャスターよく吹き出さないな、とか思いながら画面を眺めていたのはこちらの感性が間違っているのかもしれないけれど。

オープンエンディングが悪いとも思わないし、それがハマる作品も勿論たくさんあるけれど、今作については、どうだったんだろう。やはり、それまでに積み重ねられた様々な材料があった上で、ああでもないいやこうだったのかもと考えを巡らせるものであって、「あ、ここでカットアウトしてエンディングにするのかなー。それだったらヤダなぁ」と思ったらまんまその通りたったあたりも、個人的には残念。そこは逆に予想を裏切って欲しかった。

それにしても、今年はアン・ハサウェイもよく観たけどコールマン・ドミンゴもたくさん出てきたね。そういう意味では同時代性の強い作品だったのかもしれません。

*1:別班ならサクっとヘッドショットでもしてるんじゃないだろうか。

*2:一応それらしい理由はあったけど…そうだったとしても…物語をドライブさせる要素としては弱いような…

*3:同じニュースを一斉にスマホや街中のビジョンで大勢が同時期に見ている、というシーンはよくあるけれど、それにしても手垢が付き過ぎているのでは?。

晩御飯は内緒。『私立恵比寿中学10/10(日)パシフィコ横浜SOUND OF EBICHU 2026-Band Edition-』雑感。

なんだかんだで新春大学芸会以来となる。

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その間にはりったんが暫く体調不良になっていたり、ユナちゃんのカラーがピンクになっていたり、ののかちゃんが走ったり走ったり走ったりしていた。*1

バンドセットでのライブは過去にも何度かあったし、いつもの学芸会とは一味違う楽しさがあって好きだ。当然今回も楽しみにしていたけれど、予想以上に良かった。バンドの後にゆっくりと登場してきたメンバーがチューニングするように声出しをする開幕でこれから始まるライブのトーンが決まったように感じられた。1時間をほぼノンストップで駆け抜けるセトリは幅広く、大好きな曲や大好きな曲、そして大好きな曲が続いて楽しい。見どころは沢山あって、そして相変わらず細かいところの記憶がこぼれ落ちていっているけれど、バンドセットである事を活かした演出*2などもあって、ライブに来ているという実感、その度合いが強い。リズムが印象的な曲定番の自己紹介もMCも殆どなく*3振り返れば20曲以上あった筈で、かなり濃密な2時間半だった。印象的な場面はたくさんあったけれど、敢えてあげるとすれば着席パートの最後の曲になる。これまで何度もライブで観てきた曲*4で、その度に涙してきたが、今夜もまた心にズシンと響く歌声だった。メンバー全員かひとりひとり立ち上がりながらパートを繰り返していく姿を観ているだけで、泣けてくる。

タイトル通り「今のエビ中の音」を届けるという意図が表れていた場面でもあった。けれど、「だからコレはやらない」とか「こうあるべきだ」というような堅苦しさや息苦しさはなかった。そこがまた良い。衣装についても、そうだ。それぞれメンバーカラーがあしらわれているが、所謂フリフリとしたコスチューム的な衣装ではない。かといって必要以上にシックにしようとかカッコよく決めようといった気負いのない力の抜け具合が丁度良い。

新春学芸会の時にわたしはエビ中は無理にストーリーを背負うことのないグループになったと感じていた。これまでエビ中には様々な出来事があり、その度に壁を乗り越えていく姿や困難を受け入れながらも前を向いて歩く様子を観てきた。わたし達はそこに心動かされてきたし、そういった逆境を跳ね除けていく熱い場面が応援するための原動力になってもいた。しかし、いま、エビ中はそういった物語性をわたし達が押し付ける必要はない。グルーブそのものあり方が人を惹きつけていくような存在になっている*5と思う。最後のMCで真山さんはエビ中がまだまだ続いていくんだ、という事を言っていた。他のメンバーも同じような気持ちを込めてコメントしていたように思う。エマちゃんだったか「最新のエビ中が最高のエビ中でありたい」といったように、色んな変化をしながらもこのグループは歩みを止めないという事を改めて認識しつつ、EX THEATER ROPPONGIで開催されるクリスマスライブのタイトルが「トンチキ」なのを聞いて、色んな意味で安心もしている。

*1:前日も赤坂で5キロ激走していたりして思わず「明日大丈夫かしら?」なんて心配したりしたけど、当然そんなものは杞憂でしかなかった

*2:よくある演出だけど、ギター、ベース、ドラム…という具合に段々と楽器が増えてくるやつ、好きなんですよ。

*3:唯一あったものは「昨日の晩御飯なんだった?」というもので、こういうところはエビ中らしさがあって良かった。小久保さんだけ「晩御飯のこと言わないけど…」と昼まで食べたかき氷の話をしているのも含めて。

*4:この〝心臓のドラマ〟は、安本さんの魂の声でもあるし、エビ中の歌でもある。わたしは、安本さん不在時にりったんが叫ぶ姿でも泣いていた。

*5:だからこそ、スーパーヒーローといった曲があの頃とはまた違う意味で感情を揺さぶるのかもしれません。

罵倒と賞賛の間で。【映画】『DIGGER/ディガー』雑感。

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前評判があまり芳しくないようで、それでもわたしは観に行くつもりではあった。そうやって少し下がっていた期待のハードルのおかげか、かなり良かった!序盤の登場人物たち(特にホワイトハウスの面々)のカリカルチュアが、やや鼻につくなぁと思ったり、予告編でも出てくる猫ちゃんの異様な形相っぷりに違和感を抱いていたら、それがしっかりと後になって効いてくる構造になっている。

腹が出て情けない身体と髪は抜けている状態のディガーはそれでも、脚でドアを蹴って開ける動作にはキレのある動きにトム・クルーズが宿っているから面白い。今作のトムのパフォーマンスはとにかく最高だった。予告編のトーンから、なんとなく爆弾に乗って落ちていきそうなディガーの姿が浮かぶ。そういうブラックユーモア的な物語なのかな、とぼんやり想像していたところから、グッとハンドルをきるように展開がドライブしていくあたりで、わたしはもうこの作品か好きになっていた。この展開やストーリー構造自体は目新しい訳ではないかもしれないが、今作ではその仕掛けが二重三重*1にも組み立てられていて、更にその中心にいるのがトム・クルーズであるという事に意味が生まれてくる。特報的な予告映像でトム・クルーズの過去作が編集されて、そこから本作の情報へと繋がっていくものを観た記憶があるけれど、その時は「ちょっと軽薄な発想で作られてるなぁ」という印象だったけれど、今になって思うとそれもまたひとつの布石であったようにすら感じてしまう。それほどまでにこの作品はトム・クルーズが存在しなければ、成り立たない(あるいは意味が大きく変わってくる)ものだと言いたくなる。

ひとつだけネタバレを。*2

仕掛けられた構造を理解したつもりでみていくと、終盤になって更なる扉が開く。そこでわたしはハッと思う。リアリティの壁(という使い方が正しいか判らないけれど)が幾重にも拡がる(あるいは破壊される)事で、わたしたちには混乱と錯綜が生まれる。自己中心的で独善的なキャラクターであるディガーは、作品世界の中で人々の怒りを買い罵倒されている。そして、そのディガーを(あらゆるステップを踏みながら)演じているトム・クルーズというスター。それをスクリーンを通じて観ている我々。ディガーに浴びせられる罵倒と同時に人々から発せられる〝ある人物〟への賞賛。そういった入り組んだ状況を眺めていると、事前に耳にしていたこの作品に対する賛否両論の声すらも仕掛けられた罠なのではないかとすら感じる。まあ、それは考え過ぎだったとしても、実際にトム(とこの作品)を巡る人々のリアクションの数々を、おそらくはきっと静かに受け止めているトムとディガーの姿が重なり合い、そこに複雑な感情が心に刻まれる。映画館を出ると久々の快晴の空が拡がっていて、それでもこの世界は映画の中の曇天と繋がっているように思えて、その時にわたしはこの作品を支持したいという気持ちになりました。

*1:アスペクト比が変わる事にルールがあるつもりでみていて、それは概ね外れていないと思っているけれど、いくつかの場面ではそれが当てはまらないと思われる箇所もある。何か別の角度から観る必要があるのかも

*2:予告編で聴いた『money for nothing 』も『burning down the house 』も劇中には流れない。でも、それは正しくて、あの曲は本作の中で〝実は流れている〟というのがわたしの解釈だ。ある場面ある空間において、多分、この曲が流れていたのだろう、と思う事にしている。そうすることで予告編で抱いていた作品のトーンの説明がつくと考えている。

相棒、来ないのか?【映画】『ハート・オブ・ビースト』雑感。

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今年はワンちゃんを映画でよく観ている気がする。犬目線で描かれていてインディ君の名演技が記憶に残っている『グッド・ボーイ』もそうだし、『シラート』にも『オークストリートの異変』にもワンコが印象的な作品だった。主人公が犬と一緒に飛行機に乗っているという共通点のある『ラスト・サバイバー』というのもあった。

今作でもオーディン君が素晴らしいパフォーマンスをしていた。どこまで特殊効果が施されてるのかは判らないけれど、ジェームズとの信頼関係が伝わる表情が心に刺さる。

退役軍人である飼い主ジェームズの旅は、自身の戦場体験のトラウマを軍用犬であったオーディンと分かち合い、何らかの救済を求めるもののように見える。家族を持たずに人付き合いを避けて生きている様子が伺われるが、だからといってこの旅が死場所を探す道行だった訳ではない。ハードな環境へ身を置いて自分への罰を…という目的はなかったはずだ。だからこそふたり(と敢えて書くけれど)は何としてでもサヴァイヴして帰還しようとする。

訪れる様々な困難は、かなりハードだ。みているだけで肝を冷やすし、下半身がキュンキュンする事態ばかりが続く。普段、キャンプもしないしアウトドアのスキルのないわたしには到底生き抜けそうにもない。中でもクマと対峙した場面は絶体絶命、最早これまで…という局面だったけれど、ここでのオーディンの無言の眼差しだけで、この作品を観る価値はあった気がする。火を起こしたりテントを建てたり魚を焼いたりといった事は人間でないと出来ないことだ。しかし、自然の中では人智の領域を超えたところで命のやり取りが行われるものだ。同じようにオーディンが瞳で語るような場面が後半にもあって、オーディンと狼?が無言で語り合うかのような場面をみて「嗚呼、これはオーディンの物語なのだ」と気づく。野生で生きている動物たちから「おい、お前はそこにいたままなのか?」と問われているようにみえたその場面を経てるからこそ、その後のオーディンの行動に意味が生まれてくる。

冒頭のシーンをみているわたしは、ある展開を思い浮かべながら映画を観続けていた。おそらく多くの観客と同じように。しかし、その予想は最後になってどうでもいいのだと感じるようになる。ジェームズとオーディンが救助さるのか否かという事はあまりこの物語では重要ではない。肝心なのは、ふたりが救済のシルシを見出したのだ、という一点のように思う。ジェームズには軍用犬として育てられ戦地をくぐり抜けてきたオーディンへの贖罪という意味と、(出来れば)ふたりで人生を「生き直したい」という思いがあったのだろう。そういったジェームズの気持ちが溢れ出すエンディングには涙してしまう。オーディンの逡巡と決断こそが、ジェームズの尊厳を守る相棒としての矜持の表れに違いない。

終わらない旅。【映画】『アベンジャーズ/エンドゲーム:アンコール』雑感。

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公開当時の感想を振り返ると、長いMCUの旅が一区切りついたことへの感慨に浸っている事がよく判る。もちろん、当時とはMCUを巡る状況も変わっていて今回のアンコール上映が『ドゥームズデイ』への橋渡しとして存在することも理解している。そういった事を踏まえつつも、やはり本編で繰り広げられる締めくくりのカタルシスには興奮するし、クライマックスの名場面の数々には思わず歓声を上げたくなる。*1今回劇場へ足を運んでいる人の中でどれだけ初見の人がいたかは分からないけれど、ムジョルニアの場面や「アッセンブル!」、そしてDr.ストレンジの一本指のシーンを2019年公開時に浴びた時の興奮は、劇場という空間で多くの人と共有しているからこそ味わえる体験には違いない。インフィニティ・ヴィジョンの規格はよくわからないけれど、とにかく大きなスクリーンで大音量でエンドゲームを再体験出来たことにとても満足している。*2

追加映像やドゥームズデイへ向けてのポストクレジットがある事は事前に知っていたし、それ自体は新たな物語へのワクワクに繋がるものだったけれど、せめて2019年公開版自体は触らないで、あの感動的なエンドクレジットが終わってから繋げても良かったかな?という気持ちもある。*3

それでも。『エンドゲーム』後のMCUがやや迷走気味なのを踏まえつつ、それでも(可能な限り)追いかけ続けている者にとっては『ドゥームズデイ』という新たな旅への期待感は大きい。予告編にはスティーヴ・ロジャーズの姿もあるし、あの旅は終わりではなかったんだ、と改めて再認識して公開を待つ。

*1:最近は鑑賞マナーに関して過敏になっている気がする。おしゃべりや袋ガサガサは論外だけど、思わず声を上げたり拍手しちゃうくらいは程度によるけどあってもいい気もするけどね

*2:わたしはTOHOのTCXで鑑賞。以前TCXと言いながら額縁上映だったこともあって良い印象なかったけれど、今回はしっかり迫力も臨場感も感じられて満足。

*3:ちなみにわたしは『ブレードランナー』も劇場公開版が1番好き

あの日、確かにポズナンに参加した。【映画】『オアシス:ドント・ルック・バック・イン・アンガー』雑感。

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奇跡的に(という言葉を使いたくなるくらい落選し続けていた)チケットを手に入れる事ができた東京ドーム公演は、スタンドのはるか遠くからではあったけれど、間違いなく「嗚呼…観ることが出来て、体験する事が出来て良かった…!」というものだった。どうやら東京公演の映像はないようだけれど、あの時の熱気や興奮を追体験するような気持ちで劇場へ。2週間なんて短いよな、もっと長く上映してほしい。

こういったライブの記録映像作品は大体は本当に〝記録〟以上のサムシングはなかったりして、わたし自身もそれを予め承知の上で臨んでいた。予想会社だったのは、ギャラガー兄弟がオアシスというバンドを見つめなおしているような発言があったことだ。「仲直りして、ビジネスとしてバンドやるのね」的な冷笑的態度(もちろん、そういった面もあるのだろうけれど)を蹴散らすような、オアシスというバンドの存在が人にどのような影響を与えるのかという事に自覚的である事に、やや驚かされた。所々で各国のファンが思いを語る場面がある。オアシスとの出会いで、どう自分が救われたか、オアシスが世界でどれだけ必要とされているのか、といった事をインタビューで答えている。色んな思いを抱えている人がいるのだなぁと画面を眺めていたけれど、中でも韓国の海女さんが口ずさむ『Acquiesce』にはグッと来てしまった。

LIVE映像の歌唱シーンに歌詞が表示されていたのは、シングアロングを想定しているのかどうかは判らないけれど、流石に声は出さなかったものの、身体は動いてしまう。マニ追悼と重なる『Live Forever』には涙腺が緩むし、『Cigarettes & Alcohol』でのポズナンは東京ドームの事を思い出して「嗚呼、あの時リアムに言われてわたしもくるりとturn around したんだよな」と記憶が蘇りアドレナリンが分泌される。(この時、一瞬東京ドームの映像が1秒くらい映っていた気がする。気のせいかもだけど)そして『Don’t Look Back in Anger』の大合唱から『Champagne Supernova』の流れは判っていても感情がブチ上がる。わたしも20年以上このバンドからは遠ざかっていて、ノエルのソロを追いかけているくらいだったけれど、改めてリアムの存在感とそのスター性を再認識した。オアシスが若い世代に聴かれているという事も含めて、バンドが新たなステージに到達している事が、この映画でよく判った気がする。それは'25ツアーに参加した時にはまだよくわかっていなかった気がする。'27ツアーも発表されたが、日本は予定に入っていない。出来ればスタジアムでやってくれないかな。またオアシスを観たい、という気持ちを昂らせてくれるそんな作品でした。

たん…さん…【映画】『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』雑感。

「すみっこぐらし」はPerfumeで知った、「たべっこどうぶつ」はお菓子、「ちいかわ」も〝なんか、そういうのあるらしいね〟くらいの認識。普段なら触手は伸びないジャンルではあるけれど、評判の良さを耳にして臨むことに。タイミングが入場特典第5弾の配布開始と重なっているようでなかなかのチケット争奪戦ではあったが、どうにか予約出来たという事で観てきました。いやー噂には聞いていたけれど、なかなかにエグいお話でしたね。原作は未読、アニメも予習がてら5〜6話観た程度なので元々どれくらいダークなテイストが入っているものなのかは判らないけれど、憎悪と復讐のスパイラルをポンと差し出された終盤の展開には正直驚かされた。子供達がこの作品から何を感じとったのか聞いてみたい。

肯定感の塊のようなハチワレと強靭なメンタルを持つうさぎ、という物事へ前進していくパワーを持つふたりに囲まれている、ちいかわ。不器用で臆病で涙目になっている、ちいかわ、は言ってみればわたし達自身の投影であり、だからこそ多くの人(特に疲弊した大人たち)の心を動かしてしまうのだろう。そういった癒しと共感の前半から、セイレーンの登場によっていま目の前で拡がっている世界の根幹が揺らぐ瞬間が恐ろしい。セイレーンをなんの隠喩として位置付けるかというのは色々ありそうで、例えば技術或いは科学といったわたし達の生活をガラリと変えてくれる革新的な何か🟰近代化というのが頭に浮かぶ。島に訪れて島民たちの生活を豊かにして、島民たちはその見返りとして美味しい食事を捧げる。それは、信仰だ。SNSでみかけた「島二郎こそが土着の神であったが、セイレーンの登場によって次第に信仰の対象がかわっていった」という見立ても、なるほどと思わせる。そしてセイレーンがそのとてつもない力(great power)によって脅威にもなりうるのだ、という話でもあって、便利で楽しい生活と引き換えに生まれてしまった犠牲についても描かれていたところが興味深い。もっといえば、世の中の争いが終わることのない戦いになってしまうという事実を差し出されたような感覚もある。誰が始めてしまったのかという問題と、ではその復讐は正しかったのかという問題を前にして、わたし達はきちんと答えを出せずにいる。ちいかわの逡巡と最終的な決断を見て心の中に残るざわつき。「どうしたの?何かあった?」というハチワレの問いかけも、「でも、どうする事も出来ないのだ」という哀しさを前にして、切ない感情が支配する。ものを多く語らない、ちいかわだからこそ余計に胸に響いたのかもしれない。どうすればいいのか?正しさとは?

is there a way how to do the right thing?

という事で、この小さくて可愛いいヤツたちは、侮れなかった。けれど、そんな事ばかりを考えていた訳でもなくて、キャラクターたちを眺めながら「ゎぁ…」となっている自分を発見するのでした。