妄想徒然ダイアリー

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踊り続けるのでガンス。『新しい学校のリーダーズ NIPPON Calling Tour 2024 』12/6(金)広島文化学園HBGホール 雑感。

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今は東京に住んでいるので、当然〝遠征〟という事になるのだが、やはり広島で好きなグループのライブがあるとなると「地元に来てくれた」という気持ちが強くなる。アップグレードチケットも入手出来て三列目という良い位置で観られたのも嬉しい。

KANONさんのアクシデントにより(開演前のメンバーによるアナウンスでもその事に触れていた)イレギュラーな形ではあったが、それもまたこの日にしか観られない貴重なライブであったと感じる。広島初日を観ていないので、何とも言えないけれど思ったよりは元気そうに(努めてそうしてくれているところもあるだろうけれど)見えたし、彼女の負担を出来る限り考慮した演出の試みにも、このグループに信頼をおきたい部分ではある。

という訳で、相変わらずセトリはわたしの脳からこぼれ落ちているけれど、とにかく楽しい2時間だった。コンディションが万全でないのに〝広島のAGファンに会いたかった〟というKANONさんの言葉通りに、4人がとにかく皆んなを楽しませようとしている事が伝わってきて、この日広島文化学園HBGホールに集まった人達が自然と笑顔になっている。初めてリーダーズを観た時のような、ファースコンタクトの衝撃(何か、凄いものを観た!)とは違う、成熟したエンタメに到達しているような感慨がある。ホーンセクションやアクションチーム、和太鼓といった演出も嫌味がない。それを変節と捉えるかどうかについては議論の余地があるかもしれないけれど、少なくともわたしにとっては、過去のリーダーズの歴史とシームレスに繋がっている姿に思えた。そこには頼もしさすらある。

そういった力強さ、或いはしなやかに自分たちの置かれている状況にアダプトしていく様に、わたしは感情を動かされる。4人の手や足や身体全体の動きには、単なる「凄い動きだなぁ」という感想以上の何か(あるいはそれをメッセージと言っても良いけれど)があるように思えて仕方ない。〝Tokyo Calling〟の鼓舞していくマーチング(わたしの目にはKANON さんとMIZYU さんの目も潤んでいたように見えた)や〝Essa Hoisa〟のグッと腰を落として大地を噛み締めるような動きに、自然と涙が出そうになる。そして〝Forever Sisters 〟がいつも以上に身体に染みてくるのは、何故だろう。

ホール内を縦横無尽に動き回るSUZUKAさんはここ最近、あらゆるライブ会場で見られているが、そこには演者と受け手であるわたし達の間に信頼関係がないと成り立たない。それはまさに最後のMCでSUZUKAさんが言っていた、「皆んなでひとつのチームなのだ」という言葉が体現された形のひとつだ。お手玉を二階へ投げ込んだMIZYU さんや、二階に投げ込もうとして失敗するRINさんも含めて。

〝迷えば尊し〟で大団円を迎えたライブは、地元で観たことも影響しているのか、とても暖かい空気に包まれたような気がする。アンコールでのMIZYU さんのどじょうすくいに思わず吹き出すSUZUKAさんも、また、良い。

ちなみに、「がんす」は、3大「実際に使われているのを聞いたことこない広島弁」のひとつです。ただし、練り物のがんすはとてつもなく美味い。

劇団ネメシス第一回公演。【映画】『アングリースクワッド公務員と7人の詐欺師』雑感。

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驚くような仕掛けがある訳でもないし、ストーリー展開もオーソドックスではある。コンゲームモノとしても設定に穴があるようにも感じられるけれど、そういった部分が気にならない。地に足のついた語り口がスーッと身体のなかに染みるとでも言おうか、ストレスなく楽しめる作品だった。それってなかなか出来る事ではないとも感じる。

熊沢が詐欺に加担していく過程やその動機の描き方も派手さはないけれど上手く処理されていたし、氷室が持つルサンチマンをさりげなく熊沢(と観客であるわたし達)に気づかせるあたりも、嫌味がない。登場人物に感情移入しやすい仕掛けになっていたと思う。生きる為に、大勢に流されてしまった過去を悔やむかのように望月に告白する場面は、その描き方はクリシェではあるけれど、それでも心を突いてくるものがある。或いは氷室が熊沢一家の団欒を見つめるときの一瞬の感情の揺らぎには、グッときてしまったりもした。

上田慎一郎作品とメジャー系の役者との相性も悪くなかった(内野聖陽さんや岡田将生さんは流石だった)けれど、熊沢の妻(金谷真由美さん)のアラフィフ感の生々しさなどこういう所に映画のリアリティって潜んでいるだなぁという事も感じたりした。欲を言えば、他のチームの面々のキャラクターをもう少し知りたかったような気もするけど、2時間という枠の中では限界もあったのかもしれないし、塞いでいた気分も少し晴れた気がする。

お見送りする気持ちで。【映画】『ヴェノム:ザ・ラストダンス』雑感。

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正直、あまりノリ気ではなくて、それは前評判の悪さもあるけれど、マーベルの(正確にはSSUだけれど)インフレ的に拡がる世界観とキャラクターに食傷気味になっているのが大きい。ポストクレジットとか「いや…もう…ええで…」という感じで生温かい目で眺めていたりする。とはいえ、「これまで観てきたんだし、まあ、ラストというのなら最後くらいは見届けよう」という思いもあり、ようやく劇場へ向かった次第。

そういったハードルの低さもあったのか、結構楽しめましたよ。ジュノー・テンプルのクセのある存在感も嫌いじゃないし、リス・エヴァンス率いる一家のくだりも好きだ。(「Space Oddity 」を歌うとこ、特にカウントダウンの再現のあたり、とか。)もちろん、ストーリーには穴があるし、キャラクターの感情の変化の理由がぼんやりとしていたりという部分もある。それでも、なんだかんだと赦しと救済の物語(手垢のついた語り口だったとはいえ) に落とし込んでいく展開にはストレートにグッときてしまったし、そういう意味ではよく出来ていたんじゃないかな、と。出来る事なら一作目のルーベン・フライシャーが2作目3作目と続投していれば、また、違ったのだろうなとも思うけれど、いずれにせよSSUからは少し距離を置いている立場からすると、ヴェノムシリーズを静かに看取るという意味では、相応しかったのではとも思う。ヴェノムとエディを穏やかな気持ちでお見送出来て、それはつまり「ああ、またアイツらに会いたい!!」という強い思いが生まれなかった証でもあるけれど、でもそれで良かったんじゃないか、と思っている。

研究者クリスマスの履き替えるスニーカーのショットとか「お、これは後ほどの展開の伏線だな」という感じなのに結局特に何の回収もされず、というような部分やチェンさんの取ってつけたような登場の仕方など気になる所もある。それくらいならまだ良いけれど、明らかな悪人ではない人を殺めてしまった事に対するエディの気持ちの葛藤があっさりと消化されていたのにはモヤモヤもする。あとクリスマスが何故あの行動をとったのか、その動機がよくわからない、とか…。そういう欠点は多いにあるけれど、それでもやはりわたしは満足した気持ちで劇場を後にしていた。それは、きっと先に述べたように、ヴェノムの終焉を静かに受け入れる事が出来たからだと思う。

そんな事よりも前々から不満に思っている事を。109シネマズ川崎のスクリーン7はIMAXレーザーの設備のある貴重な劇場なんだけれど、フルサイズになった時に最前列の椅子が(人が座ってない状態で)スクリーンの下部に被っている仕様なのを、早急にどうにかして欲しい。中段のいちばん観やすい位置(例えばエグゼクティブシートあたり)で、そういう事態が発生するのは如何なものか。それがあるから、わたしはドルビーシネマやもっと遠くのIMAXレーザーのある劇場まで足を運ぶハメになる。『ヴェノム』には全く関係ないけれど。

銀座シネパトスがよく似合う。【映画】『トラップ』雑感。

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という事でシャマラン成分の補給を。

うまく例えられないけれど、広島で言えばサロンシネマというよりはシネツイン新天地、シネマライズよりも銀座シネパトスが似合う肌触り。シャマラン印でありながら、味付けは少し薄味になっている気もするけれど、 デ•パルマっぽいパンフォーカスやアナログな幻影描写もあったりして、〝これはこれでまた良い〟という滋味がある。

よき父親像(しかもかっこいい)とサイコキラーの2面性を、丁度いいバランスで演じるジョシュ•ハートネットは流石という存在感。さりげなく紙ナプキンを綺麗に畳んでいる様子で神経質な面も伝わってくるし、咄嗟の口八丁ぶりに見られる「人たらし」っぷりを見ていると、おそらくクーパーの中にそのふたつは矛盾していないのだろう、と思わせる。ライブ会場からどうやって脱出するのか?というサスペンスも楽しく、『トラップ』というタイトルに、すでにわたし達も罠にかけられているかのようにあらゆる可能性を想像させる仕組みも、シャマラン作品ならでは。シャマラン作品だから、何かあるだろう、という視点がある事で、自ずとあらゆる登場人物たちの言動に裏があるように思ってしまう。シャマラン印であるからこその、効果であり楽しみ方でもある。 映画全編に漂うシャマランの親バカっぷりも、実はそれほど違和感はない。レディ•レイヴン、スターに見えましたよ。

終盤の展開、とくにわたしはあのキッチンでのやり取りが、好きだ。静かで凡庸なやりから緊張感のあるスリリングな展開へと変わっていく瞬間のカタルシスクリシェといえばクリシェなんだけど、ゾクゾクさせるあたりは流石という事だろうか。個人的にはエンディングのおまけは余計な感じ。自転車のカットで終わっていたら…とも思うけれど、それもまた品があり過ぎて嫌味なのかもしれないので、この締めくくりでも良いのかな。

とにかく105分、わたしは堪能でしました。

ところで。アメリカのライブってのはあんなに最中に人がウロウロしてるもんなのかね?らしいといえばらしいけれど、スマホ撮影以上に日本とは違う文化でそこは少しノイズではあった。

溢れる東映まんがまつり感。【映画】『ボルテスV レガシー吹替版』雑感。

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テレビシリーズのダイジェスト感は否めず、どうしてもテンポは悪くなるし、CGの粗さも気にならない訳ではない。とはいえ、主人公、クールな2番手、太っちょ、女の子、子供というお馴染みのキャラクターも〝再現度〟高くて、合体ロボを見ているという満足度もある。主題歌や合体シーンにワクワク感も、ある。 まあ、ただ一本の映画としてみれば、「最高ーーーー!!」という賛辞を与えられるようなモノではなかった。

ただし。この作品がフィリピンという国で熱烈な指示を受けているという背景と、そして何よりも「コレが好きなんだ!作りたいんだ!」という思いは無視できない。それがなければ、こういった作品が出来なかったハズで、そのアツさこそが本作の強みだし、そこは評価したい。モノづくりの原点、初期衝動が感じられる作品には、リスペクトを抱く。少なくとも、いま、日本で合体ロボの実写版を作りたい!と心の底から思っているクリエイターがどれほどいるのか。(いや、わたしがそれを求めている訳ではないけれど…)

代理店的な発想やマーケティング重視の安直な企画で作られる作品の惨憺たる結果を見れば、この作品がどれだけ恵まれているかはわかる。それだけに、惜しい感じもない訳ではないけれど、気がつけば主題歌の旋律を口ずさみながら、劇場を出ていたわたしでした。

ポリス・ダーク・アーミー。【映画】『犯罪都市 PUNISHMENT 』雑感。

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前作『NO WAY OUT』には、やや物足りなさがあったけれど、今作は「犯罪都市」シリーズらしい楽しさが詰まっていた。やはりチャン・イス(パク・ジファン)の存在が大きく影響している気がする。今回もコメディリリーフとして大活躍だったし、文句を言いながらもキチンとミッションに貢献している辺りに、笑いながらも妙にグッと来てしまったりもする。

ストーリーの骨組みは、シンプルでシリーズのフォーマット通りだ。ヴィラン登場→マブリーの拳→ヴィランの暴走→マブリーの拳→マブリーの拳→ヴィランとの対決→マブリーの拳、拳、拳、拳…→大団円、打ち上げ、という流れは鉄板ではあるけれど、ベタとしてのエンタメが成立している。

今回のチャンギ(キム・ムヨル『悪人伝』コンビ!)も悪くはなかったけれど、個人的には2作目『THE ROUNDUP』のカン・ヘサン(ソン・ソック)の狂気と冷徹さには敵わないという印象だ。あ、エレベーターでの互いに相手を値踏みしていく描写は良かった。

そして、やはりチャン・イスだ。彼の自己犠牲なくして事件の解決はないし、実際にここぞという場面でチームを救う活躍もしている。FDAのバッジを誇らしげに見せる場面は、笑うと同時にちょっと涙腺も緩むくらいだった。文句を言いながらもソクト兄貴に協力するのは、もちろん打算や見栄もあるけれど、「警官になりたかった」という幼い頃の夢を実現しているという悦びもまたあるはずで、そこに少なからずグッと来てしまう。俺の人生、ここで逆転してもいいかな?という思い。エンディングの曲もアツい。

今作に不満があるとすれば、最後の打ち上げシーンがなかった事で、出来ればあの焼肉屋さんで今回のチームで乾杯する姿が見たかった。映画を観た後にチャミスルをあおりながら思う。

不気味に響くマイケル・アイアンサイドの声。【映画】『悪魔と夜ふかし』雑感。

https://youtu.be/f9DsuTllLEM?si=RzerR3P2A4azJLg8:『悪魔と夜ふかし』予告編

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個人的にモキュメンタリーやファウンドフッテージ系は、それがフェイクだという前提があるから楽しめると思っているクチで、「どうです?リアルかフェイクか判らないでしょう?」とドヤ顔されるとシラけてしまう。

そういう意味で今作はとても良いバランスで成り立っていて、冒頭から惹き込まれる。当時のTVショーの胡散臭さとそれがジワジワと溶けていく怖さ。終盤の何とも厭〜な感じの何とも言えない後味。ジャック・デルロイの中にエンタメ界で生き残っていこうとする欲望のドロドロもありながら、何故か憎めないキャラクターとしても成立している描かれ方も良かった。 デヴィッド・ダストマルチャン、素晴らしかった。ギラギラとした貪欲さも困惑と怯えの感情を、僅かな表情の変化だけで表現していて印象的だった。

大槻教授的なキャラクターを配置する事で、中で起きている事についての認識が揺らいで行くあたりも巧いなぁ、と。ガスという常識的なキャラクター(すなわち、それは観客のわたし達でもある)によって、まさに催眠術にかかったかのように現実が歪んでいく。その後に一気にドライブしていくクライマックスも最高だった。クローネンバーグやキューブリックのような肌触りもあって、観客席のスカル野郎やカルト集団の不気味さも生々しい。

もう、一捻り展開が欲しいような気もするけれど、最後に取ってつけたような種明かし的なオチがつくよりも、この方が正解だったような気もする。

その後味は劇場を出て夜の街を歩いている時にもまだ残っていた。 A24やJホラーとも違う、アメリカの狂気とその不気味さが濃縮還元されたかのような鉛のような恐怖が身体の中に忍びこんでいる。