妄想徒然ダイアリー

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相棒、来ないのか?【映画】『ハート・オブ・ビースト』雑感。

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今年はワンちゃんを映画でよく観ている気がする。犬目線で描かれていてインディ君の名演技が記憶に残っている『グッド・ボーイ』もそうだし、『シラート』にも『オークストリートの異変』にもワンコが印象的な作品だった。主人公が犬と一緒に飛行機に乗っているという共通点のある『ラスト・サバイバー』というのもあった。

今作でもオーディン君が素晴らしいパフォーマンスをしていた。どこまで特殊効果が施されてるのかは判らないけれど、ジェームズとの信頼関係が伝わる表情が心に刺さる。

退役軍人である飼い主ジェームズの旅は、自身の戦場体験のトラウマを軍用犬であったオーディンと分かち合い、何らかの救済を求めるもののように見える。家族を持たずに人付き合いを避けて生きている様子が伺われるが、だからといってこの旅が死場所を探す道行だった訳ではない。ハードな環境へ身を置いて自分への罰を…という目的はなかったはずだ。だからこそふたり(と敢えて書くけれど)は何としてでもサヴァイヴして帰還しようとする。

訪れる様々な困難は、かなりハードだ。みているだけで肝を冷やすし、下半身がキュンキュンする事態ばかりが続く。普段、キャンプもしないしアウトドアのスキルのないわたしには到底生き抜けそうにもない。中でもクマと対峙した場面は絶体絶命、最早これまで…という局面だったけれど、ここでのオーディンの無言の眼差しだけで、この作品を観る価値はあった気がする。火を起こしたりテントを建てたり魚を焼いたりといった事は人間でないと出来ないことだ。しかし、自然の中では人智の領域を超えたところで命のやり取りが行われるものだ。同じようにオーディンが瞳で語るような場面が後半にもあって、オーディンと狼?が無言で語り合うかのような場面をみて「嗚呼、これはオーディンの物語なのだ」と気づく。野生で生きている動物たちから「おい、お前はそこにいたままなのか?」と問われているようにみえたその場面を経てるからこそ、その後のオーディンの行動に意味が生まれてくる。

冒頭のシーンをみているわたしは、ある展開を思い浮かべながら映画を観続けていた。おそらく多くの観客と同じように。しかし、その予想は最後になってどうでもいいのだと感じるようになる。ジェームズとオーディンが救助さるのか否かという事はあまりこの物語では重要ではない。肝心なのは、ふたりが救済のシルシを見出したのだ、という一点のように思う。ジェームズには軍用犬として育てられ戦地をくぐり抜けてきたオーディンへの贖罪という意味と、(出来れば)ふたりで人生を「生き直したい」という思いがあったのだろう。そういったジェームズの気持ちが溢れ出すエンディングには涙してしまう。オーディンの逡巡と決断こそが、ジェームズの尊厳を守る相棒としての矜持の表れに違いない。

終わらない旅。【映画】『アベンジャーズ/エンドゲーム:アンコール』雑感。

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mousoudance.hatenadiary.jp

公開当時の感想を振り返ると、長いMCUの旅が一区切りついたことへの感慨に浸っている事がよく判る。もちろん、当時とはMCUを巡る状況も変わっていて今回のアンコール上映が『ドゥームズデイ』への橋渡しとして存在することも理解している。そういった事を踏まえつつも、やはり本編で繰り広げられる締めくくりのカタルシスには興奮するし、クライマックスの名場面の数々には思わず歓声を上げたくなる。*1今回劇場へ足を運んでいる人の中でどれだけ初見の人がいたかは分からないけれど、ムジョルニアの場面や「アッセンブル!」、そしてDr.ストレンジの一本指のシーンを2019年公開時に浴びた時の興奮は、劇場という空間で多くの人と共有しているからこそ味わえる体験には違いない。インフィニティ・ヴィジョンの規格はよくわからないけれど、とにかく大きなスクリーンで大音量でエンドゲームを再体験出来たことにとても満足している。*2

追加映像やドゥームズデイへ向けてのポストクレジットがある事は事前に知っていたし、それ自体は新たな物語へのワクワクに繋がるものだったけれど、せめて2019年公開版自体は触らないで、あの感動的なエンドクレジットが終わってから繋げても良かったかな?という気持ちもある。*3

それでも。『エンドゲーム』後のMCUがやや迷走気味なのを踏まえつつ、それでも(可能な限り)追いかけ続けている者にとっては『ドゥームズデイ』という新たな旅への期待感は大きい。予告編にはスティーヴ・ロジャーズの姿もあるし、あの旅は終わりではなかったんだ、と改めて再認識して公開を待つ。

*1:最近は鑑賞マナーに関して過敏になっている気がする。おしゃべりや袋ガサガサは論外だけど、思わず声を上げたり拍手しちゃうくらいは程度によるけどあってもいい気もするけどね

*2:わたしはTOHOのTCXで鑑賞。以前TCXと言いながら額縁上映だったこともあって良い印象なかったけれど、今回はしっかり迫力も臨場感も感じられて満足。

*3:ちなみにわたしは『ブレードランナー』も劇場公開版が1番好き

あの日、確かにポズナンに参加した。【映画】『オアシス:ドント・ルック・バック・イン・アンガー』雑感。

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奇跡的に(という言葉を使いたくなるくらい落選し続けていた)チケットを手に入れる事ができた東京ドーム公演は、スタンドのはるか遠くからではあったけれど、間違いなく「嗚呼…観ることが出来て、体験する事が出来て良かった…!」というものだった。どうやら東京公演の映像はないようだけれど、あの時の熱気や興奮を追体験するような気持ちで劇場へ。2週間なんて短いよな、もっと長く上映してほしい。

こういったライブの記録映像作品は大体は本当に〝記録〟以上のサムシングはなかったりして、わたし自身もそれを予め承知の上で臨んでいた。予想会社だったのは、ギャラガー兄弟がオアシスというバンドを見つめなおしているような発言があったことだ。「仲直りして、ビジネスとしてバンドやるのね」的な冷笑的態度(もちろん、そういった面もあるのだろうけれど)を蹴散らすような、オアシスというバンドの存在が人にどのような影響を与えるのかという事に自覚的である事に、やや驚かされた。所々で各国のファンが思いを語る場面がある。オアシスとの出会いで、どう自分が救われたか、オアシスが世界でどれだけ必要とされているのか、といった事をインタビューで答えている。色んな思いを抱えている人がいるのだなぁと画面を眺めていたけれど、中でも韓国の海女さんが口ずさむ『Acquiesce』にはグッと来てしまった。

LIVE映像の歌唱シーンに歌詞が表示されていたのは、シングアロングを想定しているのかどうかは判らないけれど、流石に声は出さなかったものの、身体は動いてしまう。マニ追悼と重なる『Live Forever』には涙腺が緩むし、『Cigarettes & Alcohol』でのポズナンは東京ドームの事を思い出して「嗚呼、あの時リアムに言われてわたしもくるりとturn around したんだよな」と記憶が蘇りアドレナリンが分泌される。(この時、一瞬東京ドームの映像が1秒くらい映っていた気がする。気のせいかもだけど)そして『Don’t Look Back in Anger』の大合唱から『Champagne Supernova』の流れは判っていても感情がブチ上がる。わたしも20年以上このバンドからは遠ざかっていて、ノエルのソロを追いかけているくらいだったけれど、改めてリアムの存在感とそのスター性を再認識した。オアシスが若い世代に聴かれているという事も含めて、バンドが新たなステージに到達している事が、この映画でよく判った気がする。それは'25ツアーに参加した時にはまだよくわかっていなかった気がする。'27ツアーも発表されたが、日本は予定に入っていない。出来ればスタジアムでやってくれないかな。またオアシスを観たい、という気持ちを昂らせてくれるそんな作品でした。

たん…さん…【映画】『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』雑感。

「すみっこぐらし」はPerfumeで知った、「たべっこどうぶつ」はお菓子、「ちいかわ」も〝なんか、そういうのあるらしいね〟くらいの認識。普段なら触手は伸びないジャンルではあるけれど、評判の良さを耳にして臨むことに。タイミングが入場特典第5弾の配布開始と重なっているようでなかなかのチケット争奪戦ではあったが、どうにか予約出来たという事で観てきました。いやー噂には聞いていたけれど、なかなかにエグいお話でしたね。原作は未読、アニメも予習がてら5〜6話観た程度なので元々どれくらいダークなテイストが入っているものなのかは判らないけれど、憎悪と復讐のスパイラルをポンと差し出された終盤の展開には正直驚かされた。子供達がこの作品から何を感じとったのか聞いてみたい。

肯定感の塊のようなハチワレと強靭なメンタルを持つうさぎ、という物事へ前進していくパワーを持つふたりに囲まれている、ちいかわ。不器用で臆病で涙目になっている、ちいかわ、は言ってみればわたし達自身の投影であり、だからこそ多くの人(特に疲弊した大人たち)の心を動かしてしまうのだろう。そういった癒しと共感の前半から、セイレーンの登場によっていま目の前で拡がっている世界の根幹が揺らぐ瞬間が恐ろしい。セイレーンをなんの隠喩として位置付けるかというのは色々ありそうで、例えば技術或いは科学といったわたし達の生活をガラリと変えてくれる革新的な何か🟰近代化というのが頭に浮かぶ。島に訪れて島民たちの生活を豊かにして、島民たちはその見返りとして美味しい食事を捧げる。それは、信仰だ。SNSでみかけた「島二郎こそが土着の神であったが、セイレーンの登場によって次第に信仰の対象がかわっていった」という見立ても、なるほどと思わせる。そしてセイレーンがそのとてつもない力(great power)によって脅威にもなりうるのだ、という話でもあって、便利で楽しい生活と引き換えに生まれてしまった犠牲についても描かれていたところが興味深い。もっといえば、世の中の争いが終わることのない戦いになってしまうという事実を差し出されたような感覚もある。誰が始めてしまったのかという問題と、ではその復讐は正しかったのかという問題を前にして、わたし達はきちんと答えを出せずにいる。ちいかわの逡巡と最終的な決断を見て心の中に残るざわつき。「どうしたの?何かあった?」というハチワレの問いかけも、「でも、どうする事も出来ないのだ」という哀しさを前にして、切ない感情が支配する。ものを多く語らない、ちいかわだからこそ余計に胸に響いたのかもしれない。どうすればいいのか?正しさとは?

is there a way how to do the right thing?

という事で、この小さくて可愛いいヤツたちは、侮れなかった。けれど、そんな事ばかりを考えていた訳でもなくて、キャラクターたちを眺めながら「ゎぁ…」となっている自分を発見するのでした。

オデュッセウスさん、あなたは…。【映画】『オデュッセイア』雑感。

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普段はIMAXよりもドルビーシネマの方を優先しているが、やはりノーラン新作ともなればIMAXで観るしかない。チケット争奪戦にはなったが池袋グランドシネマサンシャインのレーザーGTで観てきた。何やらSNSでは〝民度〟や〝マナー〟というテーマでざわついているようだけれど特に際立ってストレスに感じることはなかった。前方寄りしか取れなくて疲れるかも…という不安もあったが結果としてはやはりこの劇場で観て正解だった。3時間という上映時間も全く長く感じない。

前半の〝トロイヤ戦争からどうやって帰還するか〟の過程が見応えがあって「ひとつ目の怪獣だー」「でっかい鎧の兵士だー」「キルケーの魔女やべー」「渦潮こわー」「なんかまた怪獣みたいの出たー」とエピソードてんこ盛りで飽きさせない。どこかで見かけたけれど(ノーラン、怪獣映画撮れるんじゃね?)という意見も頷ける。ギリシャ神話にそんなに明るくないけど〝戦争が終わってなかなか帰還出来ない話〟としてはシンプルなストーリーだと言える。そんな感じで楽しんでいたのだけれど、終盤になって実はこの作品が〝なぜ帰還出来なかったのか〟を巡っての話であったことに気付かされてからガラリと映画の表情が変わってくる。前半のトロイヤ戦争の回想が苦労しながら叡智と工夫で勝利を獲得していく英雄譚としての勇ましさがあるのと比較して、終盤で描かれる(オデュッセウスによって語られる)トロイヤ戦争の〝真実〟は残酷で罪深い。これまでの掟や矜持を破ってしまうような戦略は、〝戦い方を(世界を)変えてしまったモノ〟として扱われている。或いは、アガメムノンが勝利のために捧げた生贄や掟を破ってしまうオデュッセウスの部下たちなど、これまでのノーラン作品にあった〝変わってしまった世界の不可逆性〟というものが、よりシンプルかつストレートに差し出されたという印象だ。時制を入れ替えながら進む展開も複雑ではなく、オーソドックスな回想と現在の話が交差するスタイルでわかりやすい。そして個人的に意外だったのは、これほどストレートにメッセージが際立つ描き方をするのだな、というところだった。クライマックスの復讐劇には当然カタルシスはあって弓矢のシーンからグンと感情が高まる。展開はわかっちゃいるのに、思わず声を出したくなるようなカタルシスがあった。けれど、ここで描かれているのは一贖罪と赦しの旅へのシルシがあって、そこに落とし込まれているところも良い。

と、言いながらアガメムノンのあの鎧と兜。ポスターにもなっているバックショットのビジュアルに「かっけー!ゴジラの背ビレみたい」となってしまうのも、また人間の弱さと愚かさなのかもしれない。

描くことへの覚悟。【映画】『ルックバック』雑感。

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藤野と京本を演じた4人がとにかく素晴らしい。特に子役(という表現が合っているのか判らないけれど)の2人が本当に小学生から中学生に成長したように感じられるし、そこから高校生〜成人へと移行していくのもシームレスに感じられて違和感なく観られたのはキャスティングの勝利だし、是枝作品らしい演出のなさる技なのだろう。原作そして2024版と細かく比較したわけではないが「あれ?こんなシーンあったっけ?」という箇所はいくつかあったけれど、それについても特にノイズに感じることはなかった。藤野と京本の出会いの場面だけでその後の展開を考えると泣きそうになってしまうけれど、そういう意味では〝そうであったかもしれない世界〟への眼差しが原作や2024版と比べるとやや軽いような気がした。「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・山形」と思わず言いたくなるような、赦しと救済のシルシが思ったより感じられなかった。4コマ漫画が京本の部屋の扉の下へ吸い込まれていくところや藤野の空手キック&パンチのカタルシスという点では、原作及び2024版の時と比較するとあっさりしてるのかなぁ。その理由を具体的に説明する事は出来ないんだけど、それが鑑賞後の率直な印象。京本が自分のやりたい事を自覚し、それを藤野へ告白する場面や藤野が最後に「それでも描くんだよ、わたしは」という覚悟を背負ったような場面は、今作においても白眉ではあって2024版とは違う微妙な感情の機微が感じられて確かに良かった。けれど、個人的にはクライマックスで導入されたアニメーション表現はあまりしっくりこなかった。なんとなく意図や目的はわかるような気もするけれど…。

ただ一方でこうも思う。〝そうであったかも知れない世界〟によって赦しと救済を感じることもあるかも知れない。けれど、〝どうしようもない現実。もう変えることの出来ない悪夢のような事実〟を目の前にした時に、はたしてそういった赦しと救済のシルシがどれだけ通用するのだろうか、とも。そうなってくると、むしろ、変えようのない過去を背負いながら、描き続けるしかないのかもしれない。原作・2024年版でもその事は表現されていたけれど、今作ではその覚悟のようなものが、より強調されたのかもしれない。京本の「じゃあなんで描いてるの?」という問いを受け止めた藤本がより現実味をもって、その背中に表れていたのかも。

いずれにしても。最初に言ったように藤野役の七瀬ふうりさんと出口夏希さん、京本役の岡田六花さんと蒔田彩珠さんのパフォーマンスが素晴らしくてそれだけでも観る価値はありました。

   。【映画】『ヒンド・ラジャブの声』

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どんな言葉を積み重ねても、全ては軽くなってしまいそうで。映画館を出るとそこには日常が広がっていて、生きていかなきゃならないし、お酒飲んだりバラエティ観て笑ったりもするけれど、頭のどこかには今日の映画の事がある。とにかく、いま観るべき作品という他ない。