妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

ミステリという…。【映画】『黒牢城』雑感。

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勿れ。と言うわけではないけれど、少しハードルを上げ過ぎていたかもしれない。演者も素晴らしいし、2時間半ダレることなく楽しめたけれど、同時に物足りなさを感じてしまったのも正直なところ。わたしは日本史に明るい方ではないけれど、戦国モノの大河ドラマは好きで、今も『豊臣兄弟』を観ていたりするので、今回の有岡城周りの背景はスッと入ってくる。一方で、荒木村重はトータス松本のイメージが残っていて、俗物で自己中心的な人物という印象が強い。そういう意味で本木さんというキャスティングは少し意外性がないこともないが、今作での荒木村重の立ち位置(翻弄されながらも、領主としてのdignityを保たなければならない)にはよくあっていたと思う。その威厳のある領主の貫禄は、荒木村重という人物の俗物性から目を逸らすミスリードのようでもあり、黒田官兵衛に(まるでレクターに見透かされたクラリスのように)内面を吐露してしまう弱さが徐々に明らかにされるスリリングさはある。

確かに最初に述べたように「戦国時代を舞台としたミステリ」というエンタメ要素を求め過ぎると肩透かしをくらう。わたしも、そういった者を期待していたので、その点については少し物足りない。しかし、2時間半観終わってみると不思議な感慨があった。千代保の取り憑かれたような(という言葉が正しいかわからないけれど)信心深さとか、忠義の行き場に戸惑いながらも武士や家臣として生きていくしかない十右衛門や助三郎、あるいは増賀の面々などを見つめていると、「そこで生き続けていく(或いは死んでいく)」ことへの矜持を感じる。もちろん、現代の価値観で観れば、それを閉塞感として捉えてしまうが、同時に村重の「行くな、守れ」というメッセージ性には現代に通ずる共振しやすくなるような仕掛けがあるような気もする。領主であることを捨てて旅立っていく村重は、当時のパラダイムから見れば許されざるものであるし、現代の目からみても「結局、生き延びて茶人となった…」って何やねん!とも言いたくはある。けれど、身軽になってあらゆる呪縛から解き放たれて趣味人として生きていくという選択は、それはそれで羨ましいものでもあった。

オイ!行けんのか!『新しい学校のリーダーズ 新しい学校の青春部ツアー2026 6/23(火)』雑感。

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行けるよ、コノヤロー。

という事で、何というか初期衝動を感じる2時間だった。曲の新旧に関係なくこの規模、この距離が生み出す化学反応なのか腹の底からアツイものが込み上げるような感覚があった。リーダーズの現場はメタラジフェス以来だが、あの時のどちらかというとゲストとしてライブを支えるという感じと比べると、フロアとの距離感がよりクロースになっている。もちろん青春部ツアー、FCツアーであるから当たり前ではあるけれども、それを差し引いても冒頭から一気にアドレナリンがドバドバ分泌されるライブだった。

撮影許可はあったけれど、いつものように網膜に焼き付ける方を優先し、ほとんど写真も動画も撮っていない。そしてこれまたいつものようにセトリは記憶からこぼれ落ちていくけれども、祝祭のような空間に身を任せているだけで身体中の澱のようなものが洗い流されていく感覚がある。仕事や私生活に色々と懸念事項はあるけれど、そういったものを消し去る…いや、むしろ背負ったままではあるけれど、ぐっと背中を押されたのかもしれない。間違いなく、ライブ後にわたしは少し元気になったはずだ。(心地よい疲労はあるけれど)

わたしは、やや後方よりに位置していたけれども、ステージは近く感じる。SUZUKAさんの煽り、MIZYUさんの躍動感、RINさんの関節ひとつひとつの動き、KANONさんのしなやかさ。それらが臨場感をもって目の前に広がっている。ふと小さなライブハウスで観たリーダーズの記憶が蘇ったりもする。しかし、これはノスタルジーではない。最初に言ったように初期衝動を再び手にしたことの証だとわたしは思う。いつも通りの4人だが、やはり貫禄やライブに対する矜持がそこに垣間見える。昭和歌謡コーナーやジャパネットSUZUKAなどの遊び心もライブに対する自信の表れだ。そして、わたしにはセーラー服を彼女たちがアーマーとして身につけるのだ、という覚悟を持ったという印象も抱いた。行けんのか?だと?行けるさ!

そして新曲…良いです。これは、良いですよ。新たなワシらのアンセムが生まれたような気がします。これがアルバムのキーとなるのかどうか、それは開けてからのお楽しみだけれど、とにかくこのアルバムを引っ提げてのZeppツアーが今から楽しみで仕方がない。

ねえ、ツイスターやろうよ。【映画】『Michael/マイケル』雑感。

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マイケルへの思い入れ度合いで言えば、それほど強いとは言えない。それでもやはり同時代のスーパースターである事は揺るぎなく、冷笑的なスタンスで接する事も含めてその存在は大きい。スターの孤独と闇、みたいな語り口には新鮮さはないけれど、マイケルの感じる孤独感はわたしたちが想像する事が出来ないほどで、並大抵なモノではないはずだ。その事が頭に浮かんでいたからかもしれないが、わたしの涙腺は終始緩んでいたように思う。例えば、ジャクソン5のライブを観に来ていた同世代の女の子に歌いかけるシーン。何でもないシーンといえばそうだし、「スターに見つめられてうっとりするファン」の描写に過ぎないのかも知れないけれど、わたしにはそういうシチュエーションでしか、同世代の子と接する機会がなかったマイケルの事を思い、涙する。モータウンレコードでコーディに理想の父親像を感じたかのように抱きつく場面もグッときてしまう。或いは、スターとして成功したマイケルがある日、兄弟たちに「ねぇ、ツイスターやろうよ」と誘う場面。皆んなにすげなく断られて、結局バブルス君と遊んでるシーンは、コミカルではあるけれど、同時に哀しさが押し寄せるところでもあった。

予告編を見た時は「主役の人、なんか違和感だなぁ」と思っていたくらいだったけど、段々とマイケルに見えてくるから不思議だ。スリラーMV再現のあたりになると、もうマイケルにしか見えなくなる。歌唱は流石にオリジナル音源だろうし、「ああ、リップシンクだなぁ」と感じてしまうところもあるけれど、ダンスのシーンは素直に入り込めた。もちろん、マイケル本人と比べてどうこうするレベルではないだろうけれど、その向こうにいるマイケルのことが浮かんでくるような感覚があり、わたしはストレートに心動かされた。

映画作品としては、もう少し一捻り欲しいという気持ちが無いわけではないけれど、マイケルの曲をいい音で聴けて良い体験でもあった。続編も決まってるという事で、ネバーランドの事が描かれるのかなどなど気になるけれど、ともかく今夜はビート・イット、という事で。

チャン・イスが足りない。【映画】『TOKYO BURST-犯罪都市-』雑感。

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その判断基準は自分でも上手く説明出来ないけれど、世の中には、「細けぇこたぁ良いんだよ!」が許される作品と許されない作品というものがある。というのは『バトルシップ』を観た時に感じた事で、『犯罪都市』シリーズにも同じことが言える。多少の設定や展開の甘さが瑕疵にならず〔まさにマブリーの拳によって力業的に)面白さが勝っていた。

今作も基本的には、『犯罪都市』の世界観を踏襲しており、強引な捜査方法を取る刑事とその仲間達が裏社会で暴れまくるという構図、組織を重んじる警察内部の事情や事勿れ主義の上司が渋々ながらも主人公の暴走に付き合わされる展開など、これまでのシリーズと通ずるものがある。そのストーリー展開における荒唐無稽さには目をつぶるくらいのスタンスで映画に臨んだ。のだったけれど、「いや…いくら何でもそれは…」という要素が多すぎる。そのため、今ひとつカタルシスに欠けるというのが正直なところ。

個人的には、オカモチを持っている出前の人やスーパー帰りの主婦から自転車を奪うシーンで萎えてしまった。いや、探せば2015年にオカモチを持った蕎麦屋さんがいたのかもしれないし、歌舞伎町にもスーパー帰りの主婦はいるのかもしれない。しかし、わざわざそういった悪目立ちするような描写をする理由が見当たらない。あそこでスーッと冷めてしまった。バラ撒かれた金に群がる市民のシーンも好きではない。新宿でお金がバラ撒かれたとして、人はあのような行動を取るだろうか。日本人の民度が…という言い方はしたくはないけれど、おそらく実際には空を舞う紙幣に茫然と立ち尽くす或いは平然と立ち去るという方がリアリティあるのではないだろうか。車の上で狂気にドライブしていく女性も、わたしにはノイズでしかなかった。演出として振り切っていこうという意図があったのかもしれないが、おそらくはちょっとしたバランスの違いが原因で白けるシーンになってしまったように思う。

係長が逮捕状を取ってくる展開、それ自体は構わないんだけれど、もう少し説明が欲しい。バカバカしさにはバカバカしさなりのロジックが必要なのではないか。署長の弱みにつけ込んで強引に捜査を継続する時のような(あれもかなりベタで無理があったけれど)モノでもいいので、何か理由が欲しかった。一度は権力の堅固な壁に跳ね返された場面を描いておきながら、それをどう乗り越えて解決したのかについては省略する。そのため、観客は頭の片隅に「?」を浮かべたままその後の展開を眺める事になる。それならいっそ最初から「コネで逮捕状ゲットしてきたぜ!」「係長カッケー」くらいバカに徹した方が潔かっただろう。何度も言うけれど、荒唐無稽な展開自体は構わない。官邸で大暴れも副総理に頭突きも大いに結構だけれど、それが気にならない程には振り切れていなかったという事なのでしょうか。多分、テンポや間も良くなかったのかも。

と、文句ばかり言っているようだけれど演者の皆さんはとても良かったですね。水上恒司さんが予想外に良くて、「族の総長上がりの刑事」という無理筋の設定ながらも単細胞的な正義感で突っ走るあの感じは悪くない。相葉四郎というキャラクター自体はまた観たいと思わされたし、コミカルさを兼ね備えたキャラクターからは、少し松田優作を思わせるものもあって「探偵物語」的なドラマシリーズをやっても面白いかも、と思いながら観ていた。組織犯罪対策課の面々もそれぞれキャラ立ちしていたし、ちゃんと打ち上げシーンがあるのも「犯罪都市」っぽくて悪くない。敵役の福士蒼汰さんも、最初誰だかわからなかったくらいイメージが違っていて、なかなかに良い悪役ぶりだった。スーツを着た時のイケメンっぷりもまた…。

それだけに勿体なかったなぁと思うのですよ。チャン・イスという「犯罪都市」シリーズのヒロインを出しておきながら、正直無駄遣いだったと言わざるを得ない。わたしゃてっきりイスと岩城組の親分とパク会長が最後の切り札として活躍するような展開になると思っていたのに、そんな事もなく、只々パク・ジファンさんの日本語が上手かったなあ、となっただけなのは如何なものか。マブリーちゃんが出ないのはともかく、圧倒的なチャン・イス不足でした。

もう、ボタンを押してもいい。【映画】『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』雑感。

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池袋グラシネのIMAXで観たかったけどチケットをゲット出来ずDolbyCinemaで鑑賞。個人的には音響含めていい映画体験だった。ドラマシリーズには、スター・ウォーズはもちろん冒険活劇のエッセンスが詰まっていて、とても楽しく観ていた。ライトセーバーが出ていなくても(実際にはドラマには出てくるけれども)、わたしはマンダロリアンにSWのようなワクワク感があったと思っていて、プリクエル以降のSW関連では『ローグ・ワン』と並んで、いちばん好きな世界観かもしれない。もちろんSWの新作という位置付けに大きな意味を持たせてしまうと、そこに反発を抱く人がいるのも理解は出来るけれど、マンダロリアンの物語をスクリーンで観るというだけでわたしは充分楽しかった。ATATの微妙にぎこちない動きとか、主人公が奈落に落ちていくとか、サンドウォーム的なモンスターとの対決とかそういうところにある冒険活劇の楽しさはSWに通ずる部分も多い。Xウィングやトルーパーの存在も嬉しいし、操縦席のアナクロな操作盤やモニターのレトロな作、そしてマペット操演の動きなど「敢えてそうしてます」感にも嫌味がない。

銀河のアウターリムを行き来しながらの探偵パートも、シンプルで直線的なストーリー展開に身を委ねる事ができる。まさかのキレイなハット一族という意外さも良いスパイスになっていた。ロッタ・ザ・ハットにある「拭いきれない血筋から何とか逃れて〝自分らしさ〟を獲得しようとする魂の救済の物語」に図らずもグッときてしまう。まあ、確かにドラマシリーズの1エピソードといった趣きもある。そういう意味では、プリクエルのように壮大で重厚なアナキンの物語のようなモノとは違うかもしれないけれど、こういったシンプルなお話も、またSWの原点だとも言える。

と、さっきからSWとしてどうか、ということばかりか言っている気がする。勿論それは、ひとつのバックボーンとして重要なポイントではあるけれど、今作にはもっと違う魅力がある。マンドーとグローグーが銀河を駆け巡っていきながら〝親子関係〟を深めていくというシンプルな物語を楽しめる仕組み、それこそが、この作品の成功しているところだと思う。グローグーと修理屋たちの大冒険にドキドキしたり、グローグーがマンドー以外の大人と対峙しながら段々と成長していく姿に思わず優しい目になったりする、それが程よくバランスでカタルシスを与えてくれる。マンドー復活の展開は、そうなる事は分かっていても、グローグーの献身ぶりが愛おしくていじらしい。倒すべき相手が倒される、その単純明快さ。

ルドウィグ・ゴランソンの音楽もドラマに引き続き、素晴らしい。現代的なアプローチには、新鮮で少し驚かせる部分もあるけれど、マンダロリアンの世界観にはとても合っているように思う。ジョン・ウィリアムズのテーマを使ってないからこそ生まれるオリジナリティに敬意を表したい。

多くの人と同じように、わたしはドラマシリーズの各話エンドクレジットにあった絵コンテの紙芝居が大好きで、今作にもそれが流れる事を期待していた。唯一の欠点を挙げるとすれば、それがなかった事かもしれない。

顎の傷は縫えば良い。【映画】『スマッシング・マシーン』雑感。

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格闘技ブームという潮流や確か地上波の放映やスポーツニュースでも取り上げられていた記憶があり、マーク・ケアーに限らず、今作に出てくる選手達の名前は見知ったものだったりする。わたしは、熱心な格闘技ファンではなかったが、予告編を見て、かなり期待のハードルを上げていたのだが、ドキュメンタリーのように対象を冷徹に見つめるようなカメラで切り取られる彼らの物語に心を揺さぶられるには、わたしには格闘技に対する思い入れが足りないのかもしれない。

当初は『レスラー』のような壮絶な喪失と再生の物語とそこから生まれるカタルシスが訪れると思っていたが、どちらかというと刃物を振り回すような男女の行き違いに身をつまされてしまうような痛みを伴った『ブルー・バレンタイン』のようにわたしには感じられた。ドウェイン・ジョンソンとエミリー・ブラントのパフォーマンスはとても素晴らしく、寧ろわたしはそちらに重点を置いても良かったのではと思うくらいだった。

冒頭にマーク・ケアーがPRIDE運営(?)に冷たくあしらわれている場面も背景が今ひとつ掴めなくて、それはわたしの当時の格闘技界を取り巻く状況に疎いからではあるが、それを差し引いてもマーク・ケアーの立ち位置が今ひとつ掴めない。それなりに恵まれた生活環境にはあるように見えるが、圧倒的なスターとも言えず、かと言って悲惨な生活をしている訳でもない。キャリアと人生のマトリックスのどこにポイントされているかが、自分の中で消化しきれなかったのかもしれない。おそらく、それはわたし自身の問題なのだろう。あ、車の激突ショーの場面はすごく良かった。頭に膝蹴りを喰らうように破壊されていく車の姿とそれをみて歓声を上げる観客達という構図。そこに自分の姿を見出すマーク・ケアーの表情は見応えがあった。またそこへ行くしかないという運命の残酷さみたいなものがあった。

わたしは、さっきもいったようにマーク・ケアーとドーンの互いに傷つけあうような関係性は見応えを感じてしまう。頭に銃を突きつけるような危うさを経ても人はそれでも離れられないものなのか、と。割れた陶器は瞬間接着剤でも復元できるし、顎に出来た傷は何針か縫えば治る。人間関係は、なかなかそう簡単にはいかないだろうけれど、それでもまた惹きあってしまうというところに、一筋縄ではいかない赦しと救済があるのかもしれない。

わたし、こう思うんよ。【映画】『Perfume “コールドスリープ”-25 years Document -』雑感。

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公開直後という事もあり、劇場内にはPerfumeTシャツを着ている人も多い。わたしもポリゴンTシャツで鑑賞した。時折、すすり泣く音が周りから聴こえてきて、わたし自身もほぼ涙ぐみながら画面を見つめていた。その涙はPerfumeへの(いったんの)お別れの感情というよりは、コールドスリープという決断そのものへのリスペクトという方に近い気がしている。エンタメの世界でこれほどまでに大きな存在となりながら、それをコールドスリープという形で区切りをつける事に、改めてストンと腑に落ちた感じだ。その上でこれからのPerfumeの未来を見つめていこうという気持ちが溢れてくる。

ハイライトはやはりコールドスリープを決断するきっかけとなった場面。思いの外その決断と発表したまでのタイミングが短かった事にまず驚く。そして、エンタメビジネスのプロジェクトとしての〝チームPerfume〟という大きな存在と3人それぞれのもう一つの人生を見つめ直すことにどう折り合いを付けるのか、というテーマ。その道標をMIKIKO先生が示した場面はとてもスリリングな瞬間だった。先生の思い、3人の気持ち、それぞれが交差しながらコールドスリープという結論に達する過程には、改めてハッとさせれるものがあった。

こういったエンタメの世界には約束された将来などなく、あ〜ちゃんが言うように「いつ、終わってもおかしくない」状況だ。そんななか、Perfumeをどう永遠のものにするか。もちろん結婚・出産をしながら活動を続けていく事もできる。Negiccoやももクロの例を挙げるまでもなく、それも素晴らしい選択肢のひとつである。そしてPerfumeもまたそうする事もできたし、何となく事実そのレールにのるつもりであったように思える。そこで「いや、違う選択肢もあるんだよ」というカードを切ったMIKIKO先生。映画では、そこに至る背景・思いも語られていて、長年3人を見つめ続けていた者だからこその視点に、色々と気づかさせるところもあり感情が揺さぶられる。

「結婚、出産しても応援するよ。ずっとPerfumeでいてね!」という事は簡単だ。そして、もしそういう状況になれば3人はきっとそれに応えて全力に取り組むだろう。その重圧とそれに伴って訪れるとてつもない疲弊を知るからこそ、「違う選択肢もあるんよ。立ち止まってもええんよ」という提案がなされたのだと考える。それを瞬く間に吸収し自分たち中で消化し結論を出す3人にも驚いたが、でもそれこそがPerfumeだとも思う。

当たり前のことだけれど、やっぱりわたしはPerfumeの事が好きだ。Perfumeのライブに行く事は時には神事に参加するようなものでもあり、身体中の澱のようなものがデトックスされるようなものだった。これまでのライブの思い出を大事に保管しながら、next stage を待つ。いま、できることはそれだけだ。