妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

パラダイスメタル銀河。『1/25(土)&26(日)BABYMETAL LEGEND-METAL GALAXY @幕張メッセ』雑感。

という事で2日間参戦してきました。

所々はアドレナリンが過剰に分泌されていたので記憶違いな部分があるかもしれません。

BABYMETAL LEGEND-METAL GALAXY

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今回はグッズは諦めて開場間際に行けば良いかな、という感じで幕張メッセに向かいましたが、いやこの開場待機列に行くまでがかなりのカオスでして…。

物販に向かう人、物販から出てきた人、別の待機場所に向かう人、トイレに並ぶ人などなどで通路は身動きできない状態。

まあしかしこういうライブ前のストレスというのはある程度織り込み済みで、これから始まる素晴らしいLIVEのスパイスだと思えばそれほど苦にはならない。と言い聞かせる。

DAY1〜黒浪五人娘

アイアン・メイデンの〝Fear of  the  Dark〟はベビメタ のライブで覚えた曲。LIVEバージョン、ええですね。

〝FUTURE METAL〟から始まるのはたまアリ公演と同じ。SU-METALとMOAMETALが浮かび上がる映像を観ると自然と気持ちが沸騰する。それにしてもスクリーンがデカイ!!その存在感!

アベンジャーズは百々子メタル。身体の大きさが産み出すダイナミックさとコミカルと同居したキュートさが良いですね。〝シャンティ〟のアイソレーション、首振りの時の表情かわいい。

基本アルバムの曲順でステージは進んでいく。〝Oh!MAJINAI〟の前にあった紙芝居ではかつてのおとぼけセンスが蘇っていて個人的には嬉しい。一瞬「え?おねだり…??」とフロアがじわついたがそんな事はなくて。肩組んでのコサックダンスは…次回にリベンジ。

そしてここからは鞘師メタルの登場。そうかアベンジャーズが全員出るんだな、これは。

上手く言えないけどいつもながら鞘師メタルの動きには何かを感じる。手先まで気持ちの入ったキレ、とでも言いましょうか。〝ヤバッ!〟の時にふとモニターを観ながら改めて彼女がこのステージに立っている事のミラクルを想う。シンクロする事や既定の動きよりもプラスαが加味されることを優先している気がして、ある種の異化効果が産み出すカタルシスがそこにある。つまり何が言いたいかと言えば、鞘師メタル、かわいいよね。

〝Brand New Day〟もバックの映像とのマッチングも良くて、素晴らしかった。一瞬影絵みたいになる箇所があった気がするし、とてもカッコいい動きもあった気がするけど記憶が飛んでいる。

〝ギミチョコ〟からは華乃メタルに。MOAMETALとの親和性と初々しさはある種の懐かしさすら感じる。〝メギツネ〟が産み出す祝祭空間は脳汁がいくらあっても足りない。〝Night Night Burn!〟は「あれ?これ初披露だっけ?」という感じに身体にスッと入り込んでくる。ここでも凄くカッコいい動きがあった気がするんだけど、忘れちゃったな。

そして続く〝THE ONE 〟!来ました!来ましたよ!日本語バージョン!!!不意打ちくらって一瞬気が付かなかったくらいの衝撃。これが観れただけでもスペシャルな夜であったと断言できる。途中、SU-METALがリズム崩してる場面もあったけどそんな事すら気にならないくらいに大満足ですよ、わたしゃ。腕に乳酸溜まりまくるほど上に掲げてました。

そして紙芝居後の〝ROR〟は、そう来たかの五人揃い踏みで登場。ここも正にアベンジャーズ感あって脳汁がプシャーとなる瞬間だった。流石にこの曲の時はサークルに参加しない訳にはいかない。Bブロックやや後方に出来上がったサークルに参加しながら回転して行くうちに別のサークルと合流していて気がつけば出島の反対側にまで移動していた。

最後の挨拶では出島部分にまで5人がやってきて、その時の圧縮がこの日1番だったけど、いやSU-METALもMOAMETALもアベンジャーズも輝いていた。揉みくちゃになりながらも至福の時間。

最後の紙芝居も終わり客電が点くと、程よい疲労カタルシスが混ざった不思議な感覚がドッとやってきて、退場しながらあちこちのメイトさんとハイタッチをしたい気分になっていた。してないけど。

さて、明日も楽しみだ。

 

DAY2〜イザナミによる国造り

開場時間に合わせてのんびりと幕張に到着。クロークに荷物を預けてトイレから出てくると物販の人が減っていたのでタオルとTシャツくらいは、と購入。結局買っちゃうんだよね。入場待機場所への移動も昨日に比べるとスムーズ、というかこちらが慣れたのか。

Aブロックに入場。前日とほぼ対極の位置にて開演をジッと待つ。客入れ曲、聖飢魔II流れてたよね。

約20分遅れで〝IN THE NAME OF〟から幕開け。出島部分にはマスク姿の誰かが杖を持って観客を煽る。

続く〝Distortion〟ではSU-METALがサークルを作るかのように指をぐるぐると回す。大きなスクリーンに映し出された映像にはフロアの様子にSU-METALの姿が重なっている。嗚呼!この時の表情!その眼差し!!国作りをするイザナギ、いやイザナミかのような美しさ。

アベンジャーズは華乃メタルから。〝PA PA YA〟〝KARATE〟など定番曲は否応なく盛り上がる。毎回言ってるけど〝KARATE〟での「エビバデジャンプ!」はなかなか観れないなぁ。
バンドのソロから始まる〝Kagerou〟から百々子メタルに替わったんだったかな?
初披露の〝BxMxC〟、とにかく最高でしたね!出島にやってきた百々子メタルの煽るような踊り、キレあって良かったですよ。そしてSU-METALのフロウ!!!

鞘師メタルに替わったのは〝ヘドバンギャー!!〟からだったろうか。SU-METALの差し出す杖の元で平伏すわたし達。久々に土下座ヘドバンを。呪文のようにヘドバンヘドバンと唱える事で脳内トリップしていたと思います。なんかすぐそばにカメラ来ていた気がするけど良く覚えていません。

あ、そうそう。どの曲だったか忘れてしまったけどMOAMETALが「もっともっとホラ!」的に煽る場面がスクリーン一杯に映し出された時はフロアにどよめきが起こった。あれどの曲だったかな。

〝Starlight〟や〝Shine〟そして〝Arkadia〟がもたらすカタルシス。Liveで観る度に曲のパワーがどんどんと大きくなっている気がする。

〝Arkadia〟が終わり、興奮とクールダウンが入り混じったかのような、しばしの静寂。何となく最後はあの曲来ないかな、くる気がするけどどうかな、と期待を込めつつ手拍子をしていると始まる紙芝居…。これは…ッ!

〝IDZ〟!!!!!!!!!キターーーーーー!!!これはもちろんサークルモッシュに参加してぐるぐる回る。前日同様にアベンジャーズ揃い踏み。闘いのシークエンスではMOAMETALと華乃メタルが中央で、両脇に百々子メタル、鞘師メタルが位置取る形。ややバトルロワイヤル状態に。揃い踏みのエモさで言えば前日のRORの方があったかもしれないが、何しろ封印を解いたかのような曲の爆発力に圧倒された。

そして最後は「うぃーあーべびーめたる!」で大団円。はー大満足。

 

最後の紙芝居。メタルレジスタンスは遂に最終章を迎えるようだ。しかし紙芝居は紙芝居以上の意味を持たない。憶測で感情を上下させても仕方がない。

ONLY THE FOX GOD KNOWS …

フォード対フォード。【映画】『フォードvsフェラーリ』雑感。

わたしが十代の頃に住んでいた街ではタモリ倶楽部を確か日曜の深夜に放送していたはずだ。まさに明日から学校か、という憂鬱と直面しながらささやかな現実逃避をしていた。タモリ倶楽部が終わるとカーグラフィックTVが始まり、アウトバーンを静かに走るドイツ車をぼんやりと眺めていたものだったが、さらにその後にカメリアダイヤモンドのCMが何度か繰り返されて、いよいよ日曜日が終わるのだ。

という事で観てきました。

『フォードvsフェラーリ

f:id:mousoudance:20200119174509j:image東宝東和感あるビジュアルイメージ。

予告編→YouTube

フェラーリが関わるのはほぼ最初と最後くらいで物語の殆どはシェルビーとマイルズによる高みを目指した挑戦のストーリーだ。

しかも彼らが闘っているのはむしろフォード経営陣=功利を優先した大企業であって、物作りへの探究心、その矜恃という点では彼らとフェラーリの方が通じているとも言える。

或いは旧態依然とした業界との闘い。レース中にブレーキ交換をしようとさて「それはルール違反だ」と詰め寄られたシェルビーとマイルズは「そんなルールはない!」と突っぱねるシーンがある。新たな試みをやる者たちは時に古いルールやしきたりに邪魔をされる。背泳ぎのバサロが禁止になるように。

大きな障壁として存在するフォードではあるが、とはいえ、フォードが物作りの魂を完全に蔑ろにしている訳でもないだろう。例えばフォード2世のとてつもなく巨大な企業の後継者となった事によるコンプレックスとそれ(フォード・モーター)を維持していく事のプレッシャーはわたし達には想像もできない。

フォード2世がレーシングカーに乗り込みその圧倒的なスピードを体感した時に溢れ出た感情は、自然とわたしの心をうった。創業者、そして亡き父を想い、こんなに速い自動車が作れるような時代になった事を彼らに教えてあげたいという彼の気持ちは、やはり物作りをしてきた人間としてのプライドが残っている証のようにわたしには見えて、思わず涙腺が刺激されてしまった。

副社長のレオ・ビーブ、実在するキャラクターをここまで分かりやすい憎まれ役として描くのもアメリカらしいと言えばらしいが、終盤はそのキャラクターがどこまで維持されるのか、と別の意味でハラハしたりもして。

鑑賞前は二時間半か…なんて思っていたけど、観始めればあっという間だった。レースシーンも見応えがあるし、なにしろマイルズの特異な才能とそれにシンクロするかのようなシェルビーの姿がカタルシスを与えてくれる。7,000rpmを超えスピードが上昇する長い中でシェルビーとマイルズが感じた孤独と「その向こう側の世界」への誘いは、まるでスターゲイトを通過するかのようで、ある一点において聴こえてくる声は彼らを何かに変えるものなのだろうか。

マット・デイモンクリスチャン・ベイルも当たり前のように素晴らしい。サングラスの着脱で心理状態を暗示するマット・デイモンや孤高のドライバーである一方で息子ピーターの前でのお父さんぶりが微笑ましいマイルズの姿を立ち上がらせるチャンベイルも流石という他ない。無論ピーター役のノア・ジュープの無垢な存在感も良い。カトリーナ・バルフが演じたマイルズの妻マリーはやんちゃな男たちを慈悲深い眼差しで見守るというともすればステレオタイプに陥りがちなキャラクターを嫌味なく演じていて好印象。モリーがある場面でさりげなく手を振る姿のその絶妙なバランスは一見の価値がある。

モリーがシェルビーに向けて掲げた手はエンツォ・フェラーリが帽子を取った姿と同じように同士への合図だったのかもしれない。そのさりげない合図は大きな繋がりを感じさせる証なのだ。きっと。

マカレナ踊る人、踊らない人。【映画】『リチャード・ジュエル』雑感。

何か事件が起こった時、「これ、この人が犯人なんじゃないの?」と勝手な推測をしてしまう事は多い。それが愚かな事だとは判ってはいるものの、情報の断片が膨大に溢れる中である一定の方向へ意識が引っ張られていく事に強く抗える人は少ないし、正確な情報を収集すること或いはそれが正確である事を検証する事も難しい。

であるならば、せめてそういった情報のモザイクにおける信憑性を疑うくらいの事はしなければならない。のかな。

という事で観てきました。

『リチャード・ジュエル』

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予告編→YouTube

いやとにかくポール・ウォルター・ハウザーが素晴らしい。『アイ、トーニャ』や『ブラック・クランズマン』、あるいはYouTubeドラマシリーズの『コブラ会』におけるいわゆる〝怪演〟が印象深い彼だが、今作における非常に繊細な演技には正直驚いた。いや、見損なってました、ホントに。

『アイ、トーニャ』で演じた社会の末端にいながら自己顕示欲が空回りする男とキャラクターとしては紙一重なリチャード・ジュエル。その無防備さが産み出す拒絶と許容の境界線を綱渡りするようなキャラクターは彼にしか演じられないとまで思わせた。拍手拍手です。

ケレン味を排除した削ぎ落とされたようなシンプルな作りでありながら、画面から伝わる〝手触り〟にスッと心を奪われるような、そんなイーストウッドの凄みをいまさら声高に言う必要もないのだけれど。

近年彼が扱う〝実録〟シリーズはどこか登場人物達の魂を救うような視点を感じて、しかもそれを大上段に構えず静かな語り口で紡ぎ出している。そんな切り取り方が実際の出来事を素材にしながらも、どこか寓話的な感触のあるものにさせているのかもしれない。

赦しと救済、そしてワンスアゲイン。それはわたしがついつい色んな作品に見出そうとする要素であるが、今作においてもそれは例外ではない。例えば弁護士のワトソン・ブライアントも法曹界のメインストリートからは外れた道を歩んでいるようだ。或いはFBIのトム・ショー捜査官もそうで恐らくは地元のお祭り担当というのは華やかな仕事ではなくて、そんな彼にとって爆弾事件は出世への足掛かりであったはずだ。または記者のキャシー・フラッグスも、彼女は一見大きな挫折はないようだけどリチャードを騒ぎの主人公に祭り上げてしまった事への贖罪の気持ちを感じていたかもしれない。

というようにそれぞれが赦しやワンスアゲインの物語を持っている。しかしその物語は強調はされず、というよりは放置されているといった方が近い。この作品の中ではそういったカタルシスは必要ないし、実際に彼らはワンスアゲインのステージには立っていない。リアルな人生とはそんなものだ。

唯一、ワンスアゲインを成功させたのはリチャードのみであると言えるのだけれど、しかしそんな彼も物語も長続きはしない。やはり、人生とはそんなものなのかもしれないね。

そうそう!撮影が素晴らしかった!派手なカメラワークがある訳ではなく構図も実にシンプルなんだけど画面から力が伝わるというか。

特にバーのシーンの赤と青の照明!!!あそこはかなりグッと来た。2人の男女の心の動き、葛藤や決断といった本来カメラにはうつしえないものを捉えるあの感じ。

イーストウッド作品で言えば『ヒアアフター』でマリーが恋人との会話の中でふと相手との距離感、断絶を感じる場面があった。あの時も実にシンプルなカットでありながら画面からはっきりとそういう空気の変化が伝わってきて印象的だったが、今作におけるバーのシーンもそんな映画的マジックを感じる一瞬だった。

そういう一瞬を感じるだけでも映画を観る価値というのはある、と本気で思っています。

という事でタイトルバックからエンドクレジットに至るまでシンプルに研ぎ澄まされたイーストウッドの熟練を身体に染み込ませる、そんな一品でした。

20年代の鐘を鳴らすのは誰だ。『1/17(金)SHINJUKU LOFT KABUKI-CHO 20TH ANNIVERSARY 東京STREET2020@ 新宿LOFT どぶろっかーず/BiS/CARRY LOOSE/フィロソフィーのダンス』雑感。

Twitterのタイムラインをぼんやりと眺めていると、あんぬちゃんがある4コママンガをリツイートしていた。

どうやらかなり前から話題になっていたようだがわたしの低いアンテナ感度ではキャッチしてなくて初めて知ったんどけど、いやこれ凄いですね。日常の小さな幸せと死ぬまで〇〇日という定められた運命の残酷さ、というだけでは語り尽くせない。

という事で行ってきました。

SHINJUKU LOFT KABUKI-CHO 20TH ANNIVERSARY
『東京STREET2020』

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わたしにとっては明けましておめでとうのフィロのス初め。でございます。

BiS

 bisと言えば…

Kandy Pop

Kandy Pop

ってこのボケはもう良いか。

初見です。少し遠目から観ていたのですが、なるほど確かにステージとフロアで共犯関係を作り出そうとしている空間に誘われるというか。

思いのほかBiSという名前からイメージされるものよりも、アイドル一年生的な頑張りを強く感じる。チャントモンキーさんのダンス、割と好きです。

どぶろっかーず

これはナーメテーターでした。見覚えのあるネタもバンドセットになると普通にカッコいい曲に。シャンペン・スーパーノヴァとドンルクが混じったような『さよなら69(と勝手に名付けたけど)』は名曲過ぎて困る。男の切ない片想いを朗々と歌い上げた珠玉のバラード『シコれども…』のパワーたるや。いやはや、流石という他ないエンタメっぷりでした。

CARRY LOOSE

解体と再生を繰り返しているというイメージがWACKのグループにはあって、各々のグループの出発点というか起源がどこにあるのかが外野から見ていると分からない。しかし、分からないからこそなのか、無防備に対峙していると時折ハッとする場面に出会う事もある。

ズバリ『CARRY LOOSE 』という曲のアンセム感、良いですね。この曲の時はコールやMIXも控えめであったことにも何かしら意味を見出そうとする悪い癖。

フィロソフィーのダンス

さて、ようやくわたしのフィロのス2020が幕を開けた。昨年暮れのツアーファイナル以来となる彼女達のステージは当たり前のように最高でした。

転換時間なんかいらねぇ、とばかりにFunky but Chicがフロアに鳴り響いた時のゾクゾク感は(どぶろっかーずとは別の意味で)大人の時間の始まりを予感させた。

〝ダンス・オア・ダンス〟からの約30分のステージは貫禄すら感じる落ち着きと同時に熱いパッションに満ちていた。

例えばこの夜はハウリングやおそらくはマイクのぶつかる音だろうか「ゴトッ」というノイズが時折聴こえてきたけれど、それはLIVE=生身のリアルさの証であるかのようでもあって、スピーカー近くに来たおとはすがハウリングに驚きつつも一瞬のうちにキュートな表情に変換させる様や〝すききらいアンチノミー〟の時だったと思うけどスピーカー近くに客を煽りに来たあんぬちゃんが咄嗟にハウリングを避けるようにマイクの持ち手をスッと替えた一瞬の動きをわたしは見逃していないが、そういうところにも積み重ねてきた経験が感じられてグッとくるところだ。

〝コモンセンス・バスターズ〟などで奥津さんやハルちゃんが随所で魅せるフェイクは否応なくこちらの感情を掻き立てくるのは勿論の事、この2人は歌っていない時のダンスも最高なのです。ハルちゃんのアイソレーションっぽい首の動きと肩がグイッて入るあの感じ(上手く説明出来ない!!)、良いですよね。

〝イッツ・マイ・ターン〟の

今からそうだ 関係ってやつを全部塗り替えるから

always my turn

のalways my turn の時の動きは個人的ににゃんこスターと呼んでいて、この曲の中でも好きなところのひとつ。4人それぞれの「にゃんこスター」があって毎回新しい発見があります。この夜は位置的に奥津さんの姿がよく見えて、彼女の動きに悶絶しそうになったのはここだけの秘密。

それにしても〝シスター〟はやはり良い。歌はもちろんのこと、ダンスが良いんですよ。滑らかさと同時にキレのある動きがあって、そんな動きが産み出すアツさは単なる激しさとは違う何かがある。それぞれの個性が重なり合って出来上がるグルーヴに静かにエキサイトする。へーーーーい!

大トリ感のある〝ダンス・ファウンダー〟でシメられたLIVEは冒頭にも記したように貫禄すら感じる安定感でフィロのスのヲタクの端くれとしても良いLIVE初めになった気がします。

100日後に死ぬワニではないけど、日々の小さな幸せはついつい疎かにしてしまいガチだ。新年早々こんな事言うのもアレだけど、いやでもそれは真実で、だからLIVEのひとつひとつイベントのひとつひとつはそれぞれ愛おしく大切な時間ということを噛みしめなければならない。

そんなことをぼんやりと考えていたら、下りた幕の向こうから「大きなイチモツをくださいーーー」と歌うハルちゃんの声が聴こえてきて、いやホントこういうところですよ。フィロちゃんズの良さは!と改めて感じたというお話。

想い出はいつも綺麗でズルイ。『1/13(祝)神聖かまってちゃん メランコリー×メランコリーツアー 最終日@Zepp ダイバーシティ』

2011年の春以降、呑気な楽観論と過剰な絶望に挟まれてうんざりしていたわたしの心にエネルギーを与えてくれた曲があって、ひとつはももクロの『Z伝説』であり、もう一つが神聖かまってちゃんの『僕は頑張るよっ』だった。

何かはっきりとした指針を求めていたわたしにとって〝絶対諦めない〟というストレートなメッセージと〝みんな死ぬよ あっさり死ぬよ 僕は頑張るよっ〟という宣言は強烈なパワーを与えてくれたと思っている。

という事で行ってきましたよ。

神聖かまってちゃん メランコリー×メランコリーツアー』最終日

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とは言いながら、かまってちゃんのライブに行くのもかなり久しぶりで…8年ぶりくらいかもしれない。今回はちばぎんの最後の姿を見届けるために参戦することにした。

経済的な理由でバンドから離れる決心をしたというちばぎん、トリッキーなの子さんとバランスを取るかのようなその立ち位置はある種の癒しでもあり、このバンドへの貢献度は計り知れない。しかし、かまってちゃんクラスでも生活していくためにバンドを辞めなきゃならないなんて世知辛い話ですね。

LIVEも久しぶりで曲名を忘れていたり、下手したら初見の曲もあったかもしれないが、しかしそんな事は一切関係なく〝怒鳴るゆめ〟から始まったセトリは、その音楽を浴びている間にあっという間に終わってしまった。

何度か繰り返されるの子さんの「お前たちの!衝動をッ…!くれよ!!声を出さなくても良い、棒立ち人間でも体育座りでも良い。でも中にある衝動を!衝動をくれよ!!!」というMCを聴くと、かまってちゃんのライブに来ていると実感する。

〝レッツゴー武道館っ!〟〝夕暮れメモライザ〟といった懐かしい曲を聴くたびに、ちばぎんのいる4人のかまってちゃんも見納めだな、と実感する。

〝夜空の虫とどこまでも〟から始まったレーザー演出はなかなかのもので、音楽と光に包まれているだけでトビそうになる。因みに160万かかっているらしい。

ぺんてるの時はの子さん本人も言っていたようにかなり感情がこもっていたように思えて、ちょっぴり目が潤んでしまった。

アンコールは「ちばぎんコール」で、出てくるなり「主役は俺だ!!!」と主張するの子さん。

〝ロックンロールは鳴り止まないっ〟から〝フロントメモリーの流れは完璧と言ってもよく、これで終わりでもいいような気もしていた。しかし、こんな予定調和的に綺麗にまとまる訳がない。

ダブルアンコールで再び当時すると、「何故ちばぎんが〝怒鳴るゆめ〟を最初の曲に持ってきたのか。多分一番始め、神聖かまってちゃんの始まりの最初のデモテープがこの曲だったから。どう?ちばぎん説明してよ」と無茶振りをするの子さん。でもちょっとこのエピソードだけで涙腺が刺激される。始まりの始まり、神聖かまってちゃんの歴史におけるビッグバン。そんな曲から始まるセトリだったのか。

「ホントに最後の一曲。終わりの終わりの終わりまで、お前たちの衝動をくれよ!」というアジテーションで始まった〝23才の夏休み〟

これで4人のかまってちゃんが終わってしまう…そんなセンチメントに包まれているといきなりの子さんはギターを捨て、ちばぎんの演奏も止めてお立ち台に2人で並ぶ。「あーーーー!もう、ちばぎんに二度と会えないかもしれない!!」といったかと思うと「幼稚園の頃、ちばぎんの家でやった誕生日会。その時にパクったキラカード、見つけてきたよ」と言い始めた。このグダグダも彼ららしいね、なんて思っていたらこの後にとんでもない展開が待っていた。

「幼稚園の頃からずーっとちばぎんから預かっていた魂。それを今日返すッ…!」

と言ってちばぎんの背中にキラカードを貼る場面!!!泣くわ!!!!!(一回失敗したけど…それも含めて)

君が僕にくれたあのキラカード

その背中に貼り付けてやるよ

永い永い伏線を回収するかのようなこの流れ!!の子さんなりのちばぎんへの贈る言葉であり、神聖かまってちゃんの新たなスタートへの儀式のようでもあった。

そのあとは終わるようで終わらない〝怒鳴るゆめ〟のるーるるらーらのコーラスが続く。

まるで終えてしまいたくないようにも思えたのは少しナイーヴ過ぎるだろうか。最後のみさこさんのドラムは殊更大きな音を鳴らしていたような気もしている。

「俺たち、喧嘩もしてきたんだけど、アレだな、想い出ってのはキレイになるから、ズルイよな…」というの子さんが呟くように言ったあと、ちばぎんが「そだね」としみじみ言っていたのもグッとくる。

ちばぎんのシンプルで飾らない感謝の言葉も胸に来たし、それをニコニコと見つめるみさこさん、隣にいて黙ってそれを見つめていたmono君も印象的だった。

そしていつまでもステージに残っていそうなの子さんをちばぎんが肩車してステージを去っていき、この日のライブそして神聖かまってちゃんのひとつのピリオドは終わった。

久しぶりのかまってちゃんのライブは素晴らしいものだった。そしてもっともっと観ていれば良かったな、という後悔も少しだけあった。でも、この夜、この時だけはわたしの衝動をぶつけられたような気がする。今はそれで良いじゃないか。

という事で。ありがとう、ちばぎん。さようなら。

この臭いは拭いきれないのか。【映画】『パラサイト 半地下の家族』雑感。

風呂なしアパートに住んでいたハタチそこそこの頃は、やはり高台の住宅地は眩しく見えて思わず呪詛めいた事を呟きたくもなっていた。『天国の地獄』の山崎努にシンパシー、いやシンパシーというよりは否応なく同調させられて無駄にルサンチマンを溜め込んでいた気がする。

という事で観てきました。

『パラサイト 半地下の家族』

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予告編→ YouTube

裕福な家庭に徐々に侵入いや浸透していく様子が描かれていく過程は、通常であれば被害者である家族側の視点に立って侵入者への恐怖を感じるホラー的展開になる筈だ。

しかし、わたしを含めて多くの観客はキム一家がコンゲーム的に計画を進めていく様子をある種の快感を抱きながら眺めていたのではないか。それはユーモラスな描写であった為でもあり、また彼らキム一家がパクさん一家には決定的な被害を及ぼしていないからでもある。

彼らが犯しているのは、せいぜいが留守の間に宴会を開く程度で彼らの生活そのもの、その根本を激しく脅かすには至っていない。ある時点までは。

ソン・ガンホは流石という他なく、本来であれば恐ろしくなる役どころにピュアネスすら与えていて、その存在感が素晴らしい。

その他のキャストも皆魅力的だ。パグさんの奥さんや娘さんダヘちゃんも可愛らしい。

しかし特に印象的でわたしの心を捉えたのは、妹ギジョン役をやっていたパク・ソダムだ。彼女の醸し出す退廃と絶望感が産み出す美しさ。ある場面でタバコを吸う場面、心奪われた。

※これよりネタバレ状態になります。

 

パクさん一家がキャンプに出かけた日、キム一家は豪邸で伸び伸びと暮らす。無論それは許されない行為ではあるが、ささやかな楽しみに過ぎない。大きなリビングにいながら半地下の家にいる時と同じように身を寄せ合っているキム一家の様子は、窓から見える風景は違ってはいるものの普段の生活と地続きと言っていい。

留守の主人の不在時だけの試み。彼らが戻ってくるまでには粛々と元の状態に戻し、パク一家の生活を壊す事はしない。ほんのちょっとだけ、彼らの腹が痛まない程度、そのレベルを逸脱するつもりはキム一家にはない。

そんなキム一家の計画が崩れるのは、本当のパラサイトが現れたからだ。リアルな地下室でゴーストのように暮らしているパラサイトが今度はキム一家の目論見を崩壊させる。

しかしパクさん一家からしてみればキム一家も地下室のパラサイトも変わらない。同じ臭いを放つ異物だ。いくらケヴィン先生やジェシカ先生の振りをしていても身体に染み付いた臭いは拭いきれない。パクさん一家の善意は無意識に残酷さをもってキム一家を追い詰める。

大雨とともに高台の汚れは洗い流され、その汚水がキム達の家に向かっていく。便器から溢れる汚水を浴びながら煙草を吸っていたギジョンは、その翌日にジェシカとなってドレスを着てパーティー会場にいる。もしかしたら贖罪の意識で何かを取り戻そうとする希望を持っていたかもしれない。しかしそんな思いは胸を刺されて「クソッ」と呟いた瞬間に消え去った。

娘ギジョンが刺されたその同じ位置を狙い定めてパク社長を刺殺した時のキム父は誰の為に誰にリベンジをしたのだろうか。

ギウが最後に見た赦しと救済のイメージは半地下の現実とともに我々の目の前から消えていく。おそらくそれは実現しない幻だろう。しかし、その幻を夢見ることぐらいは半地下の住人にも許されてもいい筈だ。

GOP、GOD、GOT【映画】『ロング・ショット』雑感。

それにしてもMCUゲーム・オブ・スローンズが現代アメリカカルチャーの必須科目になっている事を改めて感じる。

ま、3話くらいで挫折したままなんだけどGOTは…。

という事で観てきました。

『ロング・ショット』

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予告編→YouTube

いやー面白かった!!!

下ネタオンパレードで展開していくストーリーでありながら、ロマンティック・コメディのフォーマットをきちんと踏襲しているし、最後には、その下ネタそのものが最高のオチとして機能しているところは痛快ですらあった。

女性優位の格差恋愛モノという点では目新しい訳ではないが、過去の作品との違いは、そこに透けて見える差別意識を提示しているところにはなると思う。

それを殊更に声高に主張している訳でもないけれど、例えば〝女性の敵は女性〟的な立ち位置にいたテレビの女性キャスターが最終的には爆発していく姿などを見ると、なるほどいつまでたっても男はクソだな、と自戒を込めて思ったりもする。コーヒーカップくらいで済んで良かったですよ。

それはともかくとして、そういった要素を嫌味なく成立させているのもシャリーズ・セロンの存在抜きには語れない。上手く言えないけど、これがニコール・キッドマンだと話が変わってくるような気がする。いやニコール好きだけどね。

序盤のキリリとした姿も恋に落ちていく姿もブッ飛んでる姿も全てがカッコよくて可愛い。こういうキャラクターをバランス良く演じられるのは素晴らしいですね。

セス・ローゲンの欠陥がありつつもどこか憎めないキャラクターはいかんなく発揮されていて、この作品内でのフレッドはいってみれば〝ヒロイン〟的立ち位置にいる訳だけど、まあでもセス・ローゲン、普通にカッコいいからな。パーティー会場でタキシードビシッと決めた姿なんか普通にイケメンだし。いや、笑わされてそして泣かされましたわ。

2人が恋に落ちていく過程の中でMCUゲーム・オブ・スローンズが話題に上がったりしていたけど、その中で『原始のマン』が混じっていたの最高だった。ほとんど内容も覚えてないけど懐かしい映画。しかし、Encino Manを原始のマンって邦題にしたのは本当素晴らしいよね。

主役2人はもちろん、脇役キャラ達も印象的でそういうところも作品成功の成否に関わってくる。どんなモノでもそうだろうけど、特にコメディにおいては主人公を取り巻くキャラクター達がどれだけ魅力的であるかにかかっている。

そういう意味ではこの作品は完璧と言ってもいい。役の大小、セリフの多寡に関わらず画面に映る人達がみんな(憎まれ役も含めて)印象的に記憶に残る。

アンディ・サーキスも相変わらず素顔が出てこない感じでありながら、良い味出していたし、〝ヒロイン〟の友人役として叱咤激励してその背中を押していたランスのオシェア・ジャクソン・Jr.も良いコメディリリーフぶりだった。「この人なんの作品で観たんだっけ。アイス・キューブそっくりな顔」と思っていたら、そうだよ『ストレイト・アウタ・コンプトン』でアイス・キューブ役やった人じゃん!てか息子じゃん!!

フレッドとランスがケンカになる場面でランスが行った告白のシーンは、笑えるとともに考えさせられもする大事な所で、主義主張が異なる相手と親友のままでいられるのか、というテーマすら浮かんできたり。

ラストシーンまで活躍するランスにご注目下さい。「◯◯、フォーエバー!!」て!

という事で、とにかく笑えてなんだったら泣ける、そんなロマンティック・コメディの快作です!でも下ネタは想像しているよりもド下ネタなのでその点はご注意を。