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(     )【映画】『オッペンハイマー』雑感。

【本予告】『オッペンハイマー』3月29日(金)、全国ロードショー - YouTube

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わたしは広島で生まれた人間であるし、これまで映画の中で描かれた原爆や核の扱いに違和感を抱くことも少なくない。とはいえ、だからと言って核や原爆をタブーにする必要はないと思っているし、例えば『マリリンとアインシュタイン』のような素晴らしい作品にも出会ってきた。

日本公開はまだか、とジリジリしている中でのバーベンハイマーの騒動には呆れるしかなかったけれど、そういった能天気さもまたアメリカのリアルなのかもしれないとも感じる。そして、そういった複雑な思いとは別に、そもそもノーラン作品を見逃す理由はわたしにはない。

いつものケレン味は控えめなようにも感じる。しかし、観るべき作品であるのは間違いなかったし、 時制をパズルのように組み替える事で生まれるサスペンスはこれまで積み上げられたノーランのキャリアが更なる高みに達するような凄みがあった。

公開前には被害者の視点が欠けているという批判も目にしたが、わたしはそう感じなかった。むしろ、踏み込んでいるようにも見えた。冒頭のプロメテウスの一節にもそれは現れている。

〝あの日〟の描写についても正直思わず身構える瞬間があったし、感情が逆撫でされる部分(もちろん、それは意図されたものだ)もあるのだが、それ以上に大義の下で行われる、とてつもなく巨大な暴力の恐ろしさ・おぞましさが強調されていてそれは少し予想外でもあった。確かにスパイク・リーの提案

『オッペンハイマー』に「僕なら、原爆を日本に2発投下したことで何が起きてしまったかを見せる」とスパイク・リーが提言 | THE RIVER

も頷ける。そうするべきたったのかもしれないが、もちろん今作にそう言った視点が全くない訳ではない。原爆の実験のシーンや〝あの日〟を語る場面でのオッペンハイマーの心象風景は、わたしの心を大きく動かした。「そんな程度じゃ甘いんだよ」という意見もわかるけれど、映画にその全てを背負わせてしまうのも無理(例えば『エターナルズ』での原爆に関するシーンは、心動かされるものだったけれど、その部分を殊更強調し、過剰に評価するのも作品にとってはフェアではないのでは?とか)がある気もする。

音が印象的な作品でもあった。不穏に響いてくる重低音や爆発音はとても効果的で意味のあるものとして伝わってくる。スリリングな会話(それは、ある種の命のやり取りでもある)によってこの作品は、伝記モノのクリシェ(栄光と挫折或いは赦しと救済の物語)を超えたレベルに到達していると思うが、その背景に流れるサウンドは、時に大きく時にさりげなく配置されている。 そういう面では、IMAXで観る価値はやはりあったと思う。

オッペンハイマーの複雑に揺れ動く感情の機微をその瞳に宿らせたかのようなキリアン・マーフィー。ノーラン作品のランドマークとも言える彼の佇まいは素晴らしかった。得体の知れない妖しさのフローレンス・ピュー、野心と嫉妬と俗物さを纏ったロバート・ダウニー・Jr.も良かったけれど、久しぶりに目にしたデイン・デハーンも良かった。あの冷徹な眼差しはアメリカの歴史のダークサイドを体現しているかのようだった。

そして 「絶対にわたしの領域を汚す事は何人たりとも許さないのだ」というキティの意思を感じさせたエミリー・ブランドもまた素晴らしく、最後に振り返った時の彼女の相貌に一瞬ハッとさせられたのは意図的な演出だったのかわたしの勘違いだったのか。

と色々と言葉を尽くしてみるが、なかなかその本質を捉えて語る事は難しい。フトすれば聞き逃してしまうような、悲鳴や鳥のさえずりがわたしの耳にはまだ残っているけれど。