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これって感情ってやつ?【映画】『最悪な子どもたち』雑感

カンヌ受賞作、子どもたちのひと夏の映画撮影『最悪な子どもたち』予告編 - YouTube

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2024年の映画初めはこちら。正月に相応しいかはともかく、とても良い映画体験になった。

ありふれた言い方になってしまうけれど、フィクションとノンフィクションが入り混じり、その境界線が溶けていくような不思議な感覚があった。とにかく子どもたちのパフォーマンスが素晴らしい。どこまでが演出でどこまでがリアルな感情の表出なのかは判断がつかない。ドキュメンタリー的手法で演者の内面からこぼれ落ちるものを捉えようとするスタイルは是枝裕和作品に通ずるアプローチにのようにも思える。

と同時にわたしには創作過程における作り手の傲慢さのようなものも表しているのでは、という印象を持った。作中で映画監督ガブリエルは〝良い作品を作る〟という大義の為に子どもたちを取り巻く環境を利用して感情を引き出そうとする。それは時に残酷な行為(子どもたちの喧嘩やセクシャリティーに踏み込む場面等に現れているように)となるが、〝リアルな何か〟を作品に刻もうとする魅力には抗えないものなのかもしれない。作品を産み出すという行為には、しばしば悪魔的取引が正当化されてしまう、という作り手としての内省が垣間見られる。

その上で、作中で子ども達が魅力的になっていく姿にわたし達は心動かされる。リリ(と演じるリリー・ワネック)が段々と演技の魅力に取り憑かれていく様に観ているこちらも惹き込まれていって、終盤に見せる表現力には圧倒されてしまう。或いは一方でマイリス(中の人、メリーナ・ファンデルプランケの繊細な表現力も見逃せない)やジェシーのように、演技する事によって自己が解放されていく者ばかりではないという側面もみせる。映画(或いはそれに準ずる業界)が全ての人にとって魅力的とは限らないが、その距離感が上手く描かれていた。

そして終始危ういスタンスで演技に接しているライアン。境界線上を行ったり来たりしているのは彼が抱える家族問題ともシンクロしている。ライアンと演じるティメオ・マオーもまた互いに溶け合い境界線が判別出来ない。だからこそ、険しい表情をしている事の多いライアンが最後に見せた表情にわたしは大きく心動かされてしまう。果たしてそれが計算されたものなのか偶然が産み出した賜物なのかも分からないけれど、そういった事すらも超越した何かがそこには関わっていたと思わざるを得ない。まさにそこには映画が持つ悪魔的誘惑があったように思う。