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only dog knows 【映画】『落下の解剖学』雑感。

疑念の中に落ちていく 映画『落下の解剖学』予告編 - YouTube

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タイトルとポスタービジュアルから洗練されたミステリーを想像していたら、少しだけ肩透かしを食らったというのが率直な気持ち。とても良い作品だったとは思うけれど、もう一つという感じ。とはいえラストに訪れる赦しと救済の徴には心のどこかを突くものもあった。

目撃者のいない転落死を巡る物語は、法廷での証言の積み重ねという形で進む。同じ事象が見る角度にわって変わっていく描写は巧みで、展開にもスリルがある。とはいえ、いわゆる法廷ドラマにあるような緻密な証拠を集めていくような描写はない。「運命の逆転」のような弁護チームの作戦会議と言った場面も(ない訳ではないけれど)インパクトはないし、「評決」のような真実を求める誠実な弁護士というのも登場しない。或いは「疑惑」のような疑わしい依頼人と弁護士との丁々発止のやりもりもない。

というのも、今作は、法廷ドラマの形を取りながら、謎解きの部分は重要な要素ではない。例えば、最も印象的と言ってもよいサンドラとサミュエルの会話の様子が暴かれるシーンは、従来の男女間の関係性がボヤけていくのを意識せざるを得ないものであったし、それを簡単にフェミニズムと呼ぶのが正しいのかどうかはわからないけれど、カップルの間でのパワーバランスを巡るものへの眼差しがあった。

検察側にせよ弁護側にせよ決定的なエビデンスがない中で罪を告発または無罪を主張しなければならないように、われわれもまた〝藪の中〟の出来事についての陪審員の立場におかれている。それはすなわち、そういった社会的イシューへのスタンスを問われているようでもあって、その辺りの心理も上手く使っていたのかな、と。検察官の詰め方や弁護士の主張によってサンドラへの印象が変わっていくあたりも巧みに操作されていたのかもしれない。

サンドラを演じたザンドラ・ヒュラーの演技は素晴らしかった。感情を読み取らせないところと、微かに表情を変化させて〝何か〟を感じ取らせるところのバランスが絶妙だった。そのパフォーマンスによって、わたしたち観客もまたサンドラの運命と生き様をどのように捉えていけばいいのかと考えさせられる。

そしてそんな彼女を超えてとてつもない演技をしていたのがワンちゃんだったのです。あの表情や動き、只者ではなかった。そして、あのワンちゃんが最後に寄り添う者がこの物語の中で赦しと救済を必要としているという事なのかもしれない。