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友を静かに眠らせない。【映画】『プアン/友だちと呼ばせて』雑感。

『プアン/友だちと呼ばせて』

『バッド・ジーニアス 危険な天才たち』監督最新作!『プアン/友だちと呼ばせて』予告編 8月5日(金)公開【公式】 - YouTube

『バッド・ジーニアス』のバズ・プーンピリア監督作という事で期待のハードル高めで臨んだ。

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と同時にですね、ウォン・カーウェイ製作というキーワードが少し気になってもいて。いや、確かにかつて彼の作品に夢中になったりもしたけれど、彼のケレン、スタイリッシュさはある種の滑稽さにも通ずるものがあり、例えるなら、しずるがコントで揶揄するような〝シャレオツ映画〟になりかねない危うさがある。

けれど、それは杞憂だった。いや、良かったですね。タイトルとプロットからイメージされる「余命わずかな友人と〝死ぬ前にすること〟を巡る旅の映画」=ウェルメイドな感動作、というのをいい意味で裏切る展開。心を抉るような鋭さと人生の甘酸っぱさが同時に訪れるような不思議な感覚を抱いた。

過去を辿るというものは、当然のように赦しと救済、そして贖罪を伴うものだ。ウードとボスの旅も例外ではない。そして、そういった贖罪は概ね相手に受け入れられていくものだ。しかしウードの旅において彼の贖罪は易々とは受け入れられるとは限らない。何故なら、彼が元カノ達へ〝返す〟ものはかつて楽しかった時の思い出であると同時に、彼女たちの傷へ直結していく記憶でもあるからだ。アリス、ヌーナー、ルンと過去を遡るにつれて、その傷の度合いは深くなっていく。言い換えれば、ウードの恋愛経験は過去になればなるほどに残酷で無思慮なものであったことの証でもあるのだろう。そういった生々しさがこの作品が一筋縄ではないことを示しているようにも思える。

そうした傷口塩塗り系恋愛模様は一種「ブルー・バレンタイン」や「花束のような恋をした」を思い起こしたりもしたが、それがボスの人生へと大きく踏み込んでくる終盤のドライブ感は予想外だった。ウードの告白が生み出すミステリーの謎解きのような展開はスリルもあって見応えがあった。

『バッド・ジーニアス』のようなソリッドさを求めるとやや物足りなさを感じなくもないけれど、ケレンと泥臭さが同居したような独特の肌触りやテンポの良い語り口からバズ・プーンピリア作品はこれからも追いかけていきたいと思わせてくれた。キャスト陣も素晴らしく、ボスやウードはもちろん、アリス、ヌーナー(『バッド・ジーニアス』のオークベーブ・テュティモンの登場が嬉しい)、ルン、プリムといったキャラクター達もとても良かった。アリス、ヌーナー、ルンはそれぞれ出番が短い間でしっかりと印象を残す。そんな魅力があった。

さて。

ウードの贖罪の旅、その結末ををわたし達は見届ける事になる。風景は、美しくエモーショナルではあったけれど、わたしはふと思った。もしかしたら、これはウードの夢に過ぎないのかもしれない、と。そして、仮にそうであったとしても、それはそれで良い落とし前であるとも思う。人生そんなもんだ、とうそぶくつもりもないけれど。