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血の色はラズベリー。【映画】『プロミシング・ヤング・ウーマン』雑感。

誰だって正しく生きたいし、誠実でありたい。

その一方で、正しくない道を歩む事もまたあってそういった過去をどう精算していくか(それによってどう救われて/赦されていくか、は)は、なかなか難しい話でもある。

『プロミシング・ヤング・ウーマン』

アカデミー賞脚本賞受賞!『プロミシング・ヤング・ウーマン』日本版予告編 - YouTube

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冒頭からミソジニー丸出しの会話が繰り広げられ、それはやや強調されているようにも思えてしまうが、実は大げさでも何でもなくそういった空気はわたし達の周りに普通に転がっている。

もちろん、わたし達も自分だけが例外で無垢な存在ではいられない。例えばカサンドラが罠に欠けていく男たちの中にはいかにも〝理解がありそうな〟スタンスで近づいてくる者もいて、「化粧は女性を抑圧している」なんて言いながらも、結局はキメて一発やりたいだけという下心を見透かされ返り討ちをくらう。こういった序盤のカサンドラの行為をホラーと感じるか痛快に感じるかは、その人の生き方に関わってくるようにも思えるが、一面的でないのも人間で、例えばわたしはその両方の感覚を抱いていた気がする。

序盤ではカサンドラの復讐対象は社会そのものへ向けられている。将来を約束された才能ある人物が、その道を閉ざされてしまったのは、まさに彼女(たち)かヤングウーマンであったからに過ぎない。若い男子学生達の行為は〝若気の至り〟の一言で片付けられ、自分達だけが大きな傷を負ってしまう。手帳へ書き込まれた男たちの名前は社会そのもので、カサンドラはその社会を〝正しく〟直そうとしているようにも思える。そしてその闘いは終わりの見えないものだ。カサンドラの脚に流れるラズベリーソースが血の色に見えたのはそういう事なのかもしれない。

彼女の復讐劇がピンポイントの過去にフォーカスされ始めるのはライアンとの出会いからだ。ライアンは過去への扉でもあり、同時に未来への鍵でもある。ライアンと出会った事で、彼女のリベンジはいよいよ、あの過去の精算へとドライブしていく。

過去の黒い歴史を精算しようとしても、それは一方の当事者だけでは成立するものではない。当事者が互いにその過去に向き合わなければ、そこに赦しも救いも存在しようがない。唯一、この作品の中でカサンドラから赦しを得た人物が、カサンドラの目を見たその一瞬で自分の贖罪を語り始めたのがその証でもある。

ある人物がカサンドラに放つ「あんただって清廉潔白ではなかっただろ」という台詞。その台詞が発せられるのはその人物がカサンドラに大きく刻まれた傷跡に気づく事もなく、或いは意図的に目を背けて、その過去そのものに今まで向き合ってこなかったからだ。そして土壇場で現れる自己保身からくるこういった醜さは、しかしわたし達自身が投影されたものでもある。

だからこそ、カサンドラが成し遂げた復讐の物語は、わたしの心の奥底を抉りながらも痛快で爽快な気分もまた味わうのだろう。そしてカサンドラのウインク; )に泣かされてしまうのだ。