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希望/ホープはさりげなく訪れる。【映画】『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』雑感。

華やかというわけでも勿論なかったけれど、だからといって曇天だらけの日々であったという事もない、そんな学生生活だったのですが。

という事で

『ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー』

予告編→ https://youtu.be/xMsFAzRqB3U

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結論から言うとこれは20年代の『ブレックファスト・クラブ』とでも言いたくなるような青春譚で、わたしは中盤以降ほとんど涙で瞳を濡らしていた。

正直なところ前半のノリはそれほど入り込めなかった。ジェンダー問題を意識した会話やあけすけな性的単語のやり取りなど、嫌いじゃないし笑えてもいたけれど、それほどノっていけない自分がいて。

それでも目的のパーティー会場を探し求めながらあっちこっちへ寄り道していくエイミーとモリーの姿は、〝見つからない何か〟を探し求める青春の一頁のようにも思えて、その意味では彼女達が高校生活の精算の為に向かっていたニックのパーティーはその暗喩だと言えなくもない。今まで見えていなかった何かの発見、とか。※この時に出会う大人たちが彼女達をより良い方向へ導いていこうとしているのも良いですね。特にピザ屋の配達ドライバーがその危険性を諭していく場面が好きで、窮地に陥ったときに手を差し伸べてくるものの手を容易に信じてはいけないという教訓があったりして。その後の前フリにもなってるし。

キャストの2人がとでも魅力的で、モリーを演じたビーニー・フェルドスタインは確か『レディ・バード』の親友役が印象的だったけれど、そのボディ・ポジティブ的な魅力とちょっとシニカルなコメディセンスが素晴らしい。と思ったらジョナ・ヒルの妹さんなんですね。目元、似てる。

エイミー役のケイトリン・ディーバーも、心の小さな動きを繊細に表現していてすごくよかったですね。プールの終始台詞のないシークエンスは出色だった。そして、わたしの心をグッと掴んだのはパーティーに行く事に消極的だったエイミーがカラオケでアラニス・モリセットを唄う場面だ。何がどうと上手く説明出来ないのだけれど、このシーンからは涙腺が緩みっぱなしだったように思う。

モリーとエイミーのホモソーシャルな関係性や内輪ノリ(というのは誰しも経験してきた事だと思うけれど)は当然他者との壁を生み出していて、「あの子たちのように遊んでばっかりの人間とは意識が違うのよ」とマウントを取っていながらも、そのマウントは一瞬にして意味をなさなくなる。周囲の人間達がモリーを勉強ばかりで性格の悪い女と決めつけているのと同じように、モリーもまたアナベル達の事を遊んでばかりの人がと決めつけているだけで、お互いにその本質を見てはいない。誰かの事を知ろうともしなければ、誰も自分の事を知ろうとは思わない。「君、案外面白い子なんだね。もっと前から絡んでおけば良かった」というニックの台詞は、多少の社交辞令はあったとしても嘘ではなくて、本当にそうする事ができれば違う高校生活があったかもしれない。人間は互いに向き合わなければ繋がることは出来ない。そして過ぎた時間は戻ってこない。

そんな小さな(それでも大事な)事に気づくにはモリーとエイミーは少しだけ時間がかかったようにも思えるけど、それでも下着でプールに飛び込むくらいには自己を解放出来た。それだけでも価値のある一晩だったし、そんな夜を過ごしている若者達に目頭を熱くしている自分を発見する。

もちろんモリーとエイミーにはこれから輝くような未来が待っているハズだ。と同時にもしかしたらこの十代の関係性はやがて失われてしまうかもしれない。それは判らない。

「たった1年よ」とエイミーは言うが、こらからの1年は大きく変わっていく1年となる。環境や人間関係も変われば、以前のような2人には戻れないかもしれない。

でもそれでもいい。今はブルーのアカデミックガウンのように鮮やかで美しい刹那を感傷的に味わっていれば良い。とわたしは思うのです。