ここ最近のアメリカ産映画には明らかに〝トランプ以降〟という時代背景が反映されていると感じる作品が多い。
という事で観てきましたよ。
『ナイブズ・アウト』
予告編→YouTube
古き良きミステリー物のパロディかなような設定には心地良ささえ感じる。ぼんやりと「ダニエル・クレイグが出てる」くらいの予備知識で臨んだので、クリストファー・プラマー、ジェイミー・リー・カーチス、ドン・ジョンソン、マイケル・シャノン、トニ・コレット、クリス・エヴァンスというクセのあるキャステングは、ある種のサプライズ的な楽しさがある。
マルタ役のアナ・デ・アルマスのフレッシュな魅力も素晴らしいし、警部達や孫達といった役柄に至るまで、「行き届いた配役」が産み出す化学反応はこの作品の成功の要素のひとつだろう。
都会から離れたお屋敷での事件。そこは現れる名探偵、というシチュエーションはオーソドックスなミステリーを彷彿とさせる。そういったクラシカルな装いを少しオフビート的に着崩していながらも、しっかりと芯の通ったストーリー展開があって、そのオチも含めて実に見事だったという他ない。
物語が進むに連れて、これはああなんじゃないか、こうなんじゃないかと推理していくのも勿論こういう作品の愉しみ方ではあるけれど、わたし自身はストーリーに身を委ねて繰り広げられる展開を新鮮な気分で受け入れていく事でこの作品世界に浸っていたような気がする。
ライアン・ジョンソンというと何故かジェイソン・クラークの顔が浮かんでくるけど、そんな話はともかく、『最後のジェダイ』で散々な言われようだった事を思えば、実にワンスアゲイン的な仕事ぶりで、そのオリジナル脚本も実に見事だし、クセのある魅力的なアクター達のアンサンブルを巧みにまとめ上げた手腕は称賛に値する。セリフや小道具の伏線回収もスマートでラストの構図に至るまで丁寧に作られている事が判る。
この作品が持つ魅力のひとつは謎解きミステリーである事は間違いがないけれども、物語の鍵となるマルタがウルグアイからの(不法)移民の子だという要素が、アメリカの現代的な問題を作品に刻み込む。
お屋敷の中で部外者(そして真実に最も近い人物)であるマルタは、スローンビー家の面々からすると異物だ。「あなたは家族同様よ」という甘い言葉ってとは裏腹に、結局は〝私たちのお屋敷〟から出て行って欲しい、いや出て行くべきだと思っているという現実。パーティーの場で繰り広げられる政治談議。そこで交わさせる表面上のヒューマニズムが、欲望を前にしたときにその欺瞞を暴露されて行くというのはある意味で典型的ではあるかもしれないが、やはりそこに流れるテーマは非常に現代的でアクチュアルなものだ。
ある人物がマルタに放つ「このブラジル野郎」という侮蔑は、しかし彼女がウルグアイ系である事によってその発言の愚鈍さと、同時に人種問題の根深さをも感じる圧縮であった。
他者への許容とそのレベル設定はおそらく人それぞれだろうけれど、ここ数年のアメリカ映画に感じるある種の苛立ちのような、或いはそれを告発するようなムードはこの作品にもあって、それは〝トランプ以降〟であるという烙印のようにわたしは感じる。
それは声高ではないし、もちろんミステリーを気楽に愉しむ作品ではあるけれど、その隠し持ったナイフはわたし達の身体にスッと突き刺さる。
my house, my rule, my coffee と描かれたコーヒーカップ。そのカップこそがこのお屋敷の主人であるかのようなラストも素晴らしい。あのカップ、グッズとして売ってくれないかしら。
あ。そうそう。家政婦フラン役の人もとっても良かったです。