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頬の傷は消えたのか。【映画】『ドライブ・マイ・カー』雑感。

『ドライブ・マイ・カー』

映画『ドライブ・マイ・カー』90秒予告 - YouTube

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長尺の上映時間に二の足を踏んでいたが、いざ観始めてみると最後まで引き込まれていった。濱口監督作品は初めてなので、お馴染みのスタイルなのかどうかはわからないけれど、独特のリズム感は個人的には身体に馴染んでくる。と、同時にオーソドックスな演出とは異なる肌触りに(ロジカルに説明出来ないけれど)不思議なルックを感じる。なにしろ赤い車というのが実に映画的ではなかったか。東京の街、広島の街、高速道路、雪に覆われた田舎…そういった中を移動していく赤い車のショットには抗えない刺激がある。

西島秀俊三浦透子もとても良かったし、「ワーニャ伯父さん」のキャスト陣もみな素晴らしい。個人的には安部聡子さんとユナ役のパク・ユリムさんが印象的だった。そして霧島れいか岡田将生の放つ退廃の空気!良かったですね。

個人間のディスコミュニケィションと贖罪と赦しと救済。そういったテーマが静謐な空間の中で積み重ねられていく。例えば前半において家福、音、高槻、みさきの姿(顔)はしばしば鏡越しで捉えられる。わたし達はそのままの姿と鏡像としての姿の両方を眺めることになっていて、そのことが見えない(見ようとしていない)内面の象徴のように感じられる。

或いは登場人物が何か自分の内面の中に起きた変化を自覚する時、その眼差しはカメラの方をしっかりと見ているし、それが2人の間で起こる場合には互いの視線は絡み合う事のない位置にある。ある場面において抱き合う家福と音が互いに相手の向こう側を空虚な瞳で眺める顔をそれぞれ捉えたショットがあった。何かを自覚していくその表情、その瞬間にハッとされられた。というような事についてロジカルに説明するほど理解が進んでいる訳ではないけれど、そういった演出の数々は静かに感情を揺さぶってくる。

或いは。公園での稽古の場面でジャニスとユナに起きた化学反応について高槻が「一体何が起こったんです?」と問うように、何故そのような感情の変化が登場人物に起きているのかは、わたし達には不透明だ。不透明ではあるけれど、確かにそれは起こってしまったのだ、という事実がゴロンと突き出される。わたし達はそれをただ眺める。

そうやって積み重ねられた(見えない・隠された)感情の積み重ねが赤い車で移動を重ねていくにつれて徐々に明らかにされていく流れには静かなカタルシスがあった。それぞれが背負う贖罪と後悔は決して簡単に洗い流したり忘れられるような事ではないけれど、それを背負い生きていく決意には少なくとも希望がある。

正直言うと、その感情の吐露にはやや面食らったところもあるけれど、いやでも生きるっていうのはやはりそういう泥臭さを抱えながら進んでいくということなのかもしれない。いつまでもナイーブな顔して「そうかもしれない」と言い続ける訳にはいかない。