妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

肺には肺を。心臓には心臓を。【映画】『キャッシュトラック』雑感。

最近になって漫画『ファブル』を全巻一気に読んだ。そのクールでスタイリッシュなアクションも勿論良いのだけれど、〝佐藤兄妹〟やその周辺のキャラクターに触れていると、そこにある赦しと救済そして失われた家族の再生の物語を感じたりしている次第。

『キャッシュトラック』

f:id:mousoudance:20211009231954j:image

ステイサム×ガイ・リッチー!映画『キャッシュトラック』予告編 - YouTube

いや、良かったですね。

ガイ・リッチー監督、ジェイソン・ステイサム主演で犯罪モノとなると何となくイメージする作品像が浮かんでくるけれども、予想に反してというか所謂「ガイ・リッチー節」というようなスタイルは抑えられていて、ポップなバイオレンス描写というよりはハードでドライな描写が良い。その円熟味すら感じる演出はとても好みだった。

ブリティッシュロックが全編にながれて、激しいカットバックやスピード感のある編集で三つ巴のアレやコレやが時にコミカルに描かれていく、というような事はない。終始、不穏な低音を響かせるBGMとともに、渇いてヒリヒリとしたスリルが画面を支配していた。

アメリカが舞台でありながらイギリスの趣きを感じたのはエディ・マーサンの存在ばかりではなく、まるで曇天が続く街であるかのようにその風景を切り取る撮影に依るものなのかもしれない。

リメイク元の『ブルー・レクイエム』は未見なので、オリジナルをどれくらい踏襲しているかの判断はつかないけれど、少なくとも本作で放たれる弾丸はそのどれもが相手を仕留める事だけを目的としてとしていて、とても無慈悲だ。誰かを助けるためだとか救う為だとか、そういった〝ある種の正義〟が入り込む余地はなく、仮にそれを目的にしても、無駄弾になってしまう。ジェイソン・ステイサム演じるHは、着々と目的に向かっていくがそこに達成感も爽快感もない。いくら復讐の弾丸を放っても、赦しも救いもそこにはない。失われたものは再生されず、腐敗していくのみだ。

ぽんぽんと撃たれていくキャラクター達。ひたすらその命が失われてく過程は、我々に感情を抱く隙を与えない。怒りを込めた弾が人間の身体を破壊していく様を映し出すカメラは、そこにあるドラマ性を奪い取るかのようだ。

そのドライさはFBIの捜査官の対応にも現れている。彼らも決してHの為には動く訳ではなく、そこに血の通った交流はない。アンディ・ガルシア演じるFBIもその部下たちも、そこに転がるBODY(それがHであれ誰であれ)を、不浄観を眺めるかのような一瞥をくれるだけだろうし、それがこの世界を生き抜く為には必要なのかもしれない。