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鏡かネオンか飲み物。【映画】『ラストナイト・イン・ソーホー』雑感。

『ラストナイト・イン・ソーホー』

アニャ・テイラー=ジョイら出演!エドガー・ライト監督のサイコホラー『ラストナイト・イン・ソーホー』予告編 - YouTube

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こういうのをトレンドと言ってはいけないとは思うけれど、最近の映画を観ているとアップデートされた意識を感じる事が多い。その対象は様々だけど、抑圧されている/きた〝わたしたち〟を巡る語り口が増えてきているような気がするのです。

エドガー・ライトの新作という事でそれなりにハードルを上げて臨んだ今作。そういう意味で言えば多少の物足りなさがなかったかと言えば嘘になる。

しかし、それでも〝生き辛さを感じる者(つまりは、それはわたし達の事でもあるけれど)〟がどうやって自分と向き合い、かつ赦しと救済を獲得していくか、という観点からこの作品に対峙した時に、少なからず心の琴線に触れてくるサムシングもまた否定する事は出来ない。

ストーリー上のカラクリはそれほど複雑ではなくて、予想通りと言えば予想通りではありつつ、その狂気じみたハッピーエンディングには半ば呆気にとられるところもある。と、同時に赦しと救済の場面には(例えそれが唐突であろうとも)わたしの中の何かを刺激する。

夢追い求めて片田舎から都会へやってくる若者のどうしようもない自意識とそれがもたらす周囲との齟齬の姿が、少なからず数十年前の自分と重なるようなところもあって、それは辛くもあるのだけれど、同時に過去の自分にそっと寄り添いたくなるような不思議な感情を呼び起こしているのかもしれない。

エリーの過剰なオブセッションは、ややリアリティを欠く描写(になるのは当然だとしても)となってそれが観客を引き気味にさせて感情移入を困難にさせているけれど、演じるトーマシン・マッケンジーの眩しい魅力でそこはカバーされていた。それはサンディーを演じるアニャ・テイラー=ジョイにも言えることで、独特の存在感は代え難いキャラクターとして印象深いし、抑圧され囚われの身となっている哀しさもストレートに響いてくる。奇しくもふたりともシャマラン作品に出ている事もわたしには良い方向に作用したのかもしれない。

サンディーの歌う「恋のダウンタウン」は印象深いし素晴らしいが、わたしのお気に入りはこの曲が流れる場面だ。Siouxsie And The Banshees - Happy House - YouTube60年代ではなく80年代だけれど、この曲で踊りながら狂気にドライブしていくエリーの姿が個人的にはハイライトであった。

そして、帰りにわたしはキリンの瓶ビールをヴェスパーのつもりでグイッと飲み干すのでした。