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勝手に深淵を覗いてろ。【映画】『アネット』雑感。

『アネット』

映画『アネット』予告編 2022年4月1日(金)公開 - YouTube

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フランス映画と言えば激情型の愛。というのもステレオタイプな気がするけれど、そんな愛の形もこのご時世アップデイトされていくのかもしれない。

レオス・カラックス作品を観るのも随分久しぶりで、『ポーラX』は観たんだっけ?どうだったかな、というくらいのご無沙汰加減。どことなく日本の古典的怪談のような趣きもありつつ、不思議な感情のざわめきを残して去っていった、というそんな印象。オープニングのカッコよさとエンディングロールに漂う映画への想いを形にしたかのようなアプローチは好き。

アダム・ドライバー演じるヘンリーの自己中心的で一方的な愛をぶつけてくるキャラクターにわたし達にはなかなか感情移入出来ない。これが80年代、90年代であればもっと肯定的なキャラクターとして描かれていて観客に感情移入させるように造形されていただろう。あの頃には、例えば破滅へと向かう愛だったとしても、それをある種の美学として組み直すような作業が(表現者のみならず受け手の中でも)行われていて、そういう抜き差しならないヒリヒリとした状態を〝純愛〟と読み換えて消化していたんだろうな、という記憶。

しかし、今作ではそういった組み替えの余地は与えられていない。女性達に告発されるほどの(それがアンの内部にある不安のメタファーだとしても)ヘンリーの素行と承認欲求の高さをコントロール出来ないどうしようもなさは、結局最後まで変わる事がない。最後の最後になって救いや赦しが訪れる、というような事はなくただ乾いた空間がゴロリと転がっているだけだ。

アネットがヘンリー(とアンにも)告げる最後通牒は取りつく島もない。「いいのよ、パパ許してあげる」という言葉はついぞ出てこない。そんな救いと赦しは易々と与えられない、どころか「一生、ひとりで深淵を眺めていろ」と言うくらいに突き放している。

いや、ちょっと待てよ。ここまで書いていてふと思い出す。エンディングでヘンリーの顔の痣はこれまで以上に強調される。と同時にアネットの額の傷(この傷は〝赤ん坊時代〟から額に付いている)がまだ残っている事をわたし達は発見する。これを何かのシンクロと見るのならば、或いはそれは僅かな救いのイメージなのかもしれない。