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わたし、オカシイ子なんかじゃない。【映画】『ゴーストバスターズ/アフターライフ』雑感。

ホームステイから帰ってきた同級生が「いや、アメリカは今コレよ」と言って着ていたのが例のロゴマークの入ったトレーナーだった、という鮮明な記憶。そして久しぶりにオリジナルの『ゴーストバスターズ』を観直してみると、思いの外テンポがのんびりとしていて、あれ?こんな展開遅かったっけと思ったり。あるいは、当時マシュマロマンが出てきた時の場内の笑い声が蘇ったり蘇らなかったり。
映画『ゴーストバスターズ/アフターライフ』予告編 - YouTube

ゴーストバスターズ/アフターライフ』

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と、そんな感じで今作に臨んでみた訳だけれど…いやー良かったですね。終盤の展開は、ある程度そうなる事が判っていたにも関わらず、思わず泣いてしまった。

わたしの大好物である赦しと救済の物語であり、また若者達が自己実現をする場を獲得していく成長ストーリーとしても心を撃つものだったし、更にハロルド・ライミスの不在、鑑賞直前のアイヴァン・ライトマンの訃報などが重なり気がつけば目を潤ませていた。

ジェイソン・ライトマン監督作では『ヤング≒アダルト』が大好きで、主人公の肥大した自意識と「だからってそう簡単に成長なんかしないよ」という達観が入り混じったシニカルさが大好物だった。そういった面でいえば、今作はややストレートな描写にバランスが取られていたような気がするし、何しろ父親を含めて先達が作り上げてきた映画史に残るマスターピースを引き継ぎ遺していこうという意思を感じる。その事にまたグッときてしまう、のは歳を取ったからだろうか。

フィービーはその立ち居振る舞いから、おそらくは学校(つまりは彼女が主に属する社会)では浮いた存在、所謂〝変わった子〟として生きてきた事が判る。自分がなぜこんな風に生き辛さを感じなければならないのか、という事すら考える事なくある種の達観の域にいるようにも思えるけれど、しかし自分の祖父が科学的探究心とそれに伴う使命(自己実現の場)を持って生きてきた事を知る事によって、フィービー自身も「わたし、オカシイ子なんかじゃない」と思えるようになる。このくだり、かなりグッときました。ポッドキャスト君も多分同じで、フィービーがやってくるまではきっとクラスでは〝浮いた存在〟だったのだろう。「ねえ、僕と実習パートナーにならない?」)

フィービーが自己実現の場を獲得していくと同時に、母親もまた自らの父娘関係を見直す機会が訪れるわけで、展開はある程度想像出来ていたけれど、そこで繰り広げられる赦しと魂が救われていく場面にはやはり心動かされてしまう。

そしてもうひとつ、引き継がれていくモノというテーマ。長い間、封印されてきたゴーストバスターズという行為(社会的貢献)が、プロトンパックとキャデラックはそのままの形で若者達に引き継がれる。それはオリジナルから40年近くて作られた続編という今作の立ち位置と同じに見える。自分のフィルモグラフィからすると異色とも言える今作にジェイソン・ライトマンが関わっているのも、少なからず継承という意味合いが当然強くあるはずだ。

だから〝ザ・視覚効果!〟(このニュアンス伝えるの難しい)といったゴーストの造形や美術が当時の質感そのままであるのは凄く正しい。ゴーザと門番、鍵の神といった構図がオリジナル版と全く同じである事も同様に正しい。だからこそ、わかっていてもあの場面に心踊り感動してしまうのですよ。

オリジナルキャストが(ほぼ)再結集しているのも嬉しい。中でも受付ジャニーン役のアニー・ポッツが中々良い役どころだった。イゴン/ハロルド・ライミスと今作を繋ぐ橋渡しのような立ち位置で、過去のシーンが使われるあるシーンが生み出す化学反応が素晴らしい。今回、オリジナル作を観直していて気に入った場面のひとつも彼女が出ているシーンだった(警官がリック・モラニスを連れてきた時の〝bringing off or picking up?〟「お届け物?それとも逮捕に?」と対応する場面。ジャニーンの魅力が詰まった場面だと思う)けれど、今作でも最後の最後に40年間の歴史を見つめ直し魂を救い出すようなシーンを担っていた。

という事で、先達のリスペクトと共に継承される物語が赦しと救済という要素とともに感傷を呼び起こす良い作品でした。そして電気ビリビリ罰ゲームを受けるビル・マーレイに、ここにも時代のアップデートが描かれていると感じながら頭の中で歌がグルグルしている。フユゴナコール、ゴーストバスターズ