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渡る銀河はシスばかり。【映画】『スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』雑感。

そうは言ってもエピソード6だってイウォークの盆踊りで終わったわけで、当時劇場から出てきた時は友達と「ダース・ベイダー、中身おっさんでビックリした」とか「イウォーク…どうよ??」とか言いながら「ま。あれだよなそれはともかくスター・ウォーズだったよね?」と納得しながら帰っていった記憶がある。当時、匿名掲示板があったら「スターウォーズ大反省会」とかいうスレが立ってたかもしれない。そんなものだ。

という事で観てきましたよ。

スター・ウォーズ/スカイウォーカーの夜明け』

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でわたしはと言えば皆んなが大嫌いなプリクエルも大好きでエピソード3なんかもう最高過ぎると思っているんだけどなかなか賛同を得られない、という話はともかく。

色んな事を言いたい気持ちもあるし、アレがどうだコレがどうだと粗をひとつひとつ上げていきたくなる気持ちも分かる。決して手放しで「傑作だよ!」と言えるわけではもちろんないが、わたしは何度か泣かされたし、最後のエンドクレジットが流れた後には満足した気持ちで劇場を出る事が出来た。

子供の頃に聞かされたシリーズ9作構想が現実化した事とそれに立ち会えた事に感謝するほかない。

(以下ネタバレあります)

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それをどう評価するかは分かれるところだとは思うけど、例えば宇宙船内での銃撃戦や何かを求めて銀河を旅していく流れなどはSWシリーズのエッセンスを感じさせてくれる。それを単なる焼き直しと言えばその通りだけど、SWってそんなものだろうという気持ちもある。荒唐無稽の宇宙冒険活劇として多少の粗はどうしたって出てくるものだ。

今作においてもファースト・オーダーもレジスタンスも結局大した戦略もなくワーワーやってるだけで、「多勢に無勢。もはやこれまで…」ってなるポーはほんとにダメロンだし、ファースト・オーダー側もスターデストロイヤーのアンテナ壊されただけで全てパーになる所なんて間抜けで仕方ないけど、それは帝国軍のデススターの脆弱さにも通ずる。その辺のいい意味での緩さはep4〜6もそんなに変わらない。

一方でこのシリーズの縦軸にあるスカイウォーカーの話。わたしがプリクエルが好きなのは、ep1〜6がアナキンの再生と赦しと救済の物語になっているからだ。プリクエルの存在があってこそ旧シリーズの裏に隠れていた趣きを感じとる事が出来るからだ。プリクエルを通過してみると『帝国の逆襲』でのヨボヨボでボロボロなクソジジイ化しているヨーダにも味わいというものが出てくる。

そういう意味では新シリーズはアナキンの物語からの解放がまずあって。カイロ・レンがダース・ベイダーを信奉しているのもアナキンにしてみれば自分の関与していない話ではあるのだが、ここにきてパルパティーンの幻影が現れてくるとなるとまた話は変わってくる。

アナキン&ルーク親子によるパルパティーン退治は完結していなかったわけで、そうなるとアナキンの始めた贖罪と赦しの物語は終わっていなかった事になる。だからこそレイの血統が問題となるのは必然で、ダークサイドとライトサイドの拮抗を(旧作と同じように)描くしかない。

ならば、やはりレイの片腕は切り落とされるべきでその機会を逃してしまった事だけは今作の大きな欠点だと言いたい。

しかし、そんな事よりも赦しと救済の物語を担うカイロ・レンを演じたアダム・ドライバーの演技は内面に蠢く感情を静かに表現していて素晴らしかった。声が良いんだよ、また。

そう声といえばレイが聴いた歴代ジェダイの声のシーンも良かった。全ての声を聴き分けられた訳ではないけれどクワイ=ガイ・ジンオビ=ワン・ケノービやメイス・ウィンドゥ、そしてヨーダもいたはずで、あそこはかなりグッとくる場面だった。

しかし何よりも印象に残ったのは最後にタトゥイーンで板っきれをソリがわりにして砂山を滑り落ちるレイの姿だ。アレめちゃ可愛くて何というかパルパティーンの呪縛から逃れたレイの解放感も感じて好きなシーンだ。

という事でシリーズ完結という事ですが、また10年後にライトセーバーが掘り起こされて「スカイウォーカーの物語は終わらない…」とかなんとかいってエピソードXをやったとしても驚きません。