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15丁目の曇天。【映画】『ベルファスト』雑感。

唯一の正しい世界・真理というものはない。或いはいくつもの正しい世界が存在している。それがこの世というものだ。多分。

ベルファスト

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ケネス・ブラナー監督『ベルファスト』予告編 - YouTube

それぞれが正しさを主張する事で生まれる軋轢や行き違いを少年バディの目を通しながら描かれる。ケネス・ブラナー私小説的な要素が強い今作において、アイルランドの問題・ベルファストで起きている問題は大きなテーマだけれど。それについてスルスルと紐解くだけの知識を、わたしは持っていない。しかし、父ちゃんや母ちゃん、じっちゃん、ばっちゃん(という表記が合うような気がする)達の姿には心を突かれる。そんな場面が少なからずあった。

2022年の3月という今、諍いによって疲弊し傷ついていく市井の人々の姿は、スクリーンの向こうで起こっている他人事ではなく、身近にわたしたちの暮らしにも起こりうるものとして迫ってくる。

正直なところ(これはケネス・ブラナーの作風との相性の問題だとは思うけれど)ストーリー展開やリズム感が合わない=ノリきれない部分もあった。しかし、演者の素晴らしさもあって気がつけばわたしの目頭は濡れていた。特に終盤にジュディ・デンチが放つ台詞は、真っ直ぐにこちらを見つめる力強い彼女の眼差しとともに、強い印象を残す。残る者にも、去っていく者にもそれぞれ等しく愛を注ぐようなメッセージは、ストレートに身体に染みてくる。

登場人物達は本当に皆素晴らしい。ジュディ・デンチキアラン・ハインズはもちろん、ジェイミー・ドーナンカトリーナ・バルフ、そして子供達や近所の人々に至るまでとても良かった。その存在感はイキイキとしていて、親近感を抱くけれど、中でも気になる存在としてモイラ(ララ・マクドネル)をあげたい。

彼女はバディの幼馴染なのか親戚の子なのかよくわからないが、節々でバディの前に現れる。ややシニカルでリアリスト的な立ち振る舞いは、主にバディをトラブルへと誘っていくが、そんな彼女を巡るシーンで印象に残っている場面がある。

街が混乱の最中にあって人々が右往左往している中で、モイラもまた立ち尽くしキョロキョロしてる。その姿は道標が見当たらず自分の向かうべき方向を見失っている我々の姿と重なる。モイラはベルファストという街そのものの象徴である、というのは言い過ぎだとしても、迷いながらも愛を求めるかのように〝そこ〟へ走っていく姿に、うまく言えないけれど赦しと救済のシルシを見たような気になった。

もちろん、物事はシンプルではない。宗教問題や民族問題、政治的な紛争を一発で解決する方法はない。ただ、バディが「キャサリンと結婚できるかな?彼女、カトリックだけど」と尋ねた時の父ちゃんの答えは、迷える者たちの道標のひとつ、であるように思うのです。