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絶対諦めない、we are…【映画】『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』雑感。

『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』予告1 2021年 全国ロードショー #ヴェノム #カーネイジ - YouTube

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『ヴェノム:レット・ゼア・ビー・カーネイジ』

一作目はとにかくヴェノムが可愛くて、その印象が強く、つまりは逆に言うとそれだけだったような記憶もあってルーベン・フライシャー監督作という期待の大きかった分、ちょっとノリ切れない仕上がりだった。そんな事もあり、今作についてもそれ程ハードルを上げてない状態だったのですが。

アンディ・サーキス(!!)の演出は思いの外手堅く100分という上映時間にコンパクトにまとまっている印象。エディとヴェノムのバディ感も引き続き楽しく、観ているうちに「嗚呼、これは恋愛映画なんだな」という認識が強くなってくる。

エディとヴェノムはもちろん、エディとアン、ヴェノムとアン、アンとダン、そしてクレタスとフランシスといった様々な組み合わせで愛の形が描かれている。

エディとヴェノムのやりとりは進んでいくに連れて痴話喧嘩の様相を見せてくるし、仲直りの場面は(ある仕掛けの効果もあって)恋愛映画のパターンそのもので、なかなか面白い構造だった。アンを巡るエディとヴェノムとダンの関係も典型ではあるけれど、例えばダンが嫌味な恋敵的な立ち位置に収まっていないのも良かった。クレタスとフランシスの〝純愛〟は感情移入するには背景が物足りなかった気もするけれど、ウディ・ハレルソンの立ち振る舞いだけで充分狂ったボニー&クライド感が出ていたと思う。

最近は作品の中に〝アップデートされた思考〟のようなものが匂わさられているケースが多く、余りそんな部分に焦点を当てすぎるのも良くないとは思うけれど、今作においてもヴェノムが真夜中のクラブで叫んだアジテーション「抑圧されてきたアイデンティティの発露」として程よいバランスが取れていたと思う。コメディ要素の面もありながら、グッとくる人にはグッとくる加減は良かった。

クライマックスの塔を登る〝怪物〟(とブロンド女性)はキングコングを、雨に濡れるクレスタはブレードランナーのロイを思い出させたりするけれど、そんなセンチメンタルな瞬間を丸呑みしてしまうヴェノムとエディは「俺たちは…ヴェノムだ!!」と声を合わせる事もないが、それこそがふたりがバディである事の証ということにしておく。