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これ、戦争なのよね。【映画】『ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』雑感。

突然、国王を失うという現実を前にしてこれからこの国(つまりはMCUブラックパンサーの物語)がどうなるのかという不安をわたし達は抱えている訳で。

ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー』

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「ブラックパンサー/ワカンダ・フォーエバー」予告【ワカンダに迫る新たな危機編】 - YouTube

ブラックパンサーの不在は、言うまでもなくチャドウィック・ボーズマンの不在であり、大いなる哀しみそのものだ。そういう意味で、落涙しそうになる場面が多々あった。冒頭のマーベルロゴからレクイエムモードで、改めて彼(ティ・チャラ/チャドウィック)の気高さや崇高さを思う気持ちが湧き上がってくる。ティ・チャラ/ブラックパンサーのキャストを変更するという選択しなかった事で、その不在が大きくワカンダ(つまりは『ブラックパンサー』という映画そのもの)にのしかかる。その点でシュリ(レティーシャ・ライト)へのプレッシャーは計り知れない。大変だったろうなあ、とそんな事を考える。当然、〝誰がブラックパンサーを引き継ぐのか?〟というところにわたし達の視点はフォーカスされるけれど、ストーリー8割くらいまではそこに触れられることはないまま進む。

幕開けでティ・チャラとの別れが描かれ、と同時に絶対的支柱を失ったワカンダという国家の(国連的な)世界での政治的立ち振る舞いが中心となっている。サノスといった全世界が一斉に対峙すべき〝敵〟は今作にはいない。国家それぞれの思惑が絡み合い、パワーポリティクスの綱引きによる緊張状態(突き詰めればアメリカ的世界vsワカンダという対立構造)がそこにはある。

シュリが思わず口にするアメリカ的世界への呪詛、あるいは女王ラモンダの〝by any means necessary 〟というフレーズに見られるように、ワカンダは強い独立主義を持っているし、それはある種の孤立を指す訳だけれど、今作を見ていると「嗚呼…そうやって戦争って起きていくのね」という気持ちになる。或いはシュリがタロカンに抱く共感と憧憬は、裏返せば、植民地的視線或いはオリエンタリズ的な放漫さと紙一重である。また、シュリの闘いのモチベーションがダークサイド的発想である事と戦争が非常にパーソナルな部分に端を発している事による居心地の悪さが、クライマックスにカタルシスを感じにくい要因だったかもしれない。だってタロカンの方に大義があるように感じてしまうもの。(そのバランス感覚には共感するんだけれど)

あと残念だったのはオコエの扱い方だ。序盤のリリ/アイアンハートを巡るシュリとのやり取りやタロカンとのアクションはとても良かったけれど、彼女がある出来事によって失った信頼を挽回する場面が描き切れていない為に、終盤の戦闘への参加がヌルっと行われているように感じられてしまった。もう少し、〝ヨッ!待ってました!!〟感が欲しかったというか…。ナキア(特殊工作員ぶりが優秀過ぎて惚れ惚れする。優秀過ぎて戦争のキッカケ作ってるけど)とのバランスでしょうがないのかな。

とは言いつつも、途中シュリがティ・チャラにしか見えない場面など思わずハッとさせられる場面や彼女の成長譚としてよく出来ているところもある。シュリが見せるラストの表情は素晴らしく、チャドウィック・ボーズマンへの鎮魂と次世代へのブラックパンサーへの継承という意味では必要となるピースであったと思う。