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ダンスが上手く踊れたら。【映画】『アス』雑感。

人生の中で、ある一点からガラリと変わってしまう事がある。文字通りの分岐点で、それ以降の自分は前の自分にはもう戻れなくて…。大袈裟に言えば、その選択を一生噛みしめながら生きていくしかない。そんな事を考えたみたりする。

という事で観てきました。

『アス』

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いやまあ、とにかくルピタ・ニョンゴですよ。改めて素晴らしいですね。僅かな眉の上げ下げとか口元の開き具合とか、小さな変化、その表情が産み出す機微。表現力のレベルが段違い。

ジョーダン・ピールの作り出す世界は前作『ゲットアウト』同様に恐怖と笑いの境界線を行きつ戻りつし、あるいは重なり合いながら進んでいく。冒頭からの不穏な空気は緊張感を維持しながら、であるだけに笑いのツボにハマる部分では肩を揺らすほど笑ってしまった。

ストーリーの構成や設定は一見するだけでは隠された意図が掴みきれない複雑な仕組みになっていて、例えばN.W.Aがスマートスピーカーから流れている(ここのくだりが、また良いんですよね)白人邸にアフロアメリカンの家族が〝強盗状態〟で押し入るような形になっているという、幾重にも仕掛けのあるアイロニー等その深いところにあるものを完全には理解しきれていない。そういう意味では難解ではあるのだが、しかしそんな事を考えずともキッチリとエンタメとして高いレベルにあるのがこの作品の特徴でもあって。ジワジワとした怖さが次第にドライブしていく様やそこから生じる笑いで2時間はあっという間。

ルピタ・ニャンゴは言うに及ばず、隅々に至るまでキャストが素晴らしい。夫役のウィンストン・デュークやエリザベス・モスも良かったけど、特に子供2人は二役を巧みに演じ分けをしていて感心させられた。マスクや髪型といったビジュアルによる区別は勿論のこと、その眼差しなどの使い分けは素晴らしく、そこに宿る説得力には時に涙腺を刺激させられた。緊張感から生まれる笑いの場面としてもタイラー邸の一連のスピード感はこの作品でも白眉でもあるが、そこへの貢献度という点でも2人の存在は大きい。

しかし、やはりルピタ・ニャンゴのアディへ与えた命の吹き込み方はヤバい。特にサンタクルーズへ到着した時のあの表情!!!!不安や周囲への取り繕いや平静を保とうとするバランスが生み出すその一瞬、それを切り取ってみせる彼女のアプローチは見事という他ない。あの一瞬だけで観る価値がある、とさえ言ってもいい。そのとんでもないレベルのキャラクターとしてのリアリティが終盤に訪れる不思議なカタルシスを産み出す事にもなっていて、嗚呼そう思えばもう一度最初から観直してみたくもなる。

複製された人生、自己との対峙とその克服、人生の負債にどう落とし前をつけるのか…などなどジョーダン・ピールの仕掛ける罠は一筋縄ではいかない。そのメッセージ性とエンタメ性とのバランスは絶妙。踏み入れた瞬間からもう我々はジョーダン・ピールの手から逃れることが出来ず、そのお化け屋敷の迷路で必死に出口を探すしかない。

そしてそれはかなり心地悪く、そしてとんでもなく心地よいものだ。

「わたし達…?わたし達は…アメリカ市民だよ!!!!」