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今そこにある純度100%の暴力。【映画】『ホテル・ムンバイ』雑感。

この日、代々木公園ではナマステインディアというイベントが催されていた。インド文化に触れ、互いの存在を尊重し、交流をしていこうという実に平和なイベントだ。

という事で観てきました。

『ホテル・ムンバイ』

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いや観てきた、というより体験したという方が近いのかもしれない。

映画『ホテル・ムンバイ』予告編 2008年に起きた五つ星ホテルのテロ事件を描く - YouTube

アーミー・ハマーやデヴ・パテルが出演している事とざっくりとした粗筋くらいしか事前情報なく当日になって観ることを決めたくらいで、「ホテルがテロに襲われてアクション交えながらなんだかんだで主人公達が助かる感じかな」程度の心持ちで臨んだらとんでもない所へ連れて行かれた。

そこで描かれる暴力はエンタメという要素も或いは感情も入り込む隙のないもので、とにかく恐ろしい。テロ実行犯の青年達の行動はオートマティックに操られていて、そこには逡巡も葛藤もない。

その恐怖は過去の映画作品の中でも群を抜いているのではないだろうか。北野映画のような乾いた暴力に近いが、その純度をさらに上げたようなテロルそのものというものを突きつけられているようで腹の底にズシンと鉛を入れられたような気分になる。テロリスト達を演じた俳優達の精神状態が心配になるほどのリアリティに打ちのめされてしまう。

そんな無機質なテロ実行犯の青年達について、僅かながら主体性のある人間であることの描写がある。そういった描写はしかし彼らの人間性を表現しているわけではなく、むしろその操られている事の空虚さを裏づけするような恐ろしさを強調しているかのようだ。彼らが受けている電話の向こうの風景は一体どんなモノなのか、それが見えないことへの漠然とした不安もまた恐怖をかき立てる。

とにかく怖い。

ホテルの料理長やアルジュンのおそらくは矜持に基づいた行動は尊く、それらを演じるキャストも素晴らしかった。特に料理長のアヌパム・カーのベテランらしい落ち着きから生まれる信頼感と気高さは唯一と言っていいこの作品の中で安心できるパートだったといえる。

アルジュンを演じたデヴ・パテルも職務を遂行する男を粛々と演じていて良かった。特にターバンを外さない理由を語る場面はひとつのハイライトであると言えるし、だからこそ終盤の行動に説得力(その切実さ)が与えられる。

最後には光のようなものが差し出される。この世が闇ばかりでない。そんな希望の光を提示されるが、しかしさっきまで目の前に繰り広げられていた寄る辺なき絶望の世界はなかなか立ち去らない。

立ち去らせる必要があるのかどうかという議論はともかく、わたしは何か救いのようなものを求めて代々木公園に向かうのだった。

そこで眉村ちあきさんの〝インドのリンゴ屋さん〟を聴き、少しだけ胃の中の鉛が取り除かれたような気分になって、そのあとシーフードカレーとインドビールを美味しく頂くことができた。

そんなインドの闇と光を体験した一日でした。