妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

『トクサツガガガ』にガガガな僕ら。

小芝風花ちゃんがこれほどコメディエンヌのセンスを持っているとは、という驚きと喜びがまずあって。NHKのドラマ『トクサツガガガ』は初回からわたしの心を鷲掴みにした。そして気がつけば原作本を買い揃えていたのです。

ドラマホームページ→ https://www.nhk.or.jp/nagoya/gagaga/

 

誰もが一度は目にした事があるであろう特撮ドラマ(ここでは戦隊シリーズがその中心だが)をテーマに持ってくる視点や特撮に限らずアイドル、映画、音楽などなど〝好きなもの〟がある人/オタクへ突き刺さるストーリー展開。そして主人公の仲村さんを始め、吉田さんや北代さんといったキャラクターも魅力的で読めば読むほど観れば観るほどハマっていく。

原作を読んだ後にドラマを観ると特撮ヒーローの再現度の高さに感心する。かなり気合が入っていてこういう作り手の熱量がまた観るものの心を動かすのだろうね。北代さんを演じる木南晴夏さんのハマり具合もまた。

 

自分はいわゆる〝特オタ〟ではないが、そんなわたしがこの作品にハマっていったのは、おそらくそこに〝好きなモノへのアンバランスな愛情 〟が描かれているからという気がしている。

映画でも音楽でもアイドルでも、自分の好きなモノに対して我々は愛情を持っている。当たり前だ。しかし同時にその愛情を無自覚に表明する事への後ろめたさ…というより〝ためらい〟…のような感情を抱いている。これは多かれ少なかれ誰もが共感出来る事ではないだろうか。

その〝ためらい〟にはいくつか理由があるが、1番大きなものは「いい年をして(或いは男の子なのに/女の子なのに)そんなものを好きになって」といういわゆる世間の目が強制/矯正してくるものから自分がはみ出ている事への後ろめたさだと思う。

主人公である仲村さんは母親との折り合いが悪い。「もっと年頃の女の子らしく」「早く結婚して孫を」というような母親(つまりは社会)が強制/矯正してくるロールモデルへの反発がある。実は母親の姿は反転された仲村さん自身の姿でもあるのだが。

 

そういった母娘のやり取りはカジュアルにコメディタッチで描かれているが、妙なリアリティを印象づける。わたしは年頃の女の子でもないし親から結婚を急かされているような立場でもないが、それでも仲村さんには共感できる。世間が当てはめようとする枠から自分が外れている事を自覚し、その枠に押し込めようとする力に反発し、と同時にその〝枠〟にハマる事が楽な道である事も分かっている。そんなアンバランスな感情は誰しも秘めている事ではないか。多かれ少なかれ。

仲村さんは特オタである事を隠している。会社の中でも特オタであることは表明していない。これは前述の〝後ろめたさ〟も理由であるが、更にステレオタイプのオタク像に当てはめられる事への恐怖心があるのではないか、と思ってみたり。

わたしはカープファンで野球観戦の時にはユニフォームを着て応援しているが、球場への行き帰りの時はユニフォームを着ていない。あくまでニュートラルな状態で球場へ向かう。好きなミュージシャンやアイドルのライブに行く時もそうだ。Tシャツやグッズは極力見えないようにしている。電車の中で読んでいる本を知られるのも避けたい。自意識過剰といってしまえばそれまでだが、それでも自分の内面が無防備に意図しないところで探られる事への抵抗があるのだろう。

もちろん球場ではユニフォームに身を包み、応援歌を歌い、選手に惜しみない声援を送る。Liveではタオルを回し場合によってはサイリウムを振りコールをする。現場ではそうである自分を全面的に肯定し楽しむ。そしてまた帰り道ではユニフォームを脱ぎ、ツアーTの上にシャツを羽織り、タオルをカバンにしまってステルスモードになる。

では自分を孤高の存在にしたいのか、と言えばそんなこともなく。やはり他者との繋がりを求めている部分はあって、だからこそSNSをやっていたりブログを書いていたりするのだろう。胸元から分かる人には分かるようにTシャツをのぞかせていたりする。そうまさに〝イクトゥス〟のように…。

もう一つ〝後ろめたさ〟で言うと、「そこまで自分は熱入れてるのかな?全部の試合に通っている訳でもない。作品を全て網羅している訳でもない。もっともっと熱量の高い人がいる。その人達に比べれば…」という感情から来る後ろめたさ。

我ながら面倒くさいこと言ってるな、と思う。〝何も考えずに好きなものに飛び込んで行けば良いじゃないか。そんなのエクスキューズにするな。〟もっともな意見です。しかしまあ、このメンドくささがオタクがオタクである所以でもあり、そんなメンドくささを描いているからこの作品に共感できるのかな、とも思う。そんな自分を全肯定はしないまでも、少し軽く肩の荷を下ろしてくれるようなところがこの作品にはあるとも思う。

あとは身も蓋もない事を言うとやはり吉田さんや北代さんのような存在が欲しいんだね。映画の感想めいたものをSNSに上げたりブログに書いたり、あるいは誰かのポストに〝いいね〟やリプライする事でその体験を一定レベルで共有してはいるが、やはり対面で感想を言い合いたいという欲求はあって。作中で仲村さんや吉田さんが「あれ見ましたー?」と言いながらあーでもないこーでもないと言っている姿はやはり理想としてある。若い頃にはそんな友人達もいたが、だんだんとそういう人も機会も少なくなった。10代や20代の頃、居酒屋で安いサワーを飲みながら映画や音楽について語っていたあの感じ。「あのローラ・ダーンの泣き顔が…」とか「フェリーニってぶっ飛んでるよね」とか言うことを何の保険も留保もなく語っていた時間。『トクサツガガガ』を読む/観るという事はその代価行為なのかもしれない。仲村さんや彼女が置かれている環境に自分を投影しているのかもしれない。そういう意味ではオタクのファンタジー物語なのかもね。

だから何が言いたいかって言うと、わたしも梅干しサワーとか飲みながら映画や音楽なんかについてグダグダと語り合いたいな、って事です。『トクサツガガガ』にも描かれているような〝ライブ〟な感想の言い合い。何だったら駄作上映会やりたいよねって話です。では。

あ。あと北代さんLOVEなんで。