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コミュニケーション不全ラブ。【映画】『リコリス•ピザ』雑感。

リコリス•ピザ』

ポール・トーマス・アンダーソン監督最新作『リコリス・ピザ』90秒予告【2022年7月1日公開】 - YouTube

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ポール•トーマス•アンダーソン作品とは巡り合わせが悪いというか、『ザ•マスター』はとても良かったけれどその他の作品はほとんど見逃している。ファーストコンタクトは『パンチドランク•ラブ』だったけれど、どうもリズムに乗り切れないというか周波数が合わないという印象。

と、そんな状態で臨んだ今作。所々で編集のリズムが間伸びしているように感じるところもあったけれど、登場人物達のキャラクターに抗い難い魅力(感情移入できるかどうかとは関係なく)があったし、愛も恋も人間関係というのは一筋縄でいかない厄介なモノだ、というのがよくわかる作品だった。

この作品はコミュニケーション不全が生み出すスレ違いを巡る話のように思えた。アラナとゲイリーに限らず、日本料理店経営者とのやり取りや選挙事務所にやってくる怪しい男、或いはホールデンやピーターズとの会話など随所に〝成り立たないコミュニケーション〟が散りばめららている。

話は逸れるけれど、日本料理店のエピソードにおける〝ジャパニーズ•イングリッシュ〟の場面。あれはコミュニケーション不全が産み出す偏見というものをアイロニカルに描写したモノだと思っている。特に70年代から80年代における日本(アジア)像つまりはそれは偏見になる訳だけれど、そういったものがあった時代•社会を強調しているようにわたしには感じられた。それは日本人役の役者がしっかりとした日本語を話していた事でその輪郭は明確になっていて、少なくともわたしはそれを踏まえた上でギャグとして笑ったし、感心こそすれ不快に思う事はなかった。

あとどこかで70〜80年代の肌触りがある、という指摘を見たけれど、そう言われれば確かに夜の場面がATG系を思わせる感じがあって、個人的にはとても好きな画面のルックでした。

スレ違いがありながらも不思議と関係性か成り立つアラナとゲイリーの物語(冒頭の成立しているようで噛み合っていないアラナとゲイリーの会話から生まれた2人の関係性)は、何らかの決定的な約束が2人の間で交わされることなく〝腐れ縁〟的にズルズルと続いていく。感情が交差していくのは、無言電話や会話なくベッドで並んでいる時であって、それ以外の場面では互いの価値観が一致しているとは言い難い。相手への感情のパラメータも互いにタイミングがバラバラでゲイルの方と思いが強い時もあればアラナの方の思いが強い時もある。

人間関係というのはそんなモノなのかも知れす、わたしはそんな様子を甘酸っぱく感じることもあれば、冷静に生温かい視線を送ることもあったけれど、総じて好印象を抱きながら観ていた。アラナ•ハイム、クーパー•ホフマンという2人の才能ある演者の魅力が素晴らしい。

特にアラナは生き辛さを感じながら、これからの人生をどう遣り繰りしてやっていくのかの岐路に立っていて、そういったじんわりとした焦燥感を上手く体現していたと思う。夜明けの道路に座り込みながら、はしゃぐティーンズ達をみている時の表情、絶望感にも似たあの眼差しは白眉だった。

コミュニケーションがブレイクダウンしたまま続いていくアラナのゲイリーの関係は、それでも最終的にある結論へと向かう訳だけど、その結論に至るまでの疾走感がとても良かったし、そこでようやく発せられる言葉に思いの外グッと来ている自分がいた。ふたりの未来がハッピーなのかアンハッピーなのかは全くわからないけれど、今はマジックアワーの美しさに騙されていようと思っているのです。