妄想徒然ダイアリー

映画と音楽とアレやコレやを

さあ、お逝きなさい。【映画】『ノースマン 導かれし復讐者』雑感。

映画『ノースマン 導かれし復讐者』予告編 - YouTube

f:id:mousoudance:20230211150728j:image

父上の仇を討つ、母上を救い出す、フィヨルニルを殺す!その一点のみで人生を突き進んでいくアムレートの復讐の物語は、直線的にカタルシスのあるゴールには向かわない。多くの神話や歴史ドラマがそうであるように、登場人物達の正義や大義はひとつではない。現実世界同様に〝真なる世界〟は唯一無二のものではなく、それぞれの立場によって変わってくるものだ。

アムレートにとっての正しさは、フィヨルニルにとっての正しさとは違うが、当然我々はアムレートの視点で物語を観ている。しかし、同時にアムレートの生きてきた道程が、汚れる事も厭わない血塗られたものでもあることも序盤に提示されている。

フィヨルニルの息子ソリルやその取り巻き達のキャラクターは、アムレートの復讐劇の成就こそが正義であるかのような前提を補強するが、次第にその前提は脆さを露わにしていく。ロバート・エガースの前作『ライトハウス』がそうであったように、神話的なものが持つ寓意性と現実が時にシームレスに描かれていて、視点によっては(〝信頼出来ない語り手〟的な要素がある為に)アムレートの大義や或いは目の前で起きている復讐劇は果たして正しいのか、という混乱を我々は抱くその混乱をアムレート自身も自覚しながら、それでも何かに突き動かされるようにその剣を振り下ろす。

ロバート・エガース作品には独特のリズムやテンポがあるように思える。そこは観る側のバイオリズムに左右される部分もあって、「質が高い事はわかるけど、何となく自分には合わない」というような事も起こるかもしれない。しかし、迎えるエンディングにある神々しさにわたしは平伏するしかない。アムレートの魂がサルベージされたのであれば、それはハッピーエンディングというべきなのかもしれない。

 

メモ

  • 気品と野蛮さが混在したアレクサンダー・スカルスガルドのオーラとエンディングのあの眼差し。
  • アニャ・テイラー=ジョイの力強い意志のある瞳と浮遊感のある佇まい。「さあ、旅立ちなさい」の一言が生み出す様々な感情。
  • フィヨルニルを演じたクレス・バングは『蜘蛛の巣を払う女』に出ていたようだけれど(作品同様に)ほとんど記憶がなく、ほぼ初見に近いけど、とても印象に残る存在感だった。
  • 霞んだモノクロに近い場面と緑が美しい風景とのコントラストや横移動していくカメラワークなど映像も良い。好きなシーンは色々あるけれどやはり終盤のラストバトルだろうか。ムスタファーの戦いが大好きなわたしには大好物だった。